(『君がくれたグッドライフ』より)
『君がくれたグッドライフ』観ました。
ジンワリと泣けてくる、
それでも、しっかりと笑えるシーンもあるという、
まあ、よい映画だと思います。
もちろん「楽しい」類のものではないけれど。
『君がくれたグッドライフ』予告
(映画『君がくれたグッドライフ』公式サイト
→http://goodlife-movie.com/index.html)
〈ハンネス(フロリアン・ダーヴィト・フィッツ)とキキ(ユリア・コーシッツ)の夫婦は、年に1度、6人の仲間たちと自転車の旅を続けてきた。目的地の決定は持ち回りとなっており、2人が担当となった今年はベルギーを選択。それを聞いた仲間たちは、チョコレート以外に何があるのかとボヤく。だがその裏には、深い理由があった。ALS(=筋萎縮性側索硬化症)の宣告を受けたハンネスは、尊厳死が認められているベルギーを訪れ、これを人生最後の旅にするつもりだったのだ。真相を知った仲間たちは大きなショックを受けるが、ハンネスの願いを叶えることを決意。いつものように、旅行中にすべきムチャな課題を出し、実行するたびに笑いが巻き起こる楽しい旅は、このままずっと続くように見えたが……〉
(MovieWalker:君がくれたグッドライフ
→http://movie.walkerplus.com/mv60026/)
「死にに行くための旅を描いたロードムービー」
と言ってしまえば身も蓋もないけれど、
筋書きだけ説明されれば、全ての映画はミモフタモナイわけで、
どんな観せ方をするかが、評価の分かれ目ですよね。
「全ての人間は必ず死ぬのだから、そこに向かってどう生きるかが問われる」
なんてことを、たま〜に読んだり聞いたりするけれど、
「どう生きるか」というのは「どう死ぬか」というのと似ていて、
「死に方」とは「逝き方」であり「生き方」でもあるのだろうなあと思ったりして。
ところで「尊厳死」と「安楽死」は、
言葉として厳密に使い分けてほしいですね。
上の予告編では「尊厳死」になっているのだけれど、
本編字幕(DVD)では「安楽死」でした。
尊厳死は理解できても安楽死は違うんじゃないか、
と感じている人って多いんじゃないかと思うんですが、
どうでしょう?
*コトバンク:安楽死
*コトバンク:尊厳死
ただね、この映画を観て、
自分は(たぶん)安楽死を選びはしないけど、
人がそれを望むなら止めちゃいけない、という気にはなりました。
ちょっと前に読んだものですが・・・
〈「患者の痛みを和らげる緩和ケアが各国で主流になっていますが、私の意見では、まったく無意味だと思う。それは単なる嘘でしかない。この痛みを和らげることなんてできませんから。特に私の癌は、とても不愉快な痛みです」〉
(NEWSポストセブン:安楽死選んだ女性 最後の16時間の一部に密着
→http://www.news-postseven.com/archives/20160430_400786.html?PAGE=1#container)
病気関連で、特に「痛み」が絡んでくると、
周りがとやかく言うことじゃないのかなあと。
けど、そこを許容すると、
じゃ、普通に老衰の場合はどうなのよ?
と問われた時、ちょっと判らなくなってしまうんですよね。
〈「私は認知症になった場合を考えると、恐ろしくてたまらないのです。何もわからず、ベッドに縛りつけられて生きるなんて考えたくもない。誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい」〉
(NEWSポストセブン:安楽死提言の橋田壽賀子、その胸中と覚悟を明かす
→http://www.news-postseven.com/archives/20161118_467348.html?PAGE=1#container)
橋田壽賀子さんが仰ることは、ごもっともではあるのだけれど、
う〜ん・・・
「誰にも迷惑をかけない」人生なんてものに価値ってあるの?
と思わないでもない。
人としての「イキカタ」・・・
いつも考えてたら疲れてしまうけれど、
たまに思い巡らせるのは必要かなと思います。
一般論じゃ語れませんけどね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます