おでぶな、あらため太めのコーギーと迷い子猫と都会に帰りたいおじさんの切実なつぶやき! 

40代でUターンしたおっさんが、
田舎のなにもなさに飽きて、太めなコーギー
マリィと居候猫ピピに愚痴をつぶやくところ

モモを思い出した

2018-10-22 21:48:18 | 日記

今日は、ある話を聞いて、先代犬を思い出した。未だに、涙が出そうになる。

今から、4年半前、朝起きたら、いつも散歩に起きてくるはずの一緒に寝ているモモが起きてこない。

枕元に倒れているモモは既に息が絶えて、硬直化していた。傍らに、明らかにわたしの顔の横に来ていたあとがついていた。死ぬ間際のお別れの挨拶だったのだろうと思う。

亡骸を見るにたえて、その日のうちに火葬して家に持ち帰り、うちのお寺のお坊さんによりお経を上げてもらい、その後49日もやってもらった。そのとき、お坊さんは、人間は向こうの世界に送ることができるのですが、犬は送ることができないので、人間に生まれ変わるように祈ってあげてくださいのことばをいただいた。

不思議なことに、その年の夏、もらって10年以上花が咲いたことのなかった月下美人が見事な花をつけました。「私はここにいるよ」とモモが言っているように思えました。なお、モモがなくなってから、もうどうしようもなくなって、たった2ヶ月後マリィを迎えています。

月下美人はその後3年間夏、秋に咲き続け、今年は咲かませんでした。たぶん、モモがあちらの世界に行ったのか、生まれ変わったのだろうと思っています。3年間、うちのどこかで見守ってくれたと思います。また、いつかどこかで会える日も来るでしょう。映画の「僕のワンダフルライフ」のような話(実は私自身は泣きそうなので見ていない)もあると信じたい。

また、この3年の間に、わたしは少し間違えると死んでいたような病を経ています。実はこのとき、本当に危ない箇所ではないところが切れて出血していたのだけど、運がよかったのかすぐに止血できました。もう少しあとであれば致命的な箇所が破れていたところだったから、これモモが知らせてくれたと思っています。

犬は高々10数年の命だから、先に送るのはどうしようもないが、やはり覚悟しきれないものが残ります。

うちの場合は、犬がいるときはあまり遠出出来なかった家族旅行をして、それと新しい子を迎えることで全部だとは言えないが心が落ち着きました。それでも、今でも時々、寝室にあるモモの遺骨と写真には毎日手を合わせています。きっと、我々家族になにか良い物を残しているだろうと思います。

今は、先代犬のモモさんより少しばかりやんちゃ(少し・・・?)で太り気味のマリィと、ガリ・ブサイク?猫のピピに振り回されているこの頃ですが、幸せです。

少しばかり、センチになりましたが、モモ・マリィ・ピピは良い思い出になりそうです。