1654年児島地方は未曾有の大飢饉に陥っている。 池田光政の命により郡奉行石川善右衛門成一は、多くの溜め池等を造り、児島地域は飢饉から救われた。
そのうちの一つ深山用水は1里35丁の長い長い用水路で、現在も使われている。
深山用水全域を表す地図。
その当時工事の様子を表す絵
この難工事は近代産業遺産となっており、全貌を表す地図を作製し、深山の中池堰堤に設置した。また、その道標も設置した。
この深山用水、今年は平成26年6月19日13時から樋抜する。堰堤にある樋門のハンドル。
樋抜した中池堰堤下の状態
赤松池横を流れる。
4キロメートル先の駿河池付近を流れる様子。
駿河池をオーバーフローした水。
これらの写真は、昨年樋抜した様子を撮影したもの。 今年もつつじの会は中池に集合し、樋抜の状況を見に行く。
360年程前に造られた深山用水、平均斜度1%で、大型機械もない江戸時代に造成され今なお使用している。 当時の並外れた高い技能を施した遺産を多くの人に知ってほしい。是非とも用水を見てほしいと切に望んでいる。
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