玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

宇野駅近辺を歩く1

2011年02月27日 08時50分13秒 | 日記
さて、JR宇野駅下車。今日は宇野港ができた経緯について。
明治42年7月15日竣工しているが、大変な歴史がある。明治30年代海事思想の高まりがあった。高松港も改修され、讃岐鉄道と山陽鉄道を連絡する。つまり宇野港がいると考えた。当時の岡山県知事「檜垣 直右」は岡山県議会の反対にもかかわらず「原案執行」という強硬手段をとった。(日露戦争で日本の経済が疲弊していたなどの理由があった。)今の時代ではとても考えられない。宇野港があるのは彼の先見の名があったからだと信じている。
 宇野港メモリアル公園にある 檜垣知事の銅像

 

 檜垣 直右1851年萩城下の宇野家に生まれる。幼名安之進 7歳で山口町の檜垣家の養子となる。名を直右と改名
 明治35年51歳で岡山県知事。 明治38年11月宇野港築港案を県会否決。翌年4月内務省築港に許可
 明治39年7月28日休職 同年8月1日築港起工式(たまの歴史夜塾より引用)

宇野駅下車~直島へ

2011年02月26日 12時16分47秒 | 日記
JR宇野駅下車して直島へは、フェリーボートか小型客船で渡る。時間が30分~1時間ぐらい余裕のある人は宇野駅近辺を観光すると良い。

 

 こんな看板がある。これをぐるりと観光するとちょうど30分~1時間程度だろう。なお、土・日・祝日は観光ボランティアが案内所に常駐。案内を頼むと絶対にお得である。下の写真の女神に誓ってもいい。

              

 この女神像は宇野駅を降りるとすぐ目の前に現れる・・・・が興味のない人には見えないという難点がある。

 続きをご期待あれ!!!!!

直島は入り込み客が増加

2011年02月26日 12時06分14秒 | 日記
瀬戸大橋架橋後超ローカルとなった?宇野。でも直島へ渡る観光客はしだいに増加しているようだ。そこで、宇野駅近辺を再考し、市外の人に興味を持って訪れてもらわにゃあ。
JR宇野駅下車から、まず案内所を紹介。心優しい美しい人が目に付く!!



 ここで、玉野の観光について聴くと良い!! 英語圏の人も何とか理解しているようだ。

大転換時代2

2011年02月24日 13時01分52秒 | 日記
昭和63年4月に瀬戸大橋が開通後78年間の宇高航路の連絡船が姿を消し、宇野港は人流港と貨物港の整備が終わった。
モータリーゼーション到来により、宇野~高松間はフェリーボートが運航され宇野港の繁栄もそれなりにあった。ところが瀬戸大橋の通行料金割引の影響で、昨年2月12日に四国フェリー、国道フェリーの2社が3月26日を持って運行廃止を届け出た。
1年間国・県・市・フェリー業者で話し合っているが結論は出ていない。

 

               

 2社が運行を廃止することになれば、およそ100年前に宇野~高松間を船で結ぶための築港と鉄道敷設をした、明治の先駆者はどう考えるのだろうか。

深山公園の様子5

2011年02月23日 14時00分58秒 | 日記
宇野港についてちょっと一休みして深山の様子を紹介する。梅園ではピンクに色づいた梅がきれいに咲いていたが、白色の梅はまだつぼみだった。



 
サンシュウは少し膨らみかけていた。
  
      

 トサミズキはつぼみが固いようだった。

              

 イギリス庭園の楊貴妃は満開