さて、JR宇野駅下車。今日は宇野港ができた経緯について。
明治42年7月15日竣工しているが、大変な歴史がある。明治30年代海事思想の高まりがあった。高松港も改修され、讃岐鉄道と山陽鉄道を連絡する。つまり宇野港がいると考えた。当時の岡山県知事「檜垣 直右」は岡山県議会の反対にもかかわらず「原案執行」という強硬手段をとった。(日露戦争で日本の経済が疲弊していたなどの理由があった。)今の時代ではとても考えられない。宇野港があるのは彼の先見の名があったからだと信じている。
宇野港メモリアル公園にある 檜垣知事の銅像
檜垣 直右1851年萩城下の宇野家に生まれる。幼名安之進 7歳で山口町の檜垣家の養子となる。名を直右と改名
明治35年51歳で岡山県知事。 明治38年11月宇野港築港案を県会否決。翌年4月内務省築港に許可
明治39年7月28日休職 同年8月1日築港起工式(たまの歴史夜塾より引用)
明治42年7月15日竣工しているが、大変な歴史がある。明治30年代海事思想の高まりがあった。高松港も改修され、讃岐鉄道と山陽鉄道を連絡する。つまり宇野港がいると考えた。当時の岡山県知事「檜垣 直右」は岡山県議会の反対にもかかわらず「原案執行」という強硬手段をとった。(日露戦争で日本の経済が疲弊していたなどの理由があった。)今の時代ではとても考えられない。宇野港があるのは彼の先見の名があったからだと信じている。
宇野港メモリアル公園にある 檜垣知事の銅像
檜垣 直右1851年萩城下の宇野家に生まれる。幼名安之進 7歳で山口町の檜垣家の養子となる。名を直右と改名
明治35年51歳で岡山県知事。 明治38年11月宇野港築港案を県会否決。翌年4月内務省築港に許可
明治39年7月28日休職 同年8月1日築港起工式(たまの歴史夜塾より引用)