ちょっと日が過ぎてしまったけど
先週の月曜日
私の大事な親友だったKちゃんの 49日だった。
気持ちばかりだけど 旦那さんにお手紙とお供物を送ったら
Kちゃんの前のメールアドレスから
ありがとうございました。。って 旦那さまから お礼のメールが届いて びっくりしたけれど
なんだか Kちゃんが
まだそばにいるようで 嬉しかった
こんな風に
母が亡くなってから 私は 大事な人の家族の
月命日 だとか 49日 100日・・
そんな日を 悲しいけれど 数えてしまう
覚えていなきゃと なぜか 思う
自分が お母ちゃんの時に みんなが寄り添ってくれたのが有難くて それを 忘れないからかもしれないけど。
前に
ブログの仲良しの友達が こういう節目の日(お彼岸とかお盆とかもね)は
いないのが再確認されて 寂しさが募るよねって言ってたの。
でも
私はいつも 違うよって 返す。
だって それは反対で
その節目の日には
その大事な人が 自分たちのそばに来てくれる日だと 思っているからかもしれません。
だから
彼女に ~ 一番 あったかい日なのかもしれないよ・・そう思うと 寂しくないよって。。~
そんな風に メールで返したら
その 優しい彼女から
~ほんとだね。 そう思うと寂しくないね。
じゃぁ 秋は 命日もあるし お彼岸もあるし なんだか忙しいねって(笑)~
私も そんな 彼女のメールで 暖かな気持ちになれました。
悲しいことだけど・・
人は 誰でも
生きている限り
大好きな人 愛する人との別れがある
そして それは ほとんどが 突然訪れる
ずっと そばにいてくれるはずだった ・・
そばで 笑っていてくれるのが 当たり前だった ・・
その想いが強ければ強いほど 悲しみの欠片は大きい
誰にも見せないけど
誰でも そんな 欠片は 少なからず 持っているよね
それは 家族でも 家族同様の 動物君たち でも。
昨日
一年・・
彼女にとって
この一年は 頑張って上を向こうと 一生懸命な 一年だったと思う
人は なぜか
悲しみのまま 立ち止まっているのを 許してくれない
頑張って 明るく生きてって 背中を押してくれる
それは とても 励みになるし 有難いことなのだけど
本当は 時は ずっと そのまま・・・
・・・止まったまま
悲しみの欠片は 大きなまま だよね
本当は何か力になりたくても 何も出来ない自分
ブログという力で
ここでこうして 気持ちを 発信して行くしかないよね
愛する人を 亡くす
それが
不条理であればあるほど 心に突き刺さる
どうか 彼女の気持ちを 受け止めて
本当の意味で 背中を押してあげたいと思います。
・・・・
秋が来て
冬がくる
寒さを温めてくれるのは 重ね着だけじゃ埋まらない
一番 心を癒すのも
心を温めるのも 人の 心かな・・
当たり前だけど そんな気持ちを 忘れないで
これからも 生きて行きたいと思います