梅雨の長雨。被害がでないことを祈るばかりだ。
こんな日は72年災の豪雨が脳裏をよぎる。あの年も1週間ぐらい続いた長雨だった。水位が上がり川幅が増した江の川。真ん中が膨らみ激流の姿になる。集落の川筋のすべての家が床上まで浸水してしまった。
昼間、家々に被害をもたらしながらも一端水位は下がった。
だが、昼の水没騒動に疲れて寝静まったところを、深夜、再び濁流が襲い掛かってきた。
裏山に飛び移り命からがら逃げてきた人。
それぞれが家財を背負い避難してくる。
手を取り合い子どもを背負って逃げてきた家族。
集落のみんなが肩を寄せ合うように高台に避難した。
目の前を家が浮かんだまま流れてくる。
タンスがプカプカ浮かび流されていく。
電柱が激流にのまれ音を立て倒れる。
切断された電線から火花が飛ぶ。
暗闇のなか悲鳴があがる・・・
今でも豪雨の度に、スライド写真のように鮮明にあの日が浮かぶ。
夜が明けるとあたりの景色は一変していた。
集落の半数が濁流にのみ込まれ、柱一本残ってない。
水没は免れても裏山がくずれ崩壊した家。
土台がくずれてしまい半壊した家屋。
無傷の家はなかった。
被害は散々だった。
それでも、大人たちは極めて朗らかなのだ。
「まぁ、うちの羽釜がこんなとこへお邪魔しとる」
そう言って笑いながら土にうもった釜を拾うおばちゃん。
笑い声が飛びかいながら復旧作業に汗している。
「流れる家の屋根にのぼって義経のように飛び移ったけぇの」
炊き出しのむすびを頬張りながら、にわか武勇伝まで飛び出す。
宴会でも楽しむかのように笑かすのだ。
どうやら人は強烈にしんどいと底抜けに面白くなるのだと知った。
「いのちまで持ってかれにゃどうにでもなるけ」
水害に10年に1度はやられてきただけにまさにそうだ。
あるがままを受け入れ底抜けにオモロイ大人たち。
その言葉が、その後の営みの熱源となった。