「国葬」の賛否が国民を分断する。
唐突に岸田総理が安部元総理の「国葬」を言いだしたのは10日前のこと。その理由は憲政史上「最長の政権」であったことと「功績」だという。
問題なのは「国葬」を定める法がないこと。岸田総理は内閣府設置法で「閣議決定により国葬は可能だ」という。だが、内閣府設置法は国と内閣の行う儀式についての「事務に関すること」を定めているだけのもの。なのに国葬の法根拠だとするのはあまりにも無理がある。そもそも国葬を定める法がないのだから、その基準もない。これでは時の政権が儀式と銘打ってしまえば、税金を使って何でもできることになってしまう。
それに岸田総理のいう国葬の理由が腑に落ちない。「最長」であることは政治家たちにとっては自慢話の大切なネタなのだろうが、国民にとっての意味はない。理由になるとすれば「功績」の方でその中身ということになる。
たとえば、外交に功績があるというがその中身は何か。外遊の数は確かに多い。ODAの名のもとにばら撒いた金も沢山だ。だが、あれほど安部自身が豪語していた「北方領土の返還」や「拉致問題の解決」はまったくのゼロ実績だった。
北方領土では、プーチンとのトップ会談を27回も行ったものの多額の開発費だけをロシアに盗られ、ウクライナ侵略のどさくさに紛れて開発施設はまんまとプーチンに乗っ取られてしまう。ゼロどころかマイナスだろう。
経済再生も功績だというが、アベノミクスは本当に経済を再生したのか。アベノミクスの正体は、国民年金基金にまで手を突っ込み、日銀まで動員して株価を吊り上げて、極一部の小金持ちは作った。だが、経済力を示す日本のGDPは横ばいのままで、最も大切な賃金は下がったまま。アベノミクスで景気が良くなったと実感した国民などいない。
それどころか、「日銀は政府の子会社だ」と言い放し、日銀に国の借金の国債をどんどん買い取らせ、その額は安倍政権8年間で500兆円を超えるまでに膨らませてしまった。やってはいけない禁じ手をアベノミクスで続けたせいで、日本の「円は信用できない」とする悪い円安が進行している。このままのペースで国債を日銀に買い取らせ続ければ、10年もしないうちに日本は財政破綻するとまで専門家は指摘しだした。
アベノミクスのツケは、賃金の上がらない物価高となって、今、国民の暮らしを苦しめている。経済の功績はどこにも見当たらない。
政治手法では、国会論戦から逃げて数の横暴で押し切って「戦争法案」や「秘密保護法」を強行した。何度もNOを突き付けた沖縄の民意に寄り添うこともしなかった。そんな風に少数者を切り捨てる政治手法はとてもじゃないけど評価に値しない。
そして、安倍政権につきまとった数々の疑惑が影を落とす。パッと思い浮かぶものでもモリ・カケ・サクラ・ケンジと枚挙にいとまがない。森友疑惑では財務省ぐるみの隠ぺいと、改ざん命令で職員の命まで奪ってしまった。
安倍元総理の「功績」の中身は何だったのか。そう考えると、内閣の一方的な判断で行おうとしている「国葬」に対して、「なぜ」と多くの国民が違和感を覚えることに同感する。
まるで神格化するかのように「安倍さんが生前果たせなかった憲法改正を一気にやってしまえ」とする自民党内の一部の動きも鼻につく。「国葬」を政治利用しているように国民が思えてしまうのは、そんなきな臭い動きが見え隠れするからだ。
不遇の死への同情と銃撃事件直後の雰囲気に流された岸田総理。その判断には政治家としての芯が見えない。国民を分断しないように、もっとスマートにやればよかったのではないか。党内保守ばかりを気にした岸田総理の偏った判断が残念でならない。
それに何よりも、こんな風に、9月末の「国葬」まで賛否論争が続く煩わしさが不健康でたまらない。内心の自由にまで踏み込んで、賛成しない声に対する不寛容な言動が出ている風潮にもうんざりする。
「国葬」が国民を分断するのでは弔いにならない。