わたしの所属教会の信徒の集まりである「アカシアの会」(1)で、M氏の報告があった。
テーマは「内村鑑三について」というものだった。長老のカトリック信徒が内村鑑三を論じるというのでわたしは是非お話を聞きたいと思った。テーマに惹かれてか多くの方が集まった。天皇誕生日の振替休日で教皇様の病状が案じられる中、15名もの方が集まった。
講演としては、内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』(1895)(2)の内容紹介が中心だった。M氏が現役時代に作られたモデレーター・プログラムを配布されて、説明を加えるという形の報告だった。
この本には内村の1888年のアメリカからの帰国までが描かれており、彼の数度にわたる「回心」の経緯が記されている。M氏は丁寧に内村の前半生を説明された。不敬事件など内村鑑三のその後の人生については触れられなかった(4)。
M氏は、内村鑑三は「尊敬に値する人」だが、彼の主張や行動を全面的に肯定しているわけでは無いと言っておられた。とはいえ強く私淑している印象を受けた。第二バチカン公会議以前の日本のカトリックの世界を知る者として、内村鑑三に学ぶことが多かったのであろう。M氏によるとカトリック信徒で内村鑑三を論じる人は多くは無いという(5)。
質疑応答は多岐にわたる論点を巡ってなされた。例えば、
①内村鑑三は代表的日本人として「西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮」の5人を挙げているがそれはなぜか。内村は愛国心やナショナリズムをどうみていたのか。
②カトリックの若松栄輔氏の『内村鑑三 ー 悲しみの使徒』をどう評価するか。つまり、井上洋治師や遠藤周作氏が強調した母性重視の霊性論が内村鑑三に本当にあったのか。
③キリスト教の中核観念は「愛」ではなく「謙遜」だという内村鑑三の主張をどう評価するか。かれは儒教や仏教をどうみていたのか。
④無教会主義とはなにか。教会を持たない無いキリスト教があり得るのか。教会の階統制に抵抗したのか。
⑤内村鑑三の思想は「上州人」(群馬県人)の気質を反映しているというがどういうことか。内村の「行動よりは内省」は気質なのか。
などなど質問はつきなかった。どれも簡単な答えがある質問ではないが、M氏が穏やかに応答しておられたのが印象的だった。別の機会に講演の続きを期待して閉会した。
最後に教皇様のご回復を祈って皆でお祈りをした。以前の「主祷文」と「めでたし」を使った。昔の文語体のお祈りだ。この世代の人々にはこちらの方がまだなじみがあるのだろう(6)。
【配付資料の表紙】
注
1 当教会の「アカシアの会」という名称の信徒の集まりは長い歴史を持つようだ。高齢の信徒の集まりなので神父様は出席されないようだ。主に婦人会中心に運営されていると聞いているが、実際には男性信徒も出席しているようだ。基本は相互の交流で、毎回どなたかが話題を提供しておられるようだ。
2 現在の紙幣の肖像は、渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎に変わった。福沢諭吉の時代が終わったことが印象的だ。だが内村鑑三は選ばれなかった。
(1984) (2004) (2024)
・1万円:福沢諭吉 → 福沢諭吉 → 渋沢栄一
・5千円:新渡戸稲造 → 樋口一葉 → 津田梅子
・1千円:夏目漱石 → 野口英世 → 北里柴三郎
3 『余は如何にして基督信徒となりし乎』は1895年に『How I Became a Christian』のタイトルでまず英語で出版された。全体の日本語訳は内村の没後(1930)に出ており、以後数種類の翻訳が刊行されているという。岩波文庫本がよく読まれているというが、河野純治訳『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』もわかりやすい訳本として今回紹介された。
4 内村鑑三と言えば、不敬事件に代表される反戦論的な預言者という印象が強いが、「二つのJ」論、「無教会」派論など神学的にも教会論的にも重要な論点を提起していたという。
5 M氏は若松栄輔氏に言及しておられた。
6 【カトリック教会で2000年2月15日まで使用していた主の祈り(文語体の主祷文) 現在は公式には使用されていない】
天にましますわれらの父よ、
願わくは御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨の天に行わるる如く
地にも行われんことを。
われらの日用の糧を
今日われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、
われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。
アーメン
【カトリック教会が現在使っている口語訳の主の祈り】
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン
「主の祈り」と「アヴェ・マリアの祈り」の訳文については現在でも議論が絶えないという。