2017年3月の「学び合いの会」は厳寒の27日に開かれました。桜の開花宣言が出たというのに昨日から冷たい雨が降り、四旬節そのもの。復活の主日までには暖かくなって欲しいものです。過去数回、ベネディクト16世ヨゼフ・ラッチンガー著 里野泰昭訳『ナザレのイエス』(2008・春秋社、原著2007)をベースに、ヨハネ福音書について学んでいます。この名誉教皇様の本は三部作で、第一部の本書第一巻は、イエスの公生活の半分、ガリラヤの宣教活動からイエスの変容までがとりあげられている。第二巻は『十字架と復活』と題され、エルサレムへの道行きから受難、死、復活が取り上げられる。第三巻は『イエスの幼年時代』と題されている。イエス伝は山ほどあれど、本書は名誉教皇様によるイエス伝、しかもカトリック神学の精髄である。この第一巻はそれほどの名著にもかかわらず492頁にわたる大著のためか(日本語訳)、街の本屋さんには置いてあるところは少ない。、公共図書館でもまずみかけない。ちなみにわたしが所属する教会の図書室にも置かれてない。そこで一応目次だけでも記しておきたい。
序章 イエスの神秘について
第1章 イエスの洗礼
第2章 イエスの誘惑
第3章 神の国の福音
第4章 山上の説教
第5章 主の祈り
第6章 弟子たち
第7章 譬えの使信
第8章 ヨハネ福音書の主要な象徴
第9章 イエスの道行きを画する二つの重大な出来事
第10章 イエスの自己表明
本書は広義の「史的イエス」研究と呼んで良いであろう。19世紀以降の史的イエス研究は、「批判的・歴史的方法」に依拠するようになった。プロテスタント神学でいえば、自由主義神学から弁証法神学(危機神学)への展開の中で進められてきたが、聖書における霊感の反映を重視するカトリック神学では第二バチカン公会議以降、この批判的・歴史的方法を高く評価しながらもその限界を指摘し、新しい方法を模索し始めている。ラッチンガーはそれを「正典指向的聖書解釈」と呼んでいる。本書は史的イエス研究におけるこの新しい方法の彫琢作業と呼んでも良いかもしれない。
前回は第8章第2節「ヨハネ福音書の主要な象徴」が先に紹介され、水・ぶどうの木とぶどう酒・パン・牧者が説明されたわけである。今日の解説は第8章第1節「ヨハネ問題について」である。S氏の解説はいつものように丁寧に聖書の関連箇所を読み合わせながらなされるため、実に説得力に富んでいた。
それでは、聖書研究における「ヨハネ問題」とは何か。きわめて単純化して言えば、それは、①ヨハネ福音書の著者はだれか ②ヨハネ福音書に歴史的信憑性はあるのか、の二点といえよう。つまり、ヨハネ福音書の歴史性を疑い、後代に神学的に構成された作品だとする考え方である。
確かに、共観福音書は「譬え」(メタファー)を重視し、人間としてのイエスを描く。他方、ヨハネ福音書は「象徴」(シンボル)を重視し、イエスの神性を描く。ヨハネ福音書は神秘的な神学書というのが一般的な受け取り方であろう。著者についても内容の高度さからみて二世紀のものではないかと言われてきた。ところが、エジプトのパピルス断片の発見によってこの福音書は一世紀末の成立が確認され(おそらく90年代)、後代成立説は完全に否定された。時代的問題は解決されたわけである。それでは歴史的信憑性の点はどうなのか。書かれている内容は本当に信頼できるのか。使徒ヨハネはイエスより年齢が若いはずだから、もし言われているように殺されておらず、生き延びていたとしても90年代には齢80を超えていたはずで、自ら筆を執って書くことはできなかったのではないか。
ヨハネ問題の根源はプロテスタント神学の代表者R.ブルトマン(1881~1976)にある。K.バルトとならぶ著名なプロテスタント神学者である。バルトが、『ローマ書』(1919)や、『教会教義学』(1932-67)、特に「創造論」をひっさげて弁証法神学を作っていくなかで、ブルトマンは、共観福音書の「様式史的研究」(Formgeschichte)によって、19世紀の歴史主義的な福音書の理解の限界を指摘し、福音書の理解を「非神話化」した。実存主義的神学者と呼んでも良いかもしれない。様式史的研究方法とは文学研究の一手法のようで、聖書研究に適用された場合は、神話や伝説などを分析して口承段階まで遡り、現在の形式に辿り着くまでの過程を再構成する手法のことのようだ。ブルトマンは、ヨハネ福音書は、旧約聖書やイエス時代のユダヤ教に基づくのではなく、グノーシス主義に起源を持つ、と主張したようだ。キリスト教における受肉という考え方、ロゴスの思想などはグノーシス主義から入り込んだものだという。さらには三位一体という考え方もグノーシス主義から来ているという者さえいる。カト研の皆さんにはおなじみのグノーシス主義は徹底した二元論(霊肉の分離)をとり、マニ教や仮現説などを支える思想である。キリスト教は、特に日本では、二元論だとよく物知り顔に批判する人がいるが、キリスト教は常に二元論を否定してきた。二元論といってもいろいろあるのだろうが、教会はグノーシス主義を批判するのだから当然の思想的立場である。
ラッチンガーは、このブルトマンの主張、特に『ヨハネ福音書註解』(1941)の主張を批判し、ヨハネ問題への解答を導き出す。結論を先取りして言えば、ヨハネ福音書の「実質的」著者は、ゼベダイの子ヨハネであり、書いたのがヨハネ本人ではないにせよ、かれの弟子、孫弟子など使徒ヨハネの身近にいた人である。ヨハネ教団に属する人々は、ヨハネの手紙Ⅱ、Ⅲを書き、黙示録を書いた人々である。また、歴史的信憑性についても、ヨハネ福音書は旧約聖書にしっかりと基づいており、グノーシス主義に基づいているとは言えないと述べる。
ラッチンガーのブルトマン批判は、まず、M.ヘンゲルの『ヨハネ福音書の問題』(1993)を使いながらなされる。聖書研究の進展はブルトマンのヨハネ福音書詳解の主張が「誤りから自由ではない」〈286頁)ことを明らかにしたのだという。今日の聖書研究は四つの研究成果を明らかにしたという。①ヨハネ福音書はイエスの時代のパレスチナを知り尽くした人、時と場所について非常に詳しい知識を持っている人の著作である ②旧約聖書を基にし、そこに深く根ざしている ③エルサレムの中流階級・上流階級が使っていたコイネー(ギリシャ語、共通語)で書かれている ④ヨハネ福音書の由来はエルサレムの祭司階級で、かなりの部分は大祭司階級の言葉で書かれている。
では、ヨハネ福音書の著者は誰か。教会は、司教エイレナイオス(2世紀)以来、著者はゼベダイの子ヨハネである、と言ってきた。ヨハネ19-34~35,19-26,21-24,13-23など、福音書の記述は一人の証人に帰せられ、イエスが愛する弟子と呼んだ者としてきた。
しかし、近世にいたってこの考えに多くの反論がなされた。主な反論は、①果たしてガリラヤの一介の漁師に、祭司階級が使っていた言語でこの難しい文章が書けたのか ②果たして大祭司の家族とコネがあったのか、というものであった。言われてみればもっともな反論である。
だが、ラッチンガーはフランスの聖書学者アンリ・カゼルの著書(Ein Sohn des Zebedaeus,2002、未邦訳)を使ってこの反論を批判、否定していく。ヨハネは大祭司の知り合いであり、ゼベダイは漁師の長で、しかも祭司の可能性が大である。ヨハネ福音書の実質的著者はゼベダイの子ヨハネである可能性が大であるという。また、編集者は、使徒ヨハネとは別人の長老ヨハネで、使徒ヨハネの伝承を忠実に守ってヨハネ福音書の最終的なテキストの形成・編集をおこなったとみられるという。ちなみにこの長老ヨハネは、ヨハネの手紙Ⅱ、Ⅲの著者と目されているらしい。使徒ヨハネの遺稿管理者と呼ばれているようだ。つまり、ヨハネ福音書は一人の目撃証人によるものであり、その編纂の仕事はこの目撃証人の弟子や弟子たち(ヨハネ教団)によっておこなわれた、歴史的信憑性の高いものである。
だが、この説明にも批判が寄せられた。たとえば、シュトルマッハーは「第4福音書は・・・イエス詩である」として歴史的信憑性に疑問符をつける、また、I・ブレーアーは「ヨハネ福音書は・・・・文学作品であり・・・歴史的な報告ではない」と批判した。ラッチンガーは当然反発する。この人たちが言っている「歴史的」とはどういう意味なのか。まるで「録音テープのような正確性」(296頁)を求めているが、それはおかしい。むしろヨハネ福音書がイエスの語った言葉、自己証言を正しく伝えているということが重要だ、と論ずる。そこでラッチンガーは再びヘンゲルを使って、「ヨハネ福音書の5つの要素」を紹介する。つまり、このヨハネ福音書に働いている5つの要素のことだ。①著者の神学的な形成意思 ②個人的記憶(想起) ③教会の伝承 ④歴史的現実性 ⑤聖霊の役割 があげられている。ラッチンガーはこれを修正して、②+④は教父たちが「歴史的事実」と呼んでいるもので、テキストの歴史的・字義的意味を指す、また、③+⑤は「個人的記憶」といえるもので、やがてそれは教会共同体の記憶となっていく。つまり伝承となる。ヨハネにおいては記憶の主体は常に複数「わたしたち」とされるからだ。
ここでラッチンガーは興味深い説明に入っていく。それは、ヨハネ福音書は「思い出す」というこの福音書に特徴的な言葉を使うという。特に三つの重要な箇所でこの「記憶(想起)」の重要性が明示される。第一は、ヨハネ2-17で、
「『あなたの家に対する熱情はわたしを焼き尽くす』(詩69-10)と書いて あることを、弟子たちは思い出した」
起きた出来事によって聖書の言葉が思い起こされ、出来事は単なる事実の平面を超えて理解されるようになる、事実が意味あるものとして立ち現れてくる、という。
第二の場面は ヨハネ2-22で、神殿から商人たちを追い出す物語だ。イエスが破壊された神殿を三日のうちに再び建て直すと告知する話が続く。
「イエスが死者のなかから復活されたとき、弟子たちはイエスがこう言っておら れたことを思い出し、聖書とイエスの言葉を信じた」
復活が記憶を目覚めさせる。復活の光のなかに置かれた記憶はそれ以前には理解されなかった言葉の意味を明らかにしていく。言葉と事実が一致していくというわけだ。
第三の場面はヨハネ12-14~16だ。
イエスはろばの子を見つけてお乗りになった。次のように書いてあるとおりであ る。
「シオンの娘よ、恐れるな。
見よ。お前の王がおいでになる。ろばの子に乗って。」(新共同訳)
ゼカリア9-9にはこう記されている。(新共同訳)
娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声を上げよ。
見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗ってくる 雌ろばの子であるろばに乗って。
「・・・ロバの子に乗って」と言われても弟子たちは何のことか初めは解らなかった。だが、復活の後になってはじめてこの事実をどう理解すべきかを悟ったわけだ。復活が記憶を呼び覚まし、新しい理解を与えてくれる。
このように、ヨハネ福音書はこの弟子の記憶をその基礎に置いており、その記憶はわたしたちの、教会の、共同記憶となっていく。ラッチンガーはこのように議論を展開することにより、ヨハネ問題への解答を整理していく。
さて、それでは、ヨハネ福音書の特徴はどこにあるのか。ラッチンガーは二点指摘する。その第一は、この福音書が旧約聖書の基礎の上に立っている、という点だ。ブルトマンたちはこの福音書がグノーシス起源のものと考え、旧約聖書やユダヤ教とは異質のものと見ていたが、実は最近の聖書研究はこの福音書が旧約聖書に基礎を持っていることを明らかにした。ヨハネ5-46,1-16~18はすべてモーセを引用しており、イエスは第二のモーセだと言っている。
第二点は、ヨハネ福音書の典礼的性格だ。ヨハネ福音書のリズムはイスラエルの典礼のカレンダーに沿っている。過越し〈キリスト教の復活祭)、5旬節〈キリスト教の聖霊降臨)、仮庵祭〈キリスト教には引き継がれず)、神殿奉献祭、贖罪祭、など、ヨハネ福音書はユダヤ教の祭りの暦に根を持っている。ユダヤ教の祭りに関しては本書の他の箇所で詳しく取り上げられることになるが、ユダヤ教の影響を受けたこの典礼的性格こそヨハネ福音書の特質といえるのだそうだ。
ということでこの第一節は第8章の「入門的な考察」とされているが、確かに普通[ヨハネ神学」と呼ばれるキリスト論、教会論、終末論についての独自の省察がすべて紹介されているわけではない。福音書の著者と歴史的信憑性に焦点が絞られている。それでも、この福音書では、生前のイエスを描きながらも、人間イエスの成長や発展が描かれず、もっぱら完成されたイエス、そしてイエスの神性が強調されるのはなぜなのか、という素朴な疑問は相変わらず残る。第9章、第10章に期待したい。