カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「ヨハネ問題について」教皇ベネディクト16世『ナザレのイエス』学びあいの会

2017-03-27 21:42:26 | 神学

 2017年3月の「学び合いの会」は厳寒の27日に開かれました。桜の開花宣言が出たというのに昨日から冷たい雨が降り、四旬節そのもの。復活の主日までには暖かくなって欲しいものです。過去数回、ベネディクト16世ヨゼフ・ラッチンガー著 里野泰昭訳『ナザレのイエス』(2008・春秋社、原著2007)をベースに、ヨハネ福音書について学んでいます。この名誉教皇様の本は三部作で、第一部の本書第一巻は、イエスの公生活の半分、ガリラヤの宣教活動からイエスの変容までがとりあげられている。第二巻は『十字架と復活』と題され、エルサレムへの道行きから受難、死、復活が取り上げられる。第三巻は『イエスの幼年時代』と題されている。イエス伝は山ほどあれど、本書は名誉教皇様によるイエス伝、しかもカトリック神学の精髄である。この第一巻はそれほどの名著にもかかわらず492頁にわたる大著のためか(日本語訳)、街の本屋さんには置いてあるところは少ない。、公共図書館でもまずみかけない。ちなみにわたしが所属する教会の図書室にも置かれてない。そこで一応目次だけでも記しておきたい。

     序章 イエスの神秘について
     第1章 イエスの洗礼
     第2章 イエスの誘惑
     第3章 神の国の福音
     第4章 山上の説教
     第5章 主の祈り
     第6章 弟子たち
     第7章 譬えの使信
     第8章 ヨハネ福音書の主要な象徴
     第9章 イエスの道行きを画する二つの重大な出来事
     第10章 イエスの自己表明

 本書は広義の「史的イエス」研究と呼んで良いであろう。19世紀以降の史的イエス研究は、「批判的・歴史的方法」に依拠するようになった。プロテスタント神学でいえば、自由主義神学から弁証法神学(危機神学)への展開の中で進められてきたが、聖書における霊感の反映を重視するカトリック神学では第二バチカン公会議以降、この批判的・歴史的方法を高く評価しながらもその限界を指摘し、新しい方法を模索し始めている。ラッチンガーはそれを「正典指向的聖書解釈」と呼んでいる。本書は史的イエス研究におけるこの新しい方法の彫琢作業と呼んでも良いかもしれない。
 前回は第8章第2節「ヨハネ福音書の主要な象徴」が先に紹介され、水・ぶどうの木とぶどう酒・パン・牧者が説明されたわけである。今日の解説は第8章第1節「ヨハネ問題について」である。S氏の解説はいつものように丁寧に聖書の関連箇所を読み合わせながらなされるため、実に説得力に富んでいた。

 それでは、聖書研究における「ヨハネ問題」とは何か。きわめて単純化して言えば、それは、①ヨハネ福音書の著者はだれか ②ヨハネ福音書に歴史的信憑性はあるのか、の二点といえよう。つまり、ヨハネ福音書の歴史性を疑い、後代に神学的に構成された作品だとする考え方である。
 確かに、共観福音書は「譬え」(メタファー)を重視し、人間としてのイエスを描く。他方、ヨハネ福音書は「象徴」(シンボル)を重視し、イエスの神性を描く。ヨハネ福音書は神秘的な神学書というのが一般的な受け取り方であろう。著者についても内容の高度さからみて二世紀のものではないかと言われてきた。ところが、エジプトのパピルス断片の発見によってこの福音書は一世紀末の成立が確認され(おそらく90年代)、後代成立説は完全に否定された。時代的問題は解決されたわけである。それでは歴史的信憑性の点はどうなのか。書かれている内容は本当に信頼できるのか。使徒ヨハネはイエスより年齢が若いはずだから、もし言われているように殺されておらず、生き延びていたとしても90年代には齢80を超えていたはずで、自ら筆を執って書くことはできなかったのではないか。

 ヨハネ問題の根源はプロテスタント神学の代表者R.ブルトマン(1881~1976)にある。K.バルトとならぶ著名なプロテスタント神学者である。バルトが、『ローマ書』(1919)や、『教会教義学』(1932-67)、特に「創造論」をひっさげて弁証法神学を作っていくなかで、ブルトマンは、共観福音書の「様式史的研究」(Formgeschichte)によって、19世紀の歴史主義的な福音書の理解の限界を指摘し、福音書の理解を「非神話化」した。実存主義的神学者と呼んでも良いかもしれない。様式史的研究方法とは文学研究の一手法のようで、聖書研究に適用された場合は、神話や伝説などを分析して口承段階まで遡り、現在の形式に辿り着くまでの過程を再構成する手法のことのようだ。ブルトマンは、ヨハネ福音書は、旧約聖書やイエス時代のユダヤ教に基づくのではなく、グノーシス主義に起源を持つ、と主張したようだ。キリスト教における受肉という考え方、ロゴスの思想などはグノーシス主義から入り込んだものだという。さらには三位一体という考え方もグノーシス主義から来ているという者さえいる。カト研の皆さんにはおなじみのグノーシス主義は徹底した二元論(霊肉の分離)をとり、マニ教や仮現説などを支える思想である。キリスト教は、特に日本では、二元論だとよく物知り顔に批判する人がいるが、キリスト教は常に二元論を否定してきた。二元論といってもいろいろあるのだろうが、教会はグノーシス主義を批判するのだから当然の思想的立場である。
 ラッチンガーは、このブルトマンの主張、特に『ヨハネ福音書註解』(1941)の主張を批判し、ヨハネ問題への解答を導き出す。結論を先取りして言えば、ヨハネ福音書の「実質的」著者は、ゼベダイの子ヨハネであり、書いたのがヨハネ本人ではないにせよ、かれの弟子、孫弟子など使徒ヨハネの身近にいた人である。ヨハネ教団に属する人々は、ヨハネの手紙Ⅱ、Ⅲを書き、黙示録を書いた人々である。また、歴史的信憑性についても、ヨハネ福音書は旧約聖書にしっかりと基づいており、グノーシス主義に基づいているとは言えないと述べる。
 ラッチンガーのブルトマン批判は、まず、M.ヘンゲルの『ヨハネ福音書の問題』(1993)を使いながらなされる。聖書研究の進展はブルトマンのヨハネ福音書詳解の主張が「誤りから自由ではない」〈286頁)ことを明らかにしたのだという。今日の聖書研究は四つの研究成果を明らかにしたという。①ヨハネ福音書はイエスの時代のパレスチナを知り尽くした人、時と場所について非常に詳しい知識を持っている人の著作である ②旧約聖書を基にし、そこに深く根ざしている ③エルサレムの中流階級・上流階級が使っていたコイネー(ギリシャ語、共通語)で書かれている ④ヨハネ福音書の由来はエルサレムの祭司階級で、かなりの部分は大祭司階級の言葉で書かれている。
 では、ヨハネ福音書の著者は誰か。教会は、司教エイレナイオス(2世紀)以来、著者はゼベダイの子ヨハネである、と言ってきた。ヨハネ19-34~35,19-26,21-24,13-23など、福音書の記述は一人の証人に帰せられ、イエスが愛する弟子と呼んだ者としてきた。
 しかし、近世にいたってこの考えに多くの反論がなされた。主な反論は、①果たしてガリラヤの一介の漁師に、祭司階級が使っていた言語でこの難しい文章が書けたのか ②果たして大祭司の家族とコネがあったのか、というものであった。言われてみればもっともな反論である。

 だが、ラッチンガーはフランスの聖書学者アンリ・カゼルの著書(Ein Sohn des Zebedaeus,2002、未邦訳)を使ってこの反論を批判、否定していく。ヨハネは大祭司の知り合いであり、ゼベダイは漁師の長で、しかも祭司の可能性が大である。ヨハネ福音書の実質的著者はゼベダイの子ヨハネである可能性が大であるという。また、編集者は、使徒ヨハネとは別人の長老ヨハネで、使徒ヨハネの伝承を忠実に守ってヨハネ福音書の最終的なテキストの形成・編集をおこなったとみられるという。ちなみにこの長老ヨハネは、ヨハネの手紙Ⅱ、Ⅲの著者と目されているらしい。使徒ヨハネの遺稿管理者と呼ばれているようだ。つまり、ヨハネ福音書は一人の目撃証人によるものであり、その編纂の仕事はこの目撃証人の弟子や弟子たち(ヨハネ教団)によっておこなわれた、歴史的信憑性の高いものである。

 だが、この説明にも批判が寄せられた。たとえば、シュトルマッハーは「第4福音書は・・・イエス詩である」として歴史的信憑性に疑問符をつける、また、I・ブレーアーは「ヨハネ福音書は・・・・文学作品であり・・・歴史的な報告ではない」と批判した。ラッチンガーは当然反発する。この人たちが言っている「歴史的」とはどういう意味なのか。まるで「録音テープのような正確性」(296頁)を求めているが、それはおかしい。むしろヨハネ福音書がイエスの語った言葉、自己証言を正しく伝えているということが重要だ、と論ずる。そこでラッチンガーは再びヘンゲルを使って、「ヨハネ福音書の5つの要素」を紹介する。つまり、このヨハネ福音書に働いている5つの要素のことだ。①著者の神学的な形成意思 ②個人的記憶(想起) ③教会の伝承 ④歴史的現実性 ⑤聖霊の役割 があげられている。ラッチンガーはこれを修正して、②+④は教父たちが「歴史的事実」と呼んでいるもので、テキストの歴史的・字義的意味を指す、また、③+⑤は「個人的記憶」といえるもので、やがてそれは教会共同体の記憶となっていく。つまり伝承となる。ヨハネにおいては記憶の主体は常に複数「わたしたち」とされるからだ。

 ここでラッチンガーは興味深い説明に入っていく。それは、ヨハネ福音書は「思い出す」というこの福音書に特徴的な言葉を使うという。特に三つの重要な箇所でこの「記憶(想起)」の重要性が明示される。第一は、ヨハネ2-17で、

「『あなたの家に対する熱情はわたしを焼き尽くす』(詩69-10)と書いて あることを、弟子たちは思い出した」

 起きた出来事によって聖書の言葉が思い起こされ、出来事は単なる事実の平面を超えて理解されるようになる、事実が意味あるものとして立ち現れてくる、という。
 第二の場面は ヨハネ2-22で、神殿から商人たちを追い出す物語だ。イエスが破壊された神殿を三日のうちに再び建て直すと告知する話が続く。
「イエスが死者のなかから復活されたとき、弟子たちはイエスがこう言っておら れたことを思い出し、聖書とイエスの言葉を信じた」
 復活が記憶を目覚めさせる。復活の光のなかに置かれた記憶はそれ以前には理解されなかった言葉の意味を明らかにしていく。言葉と事実が一致していくというわけだ。
 第三の場面はヨハネ12-14~16だ。

イエスはろばの子を見つけてお乗りになった。次のように書いてあるとおりであ る。
「シオンの娘よ、恐れるな。
見よ。お前の王がおいでになる。ろばの子に乗って。」(新共同訳)

ゼカリア9-9にはこう記されている。(新共同訳)

娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声を上げよ。
見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗ってくる 雌ろばの子であるろばに乗って。

「・・・ロバの子に乗って」と言われても弟子たちは何のことか初めは解らなかった。だが、復活の後になってはじめてこの事実をどう理解すべきかを悟ったわけだ。復活が記憶を呼び覚まし、新しい理解を与えてくれる。
 このように、ヨハネ福音書はこの弟子の記憶をその基礎に置いており、その記憶はわたしたちの、教会の、共同記憶となっていく。ラッチンガーはこのように議論を展開することにより、ヨハネ問題への解答を整理していく。

 さて、それでは、ヨハネ福音書の特徴はどこにあるのか。ラッチンガーは二点指摘する。その第一は、この福音書が旧約聖書の基礎の上に立っている、という点だ。ブルトマンたちはこの福音書がグノーシス起源のものと考え、旧約聖書やユダヤ教とは異質のものと見ていたが、実は最近の聖書研究はこの福音書が旧約聖書に基礎を持っていることを明らかにした。ヨハネ5-46,1-16~18はすべてモーセを引用しており、イエスは第二のモーセだと言っている。
 第二点は、ヨハネ福音書の典礼的性格だ。ヨハネ福音書のリズムはイスラエルの典礼のカレンダーに沿っている。過越し〈キリスト教の復活祭)、5旬節〈キリスト教の聖霊降臨)、仮庵祭〈キリスト教には引き継がれず)、神殿奉献祭、贖罪祭、など、ヨハネ福音書はユダヤ教の祭りの暦に根を持っている。ユダヤ教の祭りに関しては本書の他の箇所で詳しく取り上げられることになるが、ユダヤ教の影響を受けたこの典礼的性格こそヨハネ福音書の特質といえるのだそうだ。

 ということでこの第一節は第8章の「入門的な考察」とされているが、確かに普通[ヨハネ神学」と呼ばれるキリスト論、教会論、終末論についての独自の省察がすべて紹介されているわけではない。福音書の著者と歴史的信憑性に焦点が絞られている。それでも、この福音書では、生前のイエスを描きながらも、人間イエスの成長や発展が描かれず、もっぱら完成されたイエス、そしてイエスの神性が強調されるのはなぜなのか、という素朴な疑問は相変わらず残る。第9章、第10章に期待したい。

 

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「天から下り」神学講座『イエス・キリストの神』(その5)

2017-03-06 23:41:43 | 神学

 2017年3月6日の神学講座は春の大雨にたらられ、参加者は20名いかなかったでしょうか。ベネディクト16世著 里野泰昭訳『イエス・キリストの神 ー 三位一体の神についての省察』(2011)の第2章に入りました。この章は4節からなっていますが、今回はその第1節「天から下り」が説明されました。第2節は「そして人となった」、第3節は「父と同一本質」、第4節は「聖書にしたがって復活し」、と題されています。
 この第2章は基本的に三位一体論の説明ですが、第1節は「天から下り」と題されています。つまり、ニケア・コンスタンチノープル信条のキー概念が節の題名になっているわけです。第1節の内容としては、「天」の概念と、「下る(降る)」の意味が、ダニエル書第7章と、ヘブライ書第10章を使って、論じられます。黙想会の講話とはいえ、ラッチンガーの考え方の特徴が良く出ている節です。

 三位一体論は、信仰宣言としては3つの祈りの中に明示されている。①使徒信条 ②ニケア・コンスタンチノープル信条(訳書はニカイアと表記) ③洗礼式の信仰宣言 だ。この三つはどの祈祷書にも含まれている。「主の祈り」と「アヴェ・マリアの祈り」(昔の「聖母マリアへの祈り」と「天使祝詞」はもはや用いられない)とともに、欠かせない祈りだ。
 ラッチンガーは、「(ニカイア)信条の新しい翻訳は「天からの下降」についてのこの言葉を省いています」(65頁)というところから講話を始める。えっ、省いているって何のこと? われわれがいつも唱えているニケア・コンスタンチノープル信条には「・・・主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、・・・」と書かれている。使徒信条には「・・・陰府(よみ)に下り・・・」とある。ちゃんと書かれているではないか。どうもこれはドイツ語の信条の新しい翻訳では省かれていて、ラッチンガーはそれはけしからん、この文言は重要で必要なものだ、と言おうとしているようだ
 ところで、「天から下り」での「天」とはなんなのか、「下る」とはどういうことなのか。下り先は、新共同訳では「陰府」と訳されているが、昔は「古聖所」とか「リンボ」(Limbo,ラテン語でLimbus)と呼ばれていたものだ。下るとは行為なのか、陰府とは場所なのか。

 H神父様はここですぐに本文の解説に入る前に、使徒信条、ニケア・コンスタンチノープル信条について詳しい説明を始められた。使われた資料は 阿部仲麻呂著『使徒信条を詠む』(2014)である。ここでそのすべてを紹介する紙幅はないが、とても興味深い説明であった。
 使徒信条 Apostles' Creed (Symbolum Apostolorum)は2世紀から3世紀にかけて練り直されていき、現在の形になったのは8世紀頃らしい。使徒信条の元となった「古ローマ信条」は迫害者たちから自分たちを守り、洗礼を授けるときに使われた儀式文に使われたという。カト研の皆さんには言わずもがなですが、日本語の「信条」は「信仰告白の祈り」という意味で、使徒信条は構造を持っている。前半は三位一体の神への信仰告白で、①神 ②イエス・キリスト ③聖霊 を信じる、となっている。後半は教会への信仰告白で、①聖なる普遍の教会②聖徒のまじわり③罪のゆるし④からだの復活⑤永遠のいのち、を信じる、となっている。しかも興味深いのは、「信じる」主体は「単数形のわたし」であって、「わたしたち」という複数形ではないということらしい。ニケア・コンスタンチノープル信条では、本来、主語は複数形で、信じる主体は「わたしたち」であった。つまり二つの信条では主体が異なっていたらしい。もちろん現在では(カトリックでは)ニケア・コンスタンチノープル信条の信じる主体は単数形だ。もっとも、東方教会では今でも複数形らしいが(ギリシャ語)、西方教会〈ローマ、カトリック)ではラテン語に訳すときに単数形に切り替えて、使徒信条との整合性を優先させたという。
 日本語訳で見ると、使徒信条では主語が単数形か複数形かははっきりしないが〈日本語だからはっきりしなくともわかるが)、ニケア・コンスタンチノープル信条では「わたしは信じます」とはっきり単数形になっている。単数形か複数形かの違いの神学的意味はわたしにはわからないが、もっと興味深い話は、使徒信条が教会外からの迫害に打ち勝つために元々からギリシャ語で口伝えで伝承され、主に洗礼式で自分の信仰を宣言するために作成されたものらしい。だから使徒信条は「洗礼信条」とも呼ばれるらしい。他方、ニケア・コンスタンチノープル信条は325年のニケア公会議で宣言された信条が、381年の第一ノンスタンチノポリス公会議において内容を補足・洗練されたうえで決定されたもので、「公会議信条」とも呼ばれるらしい。ニケア信条とか、コンスタンチノープル信条とか簡単に呼べば良いのにと思うが、なぜわざわざ二つの公会議の名前をつけるのか、なにか理由があるのだろうがわたしにはわからない。名称よりむしろ興味深いのは、このニケア・コンスタンチノープル信条が決定された経緯だ。阿部仲麻呂氏は、使徒信条とは異なって、「教会内の分裂を解決するために」宣言されたのだという。つまり、313年のミラノ勅令 Edict of Milan でキリスト教がローマ帝国で公認(認定、これもいろいろな説明が可能だろうが)されたあと、キリスト者同士の見解の相違を調停する「信仰理解の基準」として制定されたのだという。使徒信条が外敵から自分を守るための祈りなのに対し、ニケア・コンスタンチノープル信条は内部分裂を阻止するための祈りだ、ということのようだ。
 現在のごミサでも、いつ頃からか、10年ほどは経つのではないか、使徒信条の代わりに、ニケア・コンスタンチノープル信条を唱えるようになった。使徒信条なら短いので誰でも暗記しているが、ニケア・コンスタンチノープル信条は暗記はとても無理なほど長い。わたしの所属教会ではラミネート張りのお祈り文が用意されている。「平和を願う祈り」と「司祭の召命を願う祈り」も長いので、使徒信条に戻りたいところだ。

 さて、本文に戻ろう。ドイツの「ニカイア信条」では、なぜ「天からの下降」という言葉が省かれているのか。それはこの言葉が現代人の感覚に合わないため、外されたというのだ。現代人の感覚とはなにか。ラッチンガーは3つの理由をあげ、そのおのおのを批判しながら、この言葉が持つ意味を詳しく説明していく。第一の理由は、神が天から下るのなら、神の行為は人間に依存するのか、それはおかしいのではないか、という感覚だ。第二の理由は、「天から下る」と言うとき、なにか空間的な「三階建ての世界像」が前提されているのではないか、という感覚だ。神は上の方、雲の上に住み、人間は下に住んでいる、という感覚だ。この感覚はおかしいというのがこの表現を省きたい現代人の思いではないか、というのがラッチンガーの説明だ。これはこれでもっともな話で、神話的な「天」のとらえ方は現代的ではない。
 とはいえ、ここで、H神父様は刺激的な議論を展開された。ラッチンガーの言っていることはもっともだけれど、逆に言えば、われわれ現代人はいま、天を見上げる、空をみる、ことを忘れているのではないか、といわれた。幼稚園のこどもはお祈りするとき上を見る、天を仰ぐ。下を見て、うつむいてお祈りする子どもはいない。幼稚園児や教会学校の子どもたちに絶大な人気のあるH神父様ならではの感想であった。大人の皆さんは、最近、空を見たり、星を見たり、月を見たことがありますか、と問われた。祈るとは天を仰ぎ見ることなのだ、と言われたかったのであろう。
 第三の理由が最も重要な理由に思われた。「天から下る」というのは「上から見下す」態度につながり、これはすべての人は平等だという現代人の平等観に反するからだという。現代人の平等思想に従えば、「天から下る」よりも「力あるものを王座から引き下ろす」という聖書の言葉の方がよほど感覚にマッチする。さらに言えば、現代人は、神の下降を待たずに、自分の力だけで、力あるものを引きずり下ろしたいのではないのか、とラッチンガーは言う。現代人は「人間の自由と平等と尊厳のためにすべての上を廃位することを欲する。」現代人は、「すべてにおいて平等で、固定した基準点のない世界像」におかされている。ラッチンガーはこの世界像を批判する。誰かを廃位してもかならず誰かがそこにすわる。社会学的に言えば、地位の不平等は、現代社会、いや社会そのものの変わることのない機能的特性なのだ(格差の存在は不可避だという意味ではない)。ラッチンガーは言う。だが、神が降りてきたのであれば、神は下にいるのであり、下から支えている。下に降りてきた神によって世界像も人間像も変わるという。これは神学的に言えば、「自己贈与」の議論である。現代人をむしばんでいる基準点のない平等思想を批判する考え方だ。近代社会が生み出した、または、近代社会を生み出した、平等思想をこれだけで論ずることはもちろんできないが、ラッチンガー神学の射程の深さ・長さを示す論点である。
 ここでラッチンガーはなんとニーチェ(1844~1900)を引用する。現代人はニーチェの言う「未だ確定されざる獣」だと、肯定的に引用する。訳文としては他の訳、たとえば「確立されていない動物」などいろいろあるようだが、反キリスト教の立場から「神は死んだ」と宣言し、「超人」を理想として追い求めたニーチェを引用するのだから、ラッチンガーの懐の広さには感服する。
 ラッチンガーは言う。下降について理解しようとするのならば、「天」を正しく理解しなければならない。日本語でも「天」という言葉にはいろいろな意味が付されている。ここでは「燃える柴の火」の神秘として「天」が理解される。旧約で言えば、モーゼがホレブ山で体験した神の顕現であり(出エジプト記3:2-4)、新約で言えば、マルコ12:26や、ルカ20:37などだ。要は、火は神の下降だ、という。「神は失われた者たちのところへ来る」という。
 つまり、「世界の上の階から下の階に下りてくるという地理学的な降下はありません」というわけだ。神の下降は、バベルの塔の物語においてはじめて出てくる。〈創世記10:10、バベルとはバビロンのこと)。しかしこの神は旧約全体を貫く「怒る神」だ。新約の「救済の神」ではない。そこでラッチンガーは旧約と新約から1書ずつ選んで、「神の下降」を説明していく。
(1)ダニエル書第7章における獣と人の子
ダニエル書は紀元前167年から163年の間に書かれ、内容は前半1~6章はバビロン捕囚時代を背景としたダニエルの物語で、後半7~12章は黙示文学と呼ばれるらしく、いかなる迫害のもとでも信仰者は正しく生き抜くことができると言っているという。ラッチンガーはダニエル書では「神の下降」は、神の子イエスが人の子として獣たちの間に現れたことをさすという。
(2)ヘブライ人への手紙第10章における霊的出来事としての下降
このヘブライ人への手紙は昔はパウロの書簡と言われていたが、今はその説は否定されているらしい。とはいえ、この書は神学的に高度なキリスト論を展開しているのだという。イエスは永遠の大祭司で、モーゼを超えているという考えで貫かれているという。ラッチンガーはこの書を詳しく説明しながら、イエスの下降は、自己放棄であり、自己贈与のことであるとする。つまり、「従順」こそイエスの下降の意味だという。ここでは受肉論が展開されるが、この義論は次節につながるのでここでは触れない。

 H神父様は、最後に、ラッチンガーの予型論(typology)的説明に若干疑義を挟まれた。予型論とは旧約の出来事の中にイエスの出来事を示す型の議論のことを指す。新約から、イエスから、旧約を眺めれば、イエスの「下降」を予期しているような表現に出会うのは、当然である。ラッチンガーは繰り返し旧約に立ち返り、「神の下降」を説明する。だが、それをあまりにも強調してしまうと、聖書の教えがドグマ化してしまう。むしろ、われわれが信じているのは、教義だけではなく、神を信じているのだということを忘れてはならない、と強調しておられた。H神父様らしいもっともなコメントだった。

 

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