今日八月十五日はカトリック信者にとっては複雑な日だ。聖母の被昇天の祝日であり、終戦記念日であり、お盆の日でもある。
今日のごミサでは神父様は白の祭服を着る。聖櫃も祭壇も説教台も白色で覆われる。白は喜びの色だ。お祝いなのである。挨拶をするとするなら「おめでとうございます」なのだ。
今日のごミサは多くの方が参列された。普段の日曜日のミサと変わりないくらいの出席者の数だった。この異常な酷暑の中、高齢者がこれだけ集まるのだから、被昇天の祝日の重要性がわかる。聖母の被昇天の祝日は、教会ではイースター、クリスマスについて3番目に重要な日なのである。
今日の福音書朗読はルカ1:39~56だった。マリアがエリザベトを訪ねるシーンだ。マリア崇敬の中核部分で、よく知られている箇所だ。神父様はお説教でマリアとエリザベトを対比させながら、「なぜマリアが最初に挨拶したのか」と問われた。普通に考えれば、まずエリザベトが最初に挨拶しても良さそうなのに、ということだ。神父様はマリアの従順ということをおっしゃりたかったのだろうが、話があちこちに飛んでしまったのは残念だった。神父様もマリア様についていろいろと話したいことがおありだったようだ。今日がお盆の日であり、同じ時間帯に戦没者追悼式が催されていることに触れられることはなかった。
同じような感想を数年前のブログで投稿したことがある(1)。この時はコロナ禍の最中だったので、ブログのトーンに明るさはない。現在はコロナ禍をなんとか乗り切ったという安心感が勝っている。今日のミサは力強いものであり、神父様のお説教も励ましの言葉であった。鎮魂の日が同時に喜びの日でもあることの意味をかみしめたい。
【祭壇の白】
注
1 「被昇天祭と終戦記念日 ー 「主よ、どうかお助けください」 (2020-08-16)