従兄弟が「咸臨丸子孫の会」の関係者ということで「咸臨丸フェスティバル」に初めて顔を出してきた。フェスティバルは要は地元のお祭りで、咸臨丸は浦賀を出港したということだけのことで、お祭りとはあまり関係ないようだった。吹奏楽団が入ってなにか式典がおこなわれていた。
従兄弟は幕府遣米使節随伴艦の咸臨丸の測量方(士官)の小野友五郎広胖(1817-1898)の末裔だ。咸臨丸は最初に太平洋を渡った日本の船と言うことで広く知られている。出港は1860年1月のことだったという。
勝海舟、ジョン万次郎、福沢諭吉など歴史上の人物の名前は知られているが、小野友五郎も重要な人物だったらしい。測量士というよりは幕末の数学者として知られているようだ。船上での勝や福沢は小野からは頼りなく見えたようだ。
わたしは咸臨丸よりは「浦賀ドック」に興味があった。レンガ造りのドライドックまたは乾ドック(1899年建造)で残っているのはここだけで、1世紀にわたって1000隻を超える艦船をつくってきたという。その巨大さに驚くとともに、用いられたレンガがフランス式からイギリス式に変わるなど興味深い説明もあった。特に「盤木」(ばんぎ)の説明は面白かった。盤木の下のコンクリートには穴が開いていて、これで巨大な船の位置の微調整をしたという。ドックゲートは前傾式で開閉したらしく、海面との位置関係が不思議な印象を与える。予備知識があればもっと楽しめたことだろう。
【浦賀ドック】