難しいテーマなのでS氏主張の論点のみを要約しておきたい。
イスラムはユダヤ教とキリスト教から発生した宗教であるから、キリスト教との共通点は多い。共通点と異なる点をまとめと次のようになる。
1 共通点
ムハンマドは文盲だったとも言われ、聖書を読んだことも聖書朗読を聞いたこともなかったと言われる。ただ、ユダヤ教徒やキリスト教徒との交流を通じて聖書の内容は知っていたと思われる。 創世記25章に依拠して、アラブ人はアブラハムーイシュマイルの子孫と考えていたようだ。
教義上の共通点:
神の唯一性・偶像崇拝の禁止・無からの創造・天使と悪魔の存在・啓典の書・最後の審判・肉体の復活・永遠の生命・地獄の刑罰
預言者:
旧約聖書の多くの人物を預言者として認める:アダム・ノア・アブラハム・イサク・イシュマイル・ヤコブ・ヨゼフ・モーセ・ダビド・ソロモン・エリア・天使ガブリエル
新約からは:ザカリア・洗礼者ヨハネ・イエスとその母マリアへの言及
6信5行:
6信の内容もほぼ同じ。ただしカトリックは「予定」説をみとめない。
5行も類似:信仰告白・毎日5回の祈り(聖務日課)・喜捨(愛の献金)・断食・巡礼など
2 異なる点
①イスラムには原罪の思想がないので、贖い主(メシアーキリスト)の存在を必要としない。ムハンマドはあくまで使徒であり、人間であり、神的存在ではない。この点ではユダヤ教に近い。だから三位一体論がない。これはキリスト教との最大の相違点といえる。
②コーランは天使ガブリエルを通して伝えられた神の言葉そのもので、「一人称」で書かれている。新約聖書にはイエスの言葉が書かれているとはいえ、使徒たちの聞き伝えだ。新約聖書は基本的に初代教会の信徒の信仰告白である。
③共同体の在り方が異なる。イスラム共同体は宗教団体であると同時に政治的共同体でもある。政教一致だ。これに対しキリスト教は宗教団体であって政治的共同体ではない。
3 両者の関係
①ムハンマドはユダヤ教徒とキリスト教徒を啓典の民として認め、人頭税を支払うことと引き換えに宗教的自由と安全を保証した(1)。
②ムハンマドの死後、イスラム神学者たちはキリスト教との対決姿勢を強める。武力によってキリスト教徒を支配し、勢力を拡大した。
③十字軍は、セルジューク・トルコ(1038-1194)がキリスト教徒巡礼者を迫害したため、聖地をイスラム教徒から奪回する試みだった。ウルバン(ウルバヌス)2世教皇の説教(クレルモン教会会議 1095)が発端。この戦争の記憶が今日に至るまでイスラム教徒とキリスト教徒の友好の妨げとなっている。
④十字軍の後イスラム教徒はキリスト教世界を侵略する。オスマン・トルコは1453年にコンスタンチノープルを占領して、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は滅亡した。15~17世紀には、ハンガリー・バルカン半島・北アフリカにまたがる大帝国を築き、キリスト教諸国を圧迫する。
【オスマン艦隊の山越え】
⑤現在は、イスラム諸国はイスラム圏外の国とも国交を樹立する。キリスト教世界との意見交換の気運も高まる。第2バチカン公会議は他宗教との対話を重視し、「教会はイスラム教徒を尊重する」と宣言する。現在多くのイスラム国家がバチカンと外交関係を持っている。両者の相互理解と対話促進が進んでいる(2)。
注
1 人頭税(head tax,poll tax)とは資産や納税能力に関係なく一人一人に一定額の税金を課すこと。物納もある。税額に貧富の差はない。しかも自由と安全を保証するのだからよいことのように聞こえるが、そういうわけでもない。人頭税の改廃が中世の歴史を貫いていく。尚、現在、人頭税の制度をとっている国はないといわれる。
2 S氏のこういう整理の仕方はあまりに護教的だとすぐに反論が出るだろう。日本の世界史関連の本では決して目にすることがない視点だからだ。また、現在の中近東、中央アジアのイスラム世界を見るとき、この整理は楽観的すぎると言う人もいるだろう。会の終了後質疑応答があったわけでもないので参加者の皆さんの意見は解らなかったが、異論がでたわけではない。歴史は和解と対決は二者択一ではないことを教えてくれている。