カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

3年ぶりの教会バザーは盛会だった

2023-10-29 21:45:26 | 教会


 教会でバザーが3年ぶりに開かれた。出店数や出し物はだいぶ数が減ったようだが、それでも3年ぶりの開催ということで大賑わいだった。喫茶室は満室で人が入りきれなかったし、焼きそばはいつも通り一番人気だったようだ。サンパウロも出店していて、来年のカトリック手帳やカレンダーはすぐに売り切れになったようだ。わたしのなかなか手に入りずらい本やクリスマスカードをいくつか購入することができた。神父様や一時滞在中のベトナムからの神学生も信者に囲まれ楽しそうであった。
 こうしてバザーが開かれてみると、教会がコロナ禍をなんとか乗り越えることができたことが実感できた。


【バザー2023の風景】

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クリミア半島は誰のものか ー ロシアのメンタリティ(2)

2023-10-26 10:23:34 | 教会


 ウクライナに侵攻するロシアの主張の背景として4点指摘されていた。少し見ておこう(1)。

①ロシアの被害者意識

 ロシアの歴史は9世紀のキエフ公国建設に始まり、モスクワ公国に繋がるが、高い山脈や大河のような天然の要害のない大平原に生まれた弱小国で、常に外敵(モンゴル・ポーランド・リトアニア・スウェーデンなど)の侵略と支配を受け、弱小国の被害者意識がロシアのDNAとなった・・・要するに、ロシアは世界最大の領土を有しても常に外敵に襲われるという被害者意識を捨てられないのである(2)。

②ウクライナの独立性の問題

 要はウクライナは独立国だったのかロシアの一部だったのか、と言う話しだ。
ウクライナはロシアと同じスラブ民族で、言語も同一ではないが近い関係にある。歴史的にはキエフ公国が先行したとはいえ、ウクライナは長い期間ロシアの支配を受けてきた。17世紀のロシア帝国時代以降300年にわたってウクライナはロシアの一部であった。これをもってプーチンはウクライナはロシアと一体でロシアの一部であると主張する。

 ウクライナから見れば、ウクライナはロシアの支配に満足していたわけではなく、ロシアからの独立がウクライナ人の念願であった。1917年のロシア革命で帝政ロシアが崩壊した機会を捉えてウクライナは独立を宣言するが、わずか2年間でボルシェビキ軍によって潰された。ウクライナが独立国となったのは1991年のソ連邦崩壊によってである(3)。
 つまり、ロシアから見ればウクライナはロシアの一部であり、ウクライナから見れば別の国である、ということになる。

③NATOの東進の問題

 1990年代から2000年代にかけて東欧諸国は続々とNATOに加盟した(4)。プーチンがウクライナに侵攻したのは、NATOは1ミリも東に進ませないと約束したのに、その約束が反故にされて激怒したからだと言われる。

 1989・11・9 ベルリンの壁 崩壊
 1990・1・3 ドイツのゲイシャー外相がNATOの不拡大を表明
 1990・2・9 アメリカのベーカー国務長官がNATOの不拡大を表明
 1990・2・16  ドイツのコール首相はモスクワ訪問中にゴルバチョフにNATO不拡大を約束し、ドイツ統一の承認を得る
 1990・2・24 米独首脳会談でブッシュ大統領とコール首相はNATO不拡大方針を撤回

 このあと東欧諸国は続々と自発的にNATOに加盟していく。1990年の独首相の約束は口頭の約束で文書化されていなかった。プーチンはこれもアメリカの陰謀であると主張しているようだ。こうしてソ連邦は解体し、米ソ冷戦は米国の勝利に終わったとされる。

④マイダン革命によるロシアのウクライナ政策の大転換

 ウクライナが独立したのは1991年のソ連邦崩壊の時であるから、今日まですでに32年を経ている。だが当初ウクライナは親ロ政権が23年間続き、事実上ロシアの勢力圏のなかにあった。ロシアは黒海艦隊の母港であるクリミア半島のセバストポリ軍港(ウクライナ領)を安心して利用することが出来た(5)。
 そもそもクリミア半島はオスマントルコ領であり、それをロシアが奪い取ってずっとロシア領であった(6)。1954年にフルシチョフはこれをウクライナに与えたが、当時はウクライナもソ連邦の一部であったからなんら問題はなかった。

 2014年に親ロシア政権に不満を募らせたウクライナ国民は大規模な反政府デモによって政権を倒し、大統領はロシアに亡命し、親西欧政権が誕生した。いわゆるマイダン革命である(7)。これはロシアにとっては大きな衝撃であり、セバストポリ軍港が西側の手に落ちると考えたプーチンは国家存亡の危機と捉え、直ちにクリミアに侵攻、ウクライナは全く抵抗せずにロシアは数日で侵攻に成功した。以来両国でこの半島をめぐる争いが続いている。

 2022年2月24日にプーチンはウクライナ全領土の掌握を目指して改めてウクライナに侵攻した。前回の経験から侵攻はたやすく成功するだろうという目論見はウクライナ側の意外な抵抗によって裏切られた。この8年間でウクライナはかなり軍備を増強充実していたのである。つまり、2014年を境にロシアの対クリミア政策は大転換したと言える。

結び

 西側がロシアを攻撃しようという意図を持っているとは言えない。同じようにウクライナがロシアの一部であるという主張には無理がある。歴史上はともかく、現在ウクライナは国際的に認められた独立国である。
 よってロシアの立場を斟酌したとしても、ロシアのウクライナ侵略は到底正当化されるものではない。プーチンはロシア皇帝あるいはスターリンの後継者を自負し、大いなるソ連の再現を夢見ているようであるが、今年4月のフィンランドや昨日のスウェーデンのNATO加盟(8)に見られるとおり、現実は逆方向に向かっているのではないだろうか。

懇談
 以上がS氏の報告の概略である。このあと参加者からの質問があり、活発な意見交換がおこなわれた。特にクリミア半島についての意見が多かった。結論的には、ロシアは意外にも弱い国なのではないか、核で脅すプーチンはなにかに怯えているのではないか、というのが皆さんに共通の認識のように聞こえた。


【ヤルタ クリミア半島】



1 表題は「ロシアのメンタリティ」となっており、このメンタリティとは何を意味しているのか。当初から聞き慣れない言葉だったのでずっと考えていた。S氏の話の後からの印象ではどうもロシアの「被害者意識」などのことを指しているようだ。わたしはロシア(人)の国民性のことかと想像していたがそうでもないらしい。メンタリティという言葉はどうも社会科学の用語ではないらしく、岩波の哲学思想事典にもキリスト教辞典にも載っていない。広辞苑には「精神構造・心的傾向」とあるだけで説明になっていない。新明解にはやっと「言動や態度に反映される・・・気持ちの持ち方やものの考え方」とある。ハビトゥスのような社会意識ではなく、個人の行動様式や意識形態を指す言葉のようだ。
なお、前稿の注4で「①の立場をとる論者」は「②の立場をとる論者」のタイポである。
2 被害者意識説はロシアの国民性論でよく言及されるが、同時に「大国意識」説も根強い。この両意識の併存はどうしてもロシア正教の特徴を論じないとうまく説明できないようだが、今回は十分には触れられなかった。
3 1991年までのソビエト連邦の構成国はウクライナ以下10カ国と中央アジア5カ国をあわせて15カ国だった。
4 NATOはNorth Atlantic Treaty Organizationの略で、北大西洋条約機構と訳されている。1949年に設立され、加盟国はトルコを含め現在31カ国。本部はベルギーのブリュッセルにある。旧ソ連を敵国と想定して設立された軍事同盟である。EUは経済連携で別組織と言われるが、重複国が多い。
5 ロシア海軍の主要な艦隊は黒海艦隊、バルチック艦隊、太平洋艦隊、北方艦隊と言われるようだ。
6 第一次ロシア・トルコ戦争は1768年。クリミア戦争は1853~56年。
7 マイダン革命 Maidan Revolution (ユーロ・マイダン革命、尊厳の革命とも)は2004年のオレンジ革命(ウクライナの民主化運動)に続く革命と言われる。革命が広場や公園から始まったのでマイダン(ウクライナ語で広場を意味するようだ)革命といわれるという。
8 「トルコ大統領府は(10月)23日、エルドアン大統領がスウェーデンのNATO加盟を認める議定書に署名し、トルコ議会に提出したと明らかにしました」(テレビ朝日)。

 

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カトリックは「ウクライナ戦争」をどう見るか ー ロシアのメンタリティ

2023-10-25 09:21:31 | 教会

 今日は久しぶりに教会の「アカシアの会」(1)に出てきた。この会の毎月一回の例会自体もコロナ禍で永らくお休みだったようで、今日の出席者は10名ほどだった。皆さん高齢者ばかりだがどなたも論客で、楽しくも有益な懇話会だった。

 今日の話題提供者はSさんで、テーマは「ロシアのメンタリティ」 というものだった。わたしはテーマに惹かれて(2)、ロシア正教の正統派と古儀式派の比較の話し(3)かと期待して出かけたが、実際には「ー ウクライナ戦争に関連して」というサブタイトルが付加されていて、極めて時事的な話題であった。わたしはこのブログではあまり時事的な話題は取り上げないことにしているのだが、今日はテーマがテーマなので少しカレントなテーマに触れてみたい。Sさんの結論は、「たとえロシアの立場を斟酌したとしても、ロシアのウクライナ侵略は到底正当化できるものではない」というものであった。妥当な結論だが、問題はロシアの立場をどのように「斟酌する」かだ。

 Sさんはまず、ウクライナ戦争についての東西両陣営の考え方の相違を次のように整理した。

①西側陣営の考え方
ウクライナは独立国であり、これを侵略することは明らかに国際法と国連憲章の違反であり、許されない。


②ロシアの考え方
歴史的・人種的・文化的・地政学的にウクライナはロシアの一部であり、ウクライナ国民は親ロシアである。アメリカの陰謀により、国民の意思に反したファシスト政権がウクライナを奪取した。従って、ロシアのウクライナ侵攻は、奪われた土地を回復する個別的自衛権の行使であり、国際法や国連憲章で認められた行為である。

 言うまでも無く両者の考え方は対立しており、西側に属する日本の多くの人は①の立場をとる。だが、②の立場をとる人もいないわけではない、と説明された(4)。

 ついで、「ロシアの主張の背景」が4点指摘され、おのおのについてSさんの持論が展開された。

①ロシアの被害者意識
②ウクライナの独立性の問題
③NATOの東進の問題
④マイダン革命によるロシアの対ウクライナ政策の大転換

 どれも細かい話しだったので、おのおのについての説明の紹介は次回にまわしたい。

 

【ウクライナ戦況地図】(朝日新聞デジタル)

 


1 「アカシアの会」とは当教会の司牧部に所属する高齢者向けの懇話会だという。もともと女性の集まりだったが、近年は男性も参加するという。毎月誰かがなにかのテーマで話をし、おしゃべりを楽しむ会のようだ。会の終わりにはかならず「童謡」を皆で一緒に歌うのが習わしらしい。今日は、「埴生の宿」と「旅愁」をSさんのオルガン演奏で歌った。
 アカシアの会という名称の集まりはいろいろなカトリック教会にあるという。アカシアの木は「契約の櫃(ひつ)」 the Ark (ヤハウエの箱、神の箱とも呼ばれる)の材料で、クリスチャンにとってはいわば神聖な木だから、この名称はいろいろなところで使われるのであろう。わたしは残念ながらどういう木かは見たことがない。
2 「ウクライナ戦争」という表現が定着しているとは思えないが(まだ宣戦布告が出ていない)、Sさんはあえて侵攻とか紛争という言葉ではなく戦争という言葉を選んでいたようだ。懇談の中ではイスラエルによるガザ「侵攻」「攻撃」の話も出たが、「イスラエル・ガザ戦争」という表現は定着していないようだ。ともにカトリックとしてどう捉えるかという宗教問題としてというより、テロにどう対峙するかという問題として理解されていたのは印象的であった。
3 ロシア正教とウクライナ正教の比較、ロシア正教の正統派と古儀式派の比較は別の集まりでしたことがある。特に「古儀式派」(旧教派、異端派)の重要性は日本のメディアはあまり言及しないので、そこでの紹介は興味深かった。
4 こういう整理の仕方自体に異論を唱える人もいるだろうが、イラン寄り、トルコ好き、イスラエル嫌いの日本のメディアの論調よりは正鵠を得ているように聞こえた。Sさんは①の立場をとる論者の例として国会議員の鈴木宗男氏を挙げていた。プロテスタント神学者の佐藤優氏もロシア寄りと評されることがあるようだ。

 

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終油の秘跡から塗油の秘跡へ ー 4年ぶりの敬老の集い

2023-09-17 15:53:35 | 教会

 今日は年間第24主日なのだが、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」でもあるそうだ。そのうえ明日は旗日(敬老感謝の日)ということで、今日のごミサの中で希望者に塗油の秘跡があった。また、ミサの終了後は敬老の集いが開かれ、記念写真の撮影が行われた。わたしはやっと敬老会に参加できる資格年齢に達したので、今日は皆さんとご一緒できてホッとしている(1)。

 ミサは病者の塗油の秘跡が入るので普段よりも長かった(2)。塗油の儀式はお説教と信仰宣言の間に挟まれた(3)。秘跡には七つあるとは知ってはいても(4)、塗油の秘跡はあまり考えたことがないので、今日のごミサはありがたかった(5)。

 ごミサの後、敬老の集いが行われ、80歳以上の方が祭壇の前で記念撮影をした(6)。そのあと日曜学校の子供たちがアーメン・アレルヤなど聖歌を歌ってくれた。お年寄りには何よりのお祝いだった。

 敬老会といっても、壮年会や婦人会のような教会の正式の構成組織ではないらしい。とはいっても教会の活動や組織維持に高齢者が果たしている役割は大きい(7)。今回も有資格者の数が多すぎて、パーティーでのお祝いはできず、記念写真を撮るのが精一杯だったようだ。神父様は敬老の日記念としてサイン入りのご絵をくださり、皆さんは大喜びだった。
 コロナ禍はまだ完全には終わってはいないとはいえ、教会は少しずつ日常性を取り戻しつつある。

【塗油の秘跡】


1 敬老の集いは実に4年ぶりだという。資格年齢に達しても敬老会(老人会)に入れなかった人がたくさんいたということであろう。
2 現在の神父様は歌ミサを好まれるようで普段でもミサの時間はそれなりに長いのだが、今日はさらに丁寧だった。お説教は簡潔で要領を得たお話が多いので好評のようだ。
3 塗油がミサの式次第のどこに挟まれるものなのかは知らないが、典礼としては聖体拝領の前になされる必要があるようだ。赦しの秘跡は塗油の前に受けておいたほうが良いらしいが、受けてなくとも構わないらしい。
 塗油は75歳以上の方なら受けてもよいということだったが、高齢者が必ずしも病者とは限らないし、逆に病者は若年者にもいるわけだから、「病者の塗油」という表現はなにかなじまない気がする。
 実際には今日のごミサには100人くらいの方がおられ、ほとんどの方が塗油の秘跡をうけておられたようだ。
4 七つの秘跡とは、洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻終油の秘跡は現在は病者の塗油の秘跡と呼称が変わっている。病者の塗油の秘跡とは、病気など試練や危機にある信者に「病気」を意味ある試練として受け入れうことができるように助けるものだという。私は終油の秘跡と教わった世代だが、第二バチカン公会議の後「使徒憲章」(1972)で「病者の塗油の秘跡」と規定しなおされたようだ。古代教会から病者の塗油は儀礼として行われてきたが、西欧中世(8世紀以降と考えてみる)では意味がずれて臨終の迫った人に授けられる塗油つまり終油(extrema unctio)と呼ばれるようになったという。
 宗教改革者たちは当然終油を秘跡とはみなさなかったようで、現在でもプロテスタントの多くは病者の塗油を秘跡とは認めていないようだ(洗礼と聖餐のみを聖礼典(サクラメント)と認める宗派が多いという)。

 終油から塗油へと訳語が変わったのはこういう歴史的ゆがみを正し、恵みの正しい理解に戻したということなのであろう。
5 カトリック司祭による塗油の秘跡の祈りを見てみよう。『カトリック教会のカテキズム』の第1編第2部第2章第5項は「病者の塗油の秘跡」と題されており、次のような使徒憲章の祈りが説明されている。
「病者の塗油の秘跡は重病の病人に授けられ、祝福された油-オリーブまたは他の植物油ーを額と手に塗り、同時に次のことばをただ一度唱えます。『この聖なる塗油により、慈しみ深いキリストが、聖霊の恵みであなたを助け、罪から解放して、あなたを救い、起き上がらせてくださいますように』。
 つまり、塗油の秘跡では、病者には心身の回復を、高齢者には慰めと忍耐を願い求めるという。病者の塗油の秘跡といっても、高齢者が含まれていることを忘れてはならないようだ。
6 今日のごミサに参加した人の大半が集まったので(80歳以上)、記念写真を撮るのが大変だった。躓く人や転ぶ人もいた。
7 この教会の信徒数はざっと1500名弱だが、いわゆる日曜信者だけでもおそらく3割位だろう。月定献金をきちんと収めている人(世帯)はもっと少ないかもしれない。その中心は高齢者と思われる。敬老会の重要性は高そうだ。
 ところが、どういう歴史的経緯かはわからないが、当教会では敬老会への参加(加入)資格は年齢で(性別は問われない)、ながらく70歳が続いたという。ところが高齢者の増加で資格年齢が徐々に上昇し、一時は83歳が下限になったこともあるという。つまりメンバーが多すぎて一堂に会することが難しくなったようだ。そこで現在は(今年は)80歳に切り下げられたようだ。私はたまたまこの恩恵に与ったというわけである。

 

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96歳の誕生会 ー 信者の鑑からロールモデルへ

2023-06-29 14:08:54 | 教会


 教会の先輩の誕生会に招かれた。96歳の女性の誕生会である。ホテルの一室にお祝いに駆け付けたのは(招待されたのは)4組のご夫婦の方々を含む9名ほどだが、全員戦前生まれだ。つまり80歳代の人々の会食ということになる。楽しい集まりであった。

 先輩のSさんによれば、誕生会の名を借りてコミュニケーションの場を持ちたいと思ったからだという。彼女は自らパソコンを操り、スマホを操作し、招待状を作られたという。感心するどころか、ただただ驚くばかりだった。
 これは高齢化が進む今日のカトリック教会の一つの姿であり、印象を少し書き残しておきたい。どこの教会でも見られる姿ではないだろうが、かといって例外的な出来事とも言えないだろう。

 Sさんは、教会では入門講座を担当しており、また、いくつかのグループをつくって教会のリーダー的役割を果たしておられる。Sさんは当教会では80年に及ぶ教会歴をお持ちなので、周りからは「教会の生き字引」と呼ばれているという(1)。教会歴というよりは彼女の人徳が人をひきつけ、尊敬を集めているのだろう(2)。

 これは教会に限ったことではないが、高齢化社会の問題点の一つは高齢者のロールモデルが出来あがっていないことのように思える。自分の身近の周りを見わまして、自分もあういう高齢者になりたいあの人のように年を取りたい、と思わせてくれる人が減ってきているのではないか。高齢者といえば、すぐに介護だ、看護だという話になる。健康のために歩きなさいとか寂しさを紛らわすためにペットを飼いなさいとかいう話になる。だが、健康だけではなく、広い人間関係を持ち、精神的自立を保ち、周囲に誇りと自尊心を与え続けることができる高齢者の話をあまり聞かない。Sさんはそういう意味では、信者の鑑でも、教会の生き字引でもなく、高齢者の新しいロールモデルを提示しているように思えた。


 このロールモデルは当然単一のものではないだろう。地域や性別や年齢ごとに異なったモデルがあるだろう。また、どのように年を取るか、は、どのように生きてきたか、の反映でもあるので、このモデルを一律に議論するのは難しいだろう。とはいえ、高齢になることにはこのような喜びと楽しみと感謝があるのだと示せるロールモデルが欲しいものだ(3)。

 

【1952年ごろの聖堂】

 



1 私は個人的には心ひそかにSさんを「信者の鑑」を呼んでいるが、ご本人はこの表現を好まれない。ところが「教会の生き字引」という呼称には抵抗感がないようだ。わたしにはSさんのこの語感の違いに興味を感じるが、Sさんと私の世代の違いの反映なのだろうか。
 Sさんに80年の教会歴があるということは、彼女は戦後日本のカトリック教会の歴史をほぼすべてずっと見てこられたということであろう。時々周囲の方に感想をおもらしになるということなので、一度ゆっくりとお話を聞いてみたいものである。
2 こういう表現をするとすぐに「だから教会には老害がはびこっている」みたいな批判をする人がいる。少し視点を変えるとこういう批判が如何に近視眼的かがわかる。
3 高齢者向けの議論ではしばしば、「残りの人生は短いのだから、自分の好きなように生きなさい」という言説がまかり通っている。この種の言説は一見もっともらしく聞こえるが、ひとつ大きな欠点がある。それは「自分個人の人生」のことしか念頭に置いていないことだ。ところが、なんでも好き勝手にできる自分個人の人生なんてものはなく、それはいつも集合的・共同体的ははずだ。Sさんが一つのロールモデルに見えるというのは、彼女の人生が教会という一つの共同体の中で営まれてきたからだ、と言うと言い過ぎだろうか。

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