今日のテーマは、
「人の話を聴く際の姿勢」について。
日本では、
相手(話し手)の目を観て、聴くことが正しいとされています。
私も、子どものときに、
『「聴」くという漢字は、「目」「+(たす)」「耳」、「心」だから、
人の話を聞くときは、話す人の方に身体を向け、話す人の目を見ましょう。』
などと教えられてきたし、
実際、日本の小学校の担任をしているときも、
子どもたちにそうやって指導してきました。
では、南アではどうでしょうか。
とある先生の説明によると‥
黒人の文化では、
目上の人の話を聞く際に、
彼らの方を向くことは失礼にあたり、
目上の方が話すときは、
少しうつむき加減で下を向くことが正しい姿勢とされているようです。
実際、アパルトヘイト時代に
白人の警察官が黒人たちの前に来て、職務質問をした際、
白人たちの問いかけに対して、黒人たちが下を向いて話を聞いていたことで、
彼らが無視していると感じた白人が少なからずいたようです。
相手の目をみて話を聞くことは、
南ア黒人たちの文化ではないとときどき説明されます。
それは、文化だとすれば、否定するつもりはありませんが、
かといって、子どもたちが授業中に、私が話しているときに、
飴をなめながら、鉛筆をいじりながら、
あごに手をついてノートに落書きをしながら聞いているのは
どうしても理解に苦しみます。
(これは南アでも明らかなマナー違反。)
では、何故子どもたちは、そのように態度で授業を受けるのでしょうか。
もちろんそれはひとえに、
それがよくないことだと指導していないからでありまして、
学校に入ったばかりの1年生のクラスからほとんど指導していないからです。
南ア人の先生たちから、
子どもたちに的確な指示が通らないという苦情を聴きますが、
私からすれば、
聴く姿勢ができていない子どもたちに、
教師からの的確な指示が通るわけもなく、
結果として、子どもたちの理解度の低下につながっていると思います。
私の職種は小学校教諭。
算数科の理解力向上のために活動しているという点では、
理数科教師と同じわけですが、
小学校教諭隊員として、
今日書いたような子どもたちのしつけも、
私に求められている活動のように感じます。
聴く姿勢を教えることは、一日でできるわけもなく、
昨年から根気強く言い続けています。
(特に私の場合、巡回校が大量にあるので、至難の業です。)
というわけで、
今週も聴く姿勢について、子どもたちに話しました。