平良港すぐ近くに建てられている記念碑。
1873(明治6年)大風に遭遇して宮古島の南海岸に
座礁難破したドイツ商船ロベルトソン号を
宮古島の人々が手厚く介抱し、船を与えて帰国させた。
この事を知ったドイツ皇帝ウィルヘルム1世は
宮古島の人々の勇気と博愛精神を讃え
3年後の1876年(明治9年)軍艦チクロープ号を宮古島に
派遣して記念碑を建立させた。
1936年には建碑60周年記念式典が催され、ロベルトソン号が
座礁した宮国のナント浜に「ドイツ商船遭難の地」と
記された石碑が建立されました。
ロベルトソン号が台風に遭遇してマストを失い
漂流し始めたのが7月9日。
座礁して宮古島の宮国の人々に救助されたのが7月12日。
船長の航海日誌には
「潮が満ちるのを待って島民のカヌーが近づいて来た。
浜には医師も待機し手厚く保護された。私達は助かった。」
とある。
また滞在中の出来事も詳しく書かれてある。
満足いく食事を与えられ、船に残ったいくつかの積荷も
島民とともに回収したことや鉄砲で狩に出かけたことなど、
船を与えてもらって帰るまでのことが書かれてある。
時代背景は、過酷な人頭税に苦しめられている時代。
他人のことなどかまっていられるような時代では
なかったはずなのに。
あまり知られていないがロベルトソン号には女性も乗っていたそうだ。
詳しくは船長の航海日誌に書かれてある。