昔々、宮古島各地に按司が立ち並んでいた頃、
(宮古島の勢力争いの時代)
クバラパアズとその妹が琉球の津堅島から宮古島の白川浜に漂着して、
しばらくそこで暮らしていた。
そのうち妹が石原城の思千代按司の妻となったので、クバラパアズは住み良い地を求め、
狩俣に移り住んだ。このクバラパアズという人は生まれつき妖術・占術に長け、
その上とても器用で、狩俣集落の石垣や石門もクバラパアズが
造りあげたといわれている。
ある日、妹が夫の思千代按司と長男を糸数按司に暗殺されたと
泣きながら訴えてきた。怒ったクバラパアズは
「いつか絶対に仇を討つ」と心に誓った。
そんな折、糸数按司から「城が狭くなったので大きな城を造ってほしい」
と依頼があった。しかしこれはクバラパアズの仇討ちのことを
知った糸数按司の罠だった。
ところがクバラパアズは罠であることを見抜き
「いよいよこのときがきた。城は作らず棺桶を作ることになるだろう。」
と平良へと出立した。
道中、平良手前にあるソノリ嶺の坂道でクバラパアズが木の葉に
呪文を唱え、フッと息を吹きかけると、木の葉は虻(アブ)になり勢いよく
城へと飛んでいった。クバラパアズは糸数城が見えるところまで
悠然と向かった。その頃、糸数按司は城の厠で用を足しながら、
長い鉄製のかんざしで耳かきをしていた。その按司の手に虻が強く噛み付いた。
何度追い払っても虻はひつこく噛み続けるので、怒った按司は、
手にとまった虻をもう一方の手で思いっきり叩いた。
ところが勢い余ってかんざしで耳の奥の急所を刺してしまい
死んでしまった。こうして見事仇討ちに成功し、予言通り
糸数按司を棺桶に入れた。
こういう伝承が残されているが、本当に実在した人物であろうと
いわれている。おそらく日本本土が平安の時代、陰陽師のような人も
流れついていたのかもしれない。