今から28年前になる。
池間大橋は宮古島本島の狩俣集落と繋がっている。
橋が出来るまでは船で往来していた。
「イケマ」の名は「イケハナレ」「いきはての島」と
いう意味からきている。
池間島にも狩俣集落にも何人か知り合いはいる。
知り合いはいるが、お互いのことを良く言わない。
お互い良い感情を持っていない。
狩俣集落は農耕民族で、集落からドロボウを出した
ことがないというのが、自慢だった。
狩俣のオジィから聞いた話。
昔、狩俣の人の現金収入は、池間島のカツオ工場で
働くことだった。
「安い賃金で、人が嫌がるような汚い仕事ばかり
させられた。」という。
池間の人に言わせれば、お金を支払うのだから
自分達のやりたくない仕事をさせるだろう。
池間のオジィから聞く話。
池間島は漁業の島で、農耕地が少ない。
耕す土地がないので、米は狩俣から物々交換かお金で
分けてもらっていたそうだ。
池間のオジィいわく「狩俣はセコイ」だそうだ。
どちらの言い分もわかるが、これは戦前、戦後、
復帰前の話。
「あれだけの仕事をさせられて1ドルにもならんさぁ」
「あんな上等魚渡して、たったあれだけの
米しかわけないさぁ」
向かい合った二つの集落の溝は深い・・・・・
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