祥雲寺は薩摩藩が王府に申し立てたことで、1611年に
山月和尚によって開山された。
1743年〜45年に琉球王国の正史として書かれた史書「球陽」
には、1696年の大地震の際、寺の石垣が崩れたことを
記しており、この頃にはすでに祥雲寺の石垣が
あったことを示している。
18世紀初頭、宮古島では全域にわたって大規模な土木工事が
進められており、祥雲寺の石垣もこの時に改めて築かれたと考えられている。
また、祥雲寺の石垣は、過去に大型車両が追突して崩れたことがあり、
他にも石垣内部に根を張った樹木が原因で、石が抜け落ちたり、
ふくらんだりした。
そのため、平成25年度の歴史文化整備事業で大々的に
石垣復元修理工事が行われた。
薩摩藩は戸籍などをまとめようと檀家制度を取り入れようと
したと思われる。
しかし、沖縄は土着信仰、先祖崇拝の意識が強く、過去には
色々な宗教がやってきたが根付かなかった。
沖縄、奄美にはいくつかの寺院があるが僧侶の数より
圧倒的にユタの数の方が多い。
現在に至っても葬式に僧侶は呼ばれるが
墓の移転などはユタが仕切る。
ユタも年々高齢化、後継者不足で減り続けているが、
おおよそ沖縄だけで2000人以上いると言われている。
昔からの家には仏壇があるけれど、仏教の仏壇ではない。
祥雲寺の石垣は石垣が消滅しつつある今、当時の
石造文化を知る上からも重要な建造物である。