うんたま森のキジムナー

今・昔

戦後、宮古島は、漁業と農業がおもな収入源だった。
お金だけに頼るのではなく、物々交換も普通のこと
だったと聞いている。現金を手にするのは1年に一度、
サトウキビの収穫が終わってから。

家族で市内まで出てきて風呂屋に行って、映画を見て、
ソバを食べて帰るのが楽しみだったとよく聞く話。
宮古島に来た頃、島の人たちに親切にされ、友達も
たくさんできた。

田舎の方に住む友達のところに行くと驚くことばかり。
大きな家に住んでいるのにテレビがない。畑仕事を終えて家に
帰ってくるオジィやオバァの足元を見ると裸足!
普段は裸足で外に出歩いている。
道路が整備された今では裸足で歩けないので、さすがにサンダルを
履いている。

それでもあの頃は裸足で生活している人が日本にいるなんて
信じられなかった。
「飯を食べていきなさい。」
本土では他人の家に上がり込んでご飯をいただくなんて
したことがなかったが、食べるまで帰れるような雰囲気ではない。
「すぐに準備するから、出来るまで酒でも飲みなさい。」
と一升瓶がポンと出てくる。
氷なしの水割り!最初に出てくるのが皿に山盛りの刺身と
パンビン(天婦羅)これだけでもお腹いっぱいになるのに、
山盛りの野菜炒めやら畑で採れたダイコンや
ニンジンの煮物など。

酔っぱらってそのまま寝てしまい夜中に目を覚ませば
蚊帳の中。なんだかあの頃が懐かしい。今ではまるで不思議の国に
行って夢を見ていたような気がする。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

kijimuna
もっとも良い時代に産まれて、幸せだったと思っています。(^◇^)そして、良い時期に島に移住してきて、素晴らしい人たちに巡り合えました。知り合いも増えるだけでなく、少なくなっていくことを経験中です。
@kiyama
@やとさんは古き良き昭和の宮古島を体験してはる・・・
羨ましいです!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「宮古島」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事