本日2度目。私、ぐーぶろぐ頑張る。なにせ一度レッド・カードで退場になった感じだからね。まあいいや。
さてさて、何にしましょうか。そうそうここ最近アナログ盤の鑑賞?をしています。ほとんどが初めて聞くアルバムばかりでありまして、今から20年前までの中古盤コレクションが我が生活の糧となっていて、それがないとダメな私でありました。もう彼女を作るなんざ無視・無視。もちろん女性にもてなかったというのが本音です。いつぞや新宿であった中古盤バーゲンに行ってきましたが、かつての私みたいな?男性たちがアナログ・アルバムを熱心に探していました。でもあの頃と違って悲壮感がないんですよ。あの頃の私なんぞは悲壮感そのものでしたね。
そんな最中、私の隣で一生懸命アナログ盤を探している方がいました。年齢は20代かな?その人にかつての私を見た感じがしましたっけ。そんな私は、すでに安価オンリーの探し手でありまして、中古盤のほとんどが高額(私としてはね。)なので、すぐに中古盤を探すのをやめちゃいました。もはやオフの250円棚で探す中古CDの購入が専門になりました。ですからかつて購入した中古盤を現在聞いている次第です。
ル・ルーという米国バンドがおります。デビュー当時は「ルイジアナズ・ル・ルー」というバンド名で、1978年に下記のデビュー・アルバムをリリースされます。
チャート・アクションは全米チャート55位。地元ルイジアナを中心に売れたのかもね。ファースト・アルバムとしてはまずまずかな。レーベルは大手レコード会社のキャピトルでした。ちなみに6人組編成のバンドです。特にここのリーダー?のベース・プレイヤー、レオンさんのベース・プレイは最高です。そしてこのアルバムのプロデュースもレオンさんです。その後、1979年「キープ・ザ・ファイアー・バーニング」1980年「アップ」をリリース。この2枚はチャート・アクション無し。そのためキャピトルを解雇?されたのかな。そして1982年に移籍先RCAレコードよりこれをリリース。
このアルバムよりシングル・ヒットが生まれました。‘光を求めて’(邦題)「Nobody Said It Was Easy」であります。1982年2月に全米85位で初登場し、同年18位まで上がるヒット曲になりました。私の場合、ゆーちゅうぶにその楽曲が見られるような技を知りませんので、ヒット・チャート・ファンはゆーちゅうぶで見てください。いい楽曲だよ。そしてこのアルハム「ラスト・セイフ・プレイス」も全米チャート77位まで行きました。もう産業ロックという言われ方だと、それに大変身した感じのサウンドでした。
その後、あのトトに加入するファギー・フレデリックセンをリード・ボーカルに迎えてこれをリリース。
このアルバムがとりあえず彼らのラスト・アルバム。この中から全米79位のシングル「Carrie's Gone」なんていうのがありましたっけ。その後、トトのリード・ボーカリストだったボビー・キンボールさんのご推薦でトトに加入したようですが?ちなみにボビーさんもこのバンドにいたみたいです。
てなわけで、このグループは1978年のデビュー・アルバムから5枚のアルバムをリリースされてます。そのすべてをかつて購入した中古盤で持ち合わせているわけですから、当時から‘安物買いの銭失い‘気質は変わってないみたいです。それにしても1982年のレーベル移籍を境に、それまでの音楽性をガラリ変えてAORというか産業ロックに変身できたのも、バンド自体の質が高いからなのかもしれません。
今も現役でご活躍中。そのゆーちゅーぶでほぼ現在のお姿を見ましたが、ものすごいテクニックの持ち主、特にリーダーのベースの腕前はすごいものでした。多分無理だと思いますが、一度来日をしてくれませんかねぇ。ボビーさんを加えた編成だったら観客も集まるかもよ。なんてね。頑張れル・ルー。オチマイ。
追伸
ちなみにこれがセカンド・アルバム。まだルイジアナが付きます。ジャケ写がなかなかアメリカンしてます。このバンドのジャケ写では、このセカンド・アルバムが良し・良しです。チャート・アクション無し。
そしてこれがキャピトルでのラスト・アルバム。自身では3枚目。
これよりルイジアナがグループ名から取れました。全米チャートを意識したのでしょうが、このジャケ写ではダメでしょうね。ちなみにチャート・アクション無し。
さてさて、何にしましょうか。そうそうここ最近アナログ盤の鑑賞?をしています。ほとんどが初めて聞くアルバムばかりでありまして、今から20年前までの中古盤コレクションが我が生活の糧となっていて、それがないとダメな私でありました。もう彼女を作るなんざ無視・無視。もちろん女性にもてなかったというのが本音です。いつぞや新宿であった中古盤バーゲンに行ってきましたが、かつての私みたいな?男性たちがアナログ・アルバムを熱心に探していました。でもあの頃と違って悲壮感がないんですよ。あの頃の私なんぞは悲壮感そのものでしたね。
そんな最中、私の隣で一生懸命アナログ盤を探している方がいました。年齢は20代かな?その人にかつての私を見た感じがしましたっけ。そんな私は、すでに安価オンリーの探し手でありまして、中古盤のほとんどが高額(私としてはね。)なので、すぐに中古盤を探すのをやめちゃいました。もはやオフの250円棚で探す中古CDの購入が専門になりました。ですからかつて購入した中古盤を現在聞いている次第です。
ル・ルーという米国バンドがおります。デビュー当時は「ルイジアナズ・ル・ルー」というバンド名で、1978年に下記のデビュー・アルバムをリリースされます。
チャート・アクションは全米チャート55位。地元ルイジアナを中心に売れたのかもね。ファースト・アルバムとしてはまずまずかな。レーベルは大手レコード会社のキャピトルでした。ちなみに6人組編成のバンドです。特にここのリーダー?のベース・プレイヤー、レオンさんのベース・プレイは最高です。そしてこのアルバムのプロデュースもレオンさんです。その後、1979年「キープ・ザ・ファイアー・バーニング」1980年「アップ」をリリース。この2枚はチャート・アクション無し。そのためキャピトルを解雇?されたのかな。そして1982年に移籍先RCAレコードよりこれをリリース。
このアルバムよりシングル・ヒットが生まれました。‘光を求めて’(邦題)「Nobody Said It Was Easy」であります。1982年2月に全米85位で初登場し、同年18位まで上がるヒット曲になりました。私の場合、ゆーちゅうぶにその楽曲が見られるような技を知りませんので、ヒット・チャート・ファンはゆーちゅうぶで見てください。いい楽曲だよ。そしてこのアルハム「ラスト・セイフ・プレイス」も全米チャート77位まで行きました。もう産業ロックという言われ方だと、それに大変身した感じのサウンドでした。
その後、あのトトに加入するファギー・フレデリックセンをリード・ボーカルに迎えてこれをリリース。
このアルバムがとりあえず彼らのラスト・アルバム。この中から全米79位のシングル「Carrie's Gone」なんていうのがありましたっけ。その後、トトのリード・ボーカリストだったボビー・キンボールさんのご推薦でトトに加入したようですが?ちなみにボビーさんもこのバンドにいたみたいです。
てなわけで、このグループは1978年のデビュー・アルバムから5枚のアルバムをリリースされてます。そのすべてをかつて購入した中古盤で持ち合わせているわけですから、当時から‘安物買いの銭失い‘気質は変わってないみたいです。それにしても1982年のレーベル移籍を境に、それまでの音楽性をガラリ変えてAORというか産業ロックに変身できたのも、バンド自体の質が高いからなのかもしれません。
今も現役でご活躍中。そのゆーちゅーぶでほぼ現在のお姿を見ましたが、ものすごいテクニックの持ち主、特にリーダーのベースの腕前はすごいものでした。多分無理だと思いますが、一度来日をしてくれませんかねぇ。ボビーさんを加えた編成だったら観客も集まるかもよ。なんてね。頑張れル・ルー。オチマイ。
追伸
ちなみにこれがセカンド・アルバム。まだルイジアナが付きます。ジャケ写がなかなかアメリカンしてます。このバンドのジャケ写では、このセカンド・アルバムが良し・良しです。チャート・アクション無し。
そしてこれがキャピトルでのラスト・アルバム。自身では3枚目。
これよりルイジアナがグループ名から取れました。全米チャートを意識したのでしょうが、このジャケ写ではダメでしょうね。ちなみにチャート・アクション無し。
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