北関東から離れますが、伊豆半島の南の江奈(現松崎町江奈)生まれの名工一族がいます。石田半兵衛(邦秀)で、師匠筋は小沢流であったため小澤姓を職姓として名乗っています。小沢流は初代五右衛門常信(宝暦10年没)、2代常足、常寧、常高と続いていますが、その本流の足跡は不明な点が多いです。二代常足の弟子の一人、諏訪立川流の祖・立川和四郎冨棟や、他の弟子 高田体章勝蔵は千本(せんぼ)の流れで山梨県都留市の生出神社本殿を後藤本流二代、三代兄弟と関わっています。小沢、後藤が静岡、山梨に進出していた形跡があります。北関東で始まった宮彫の革命的な技が静岡、山梨へ広げた立役者が小沢流かもしれません。小沢流の解明が進めばと思います。その流れの末になる小澤半兵衛の関わった建造物を紹介します。繊細な秀作だと思います。
・實相寺 一切経蔵の向拝部
中備「七福神」
裏の刻銘「豆陽江奈 小澤半兵衛作」
木鼻周囲 「獅子」「象」
左手挟
内側
外側
右手挟
内側
外側
身舎の梁の陰刻 「獅子に牡丹」
小澤半兵衛邦秀
石田姓ですが、職姓で小澤を名乗っています。父も半兵衛を名乗り彫工でした。邦秀は、享和元年(1801)頃の出生と推定されています。この實相寺の仕事は安政期頃とされています。明治四年(1871)に山梨で没。長男馬次郎(信秀、一仙)、二男富次郎(希道)、四男徳蔵(俊秀)、五男金次郎も彫工になっています。
参考文献
松崎町文化財専門委員会、『堂宮彫刻師 石田半兵衛一族とその作品』、昭和53年
・實相寺 一切経蔵の向拝部
中備「七福神」
裏の刻銘「豆陽江奈 小澤半兵衛作」
木鼻周囲 「獅子」「象」
左手挟
内側
外側
右手挟
内側
外側
身舎の梁の陰刻 「獅子に牡丹」
小澤半兵衛邦秀
石田姓ですが、職姓で小澤を名乗っています。父も半兵衛を名乗り彫工でした。邦秀は、享和元年(1801)頃の出生と推定されています。この實相寺の仕事は安政期頃とされています。明治四年(1871)に山梨で没。長男馬次郎(信秀、一仙)、二男富次郎(希道)、四男徳蔵(俊秀)、五男金次郎も彫工になっています。
参考文献
松崎町文化財専門委員会、『堂宮彫刻師 石田半兵衛一族とその作品』、昭和53年
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます