といっても見てきたわけではない・・・
しかも今やってるし
今日は軽く用事があって観戦には行きませんでした
たしかに、用事もあったのですが
行かなかったのははたしてそのためだけなのか?
正直、今の新日本プロレス、プロレス全体に不満があったりして
それがどうも会場に向かわせなかったりして・・・
近年プロレスで、よく言われる
「殺気・戦いがない」
やっている人たちは常にその言葉に対して戦っているんだろうと思いますが
ほんと~にない
以前に猪木が言っていたのが
「怒っているか?」
それは以前文句といわれていたのですが、そうではなく
なぜ戦いが起こるのか?なぜ殺気がでるのか?
それは怒りしかない・・・と
原点としてはね
昔あった古館さんの「愛で殺せ」は素晴らしい言葉だと思いますが
戦いの原点ではなく、戦いの発展
なぜ男二人が戦わなくてはいけないのか?
怒りを感じない新日本
色々と状況を使って演出している場面もあるのですが
正直、今の新日本は、というよりどこもそうですが
怒りを感じない
キャプテンニュージャパンがファレに怒っても
棚橋がデビットに怒っても、鈴木みのるがほえても伝わらない
なぜならリアルが感じられない、説得力がない!
マイクやリング裏では色々言っていますよ
でも、ただ盛り上げようとしているだけにしか感じられない
そして、僕が今プロレスを見ていて殺気や戦いがなぜないのか?と感じるのが
とにかく試合が雑である!!
これはどういう意味なのか?というと
「技を受けようとして受けているのが見えてしまっている」
プロレスは鍛えあった肉体と技術の戦いなので
甘んじて技を受けることは必ずあります
問題はそのかかり方・かけ方にあるんです
例えばチョップなどは胸を張り合うことも必要である
なぜなら、より鍛えている、もしくは相手の技などダメージではない
そのような部分でのお客へのアプローチもあるから
それではラリアットは?
まぁ例えばなんですが、いまのラリアットにはなぜ食らったのか?に説得力がなさすぎ
その点では長州やハンセンは説得力がありました
ハンセンは無駄うちをしないことで「技がかかる」ということに説得力を与えたし
長州は序盤と終盤でのラリアットでの入り方をしっかりと変えていた
なによりも、ラリアットに入る前には必ず死角にはいって助走をとっていた
今はどうですか?
たとえば、逆エビ固め
今は足を取ったら簡単にひっくり返るでしょ?さそりなんかは特にひどいです
はっきり言ってかけられるほうから返っています
でも昔は違ったんです。蝶野のSTFにしかり
必ず、足首を決めてから相手を返していました
それは足首を決めていることによって相手が踏ん張ることが出来ないというのを
しっかり伝えてから技に入っていたんです
さっきも言いましたがさそり固め
海外の選手なんかは特にそうなんですが、はっきり言ってさそりじゃないです
さそり固めはからませた足の中に腕を入れて、すねあたりも決めているからさそりなんです
ほかにもあげたらキリがないのですが
例えばバックドロップやジャーマンなどバックを取る技なども
今は当たり前のようにバックを与えてくれるけれども
そんな技を見たら、だれがどう見たってわざとかかったとしかいえないでしょ
それでは以前はどうだったかというと
早い段階で返る時には、見ている人が納得するだけのバックの取り合いからの投げ
そして終盤には、相手がグロッキーであるという前提をしっかりと作ってから
とにかく以前はもっと「なぜ技がかかるのか?」にたいして
あるていどの説得力を持って攻防があったはずです
今はそれが酷いレベルにまでなっている
それでは戦いが伝わらないのは当たり前
そう思わないですか?
場外へのとび技や、トップロープからの攻撃
どうですか?
テーブルの上にのせてからの場外へのとび技なんかどう思います?
そういう一つ一つの技に対しての説得力が
圧倒的に他から群を抜いていたからこそ新日本はストロングスタイルであったのではないですか?
技に入るためのプロセス
それがストロングスタイルをきずいたんじゃないでしょうか?
しかも今やってるし
今日は軽く用事があって観戦には行きませんでした
たしかに、用事もあったのですが
行かなかったのははたしてそのためだけなのか?
正直、今の新日本プロレス、プロレス全体に不満があったりして
それがどうも会場に向かわせなかったりして・・・
近年プロレスで、よく言われる
「殺気・戦いがない」
やっている人たちは常にその言葉に対して戦っているんだろうと思いますが
ほんと~にない
以前に猪木が言っていたのが
「怒っているか?」
それは以前文句といわれていたのですが、そうではなく
なぜ戦いが起こるのか?なぜ殺気がでるのか?
それは怒りしかない・・・と
原点としてはね
昔あった古館さんの「愛で殺せ」は素晴らしい言葉だと思いますが
戦いの原点ではなく、戦いの発展
なぜ男二人が戦わなくてはいけないのか?
怒りを感じない新日本
色々と状況を使って演出している場面もあるのですが
正直、今の新日本は、というよりどこもそうですが
怒りを感じない
キャプテンニュージャパンがファレに怒っても
棚橋がデビットに怒っても、鈴木みのるがほえても伝わらない
なぜならリアルが感じられない、説得力がない!
マイクやリング裏では色々言っていますよ
でも、ただ盛り上げようとしているだけにしか感じられない
そして、僕が今プロレスを見ていて殺気や戦いがなぜないのか?と感じるのが
とにかく試合が雑である!!
これはどういう意味なのか?というと
「技を受けようとして受けているのが見えてしまっている」
プロレスは鍛えあった肉体と技術の戦いなので
甘んじて技を受けることは必ずあります
問題はそのかかり方・かけ方にあるんです
例えばチョップなどは胸を張り合うことも必要である
なぜなら、より鍛えている、もしくは相手の技などダメージではない
そのような部分でのお客へのアプローチもあるから
それではラリアットは?
まぁ例えばなんですが、いまのラリアットにはなぜ食らったのか?に説得力がなさすぎ
その点では長州やハンセンは説得力がありました
ハンセンは無駄うちをしないことで「技がかかる」ということに説得力を与えたし
長州は序盤と終盤でのラリアットでの入り方をしっかりと変えていた
なによりも、ラリアットに入る前には必ず死角にはいって助走をとっていた
今はどうですか?
たとえば、逆エビ固め
今は足を取ったら簡単にひっくり返るでしょ?さそりなんかは特にひどいです
はっきり言ってかけられるほうから返っています
でも昔は違ったんです。蝶野のSTFにしかり
必ず、足首を決めてから相手を返していました
それは足首を決めていることによって相手が踏ん張ることが出来ないというのを
しっかり伝えてから技に入っていたんです
さっきも言いましたがさそり固め
海外の選手なんかは特にそうなんですが、はっきり言ってさそりじゃないです
さそり固めはからませた足の中に腕を入れて、すねあたりも決めているからさそりなんです
ほかにもあげたらキリがないのですが
例えばバックドロップやジャーマンなどバックを取る技なども
今は当たり前のようにバックを与えてくれるけれども
そんな技を見たら、だれがどう見たってわざとかかったとしかいえないでしょ
それでは以前はどうだったかというと
早い段階で返る時には、見ている人が納得するだけのバックの取り合いからの投げ
そして終盤には、相手がグロッキーであるという前提をしっかりと作ってから
とにかく以前はもっと「なぜ技がかかるのか?」にたいして
あるていどの説得力を持って攻防があったはずです
今はそれが酷いレベルにまでなっている
それでは戦いが伝わらないのは当たり前
そう思わないですか?
場外へのとび技や、トップロープからの攻撃
どうですか?
テーブルの上にのせてからの場外へのとび技なんかどう思います?
そういう一つ一つの技に対しての説得力が
圧倒的に他から群を抜いていたからこそ新日本はストロングスタイルであったのではないですか?
技に入るためのプロセス
それがストロングスタイルをきずいたんじゃないでしょうか?