もう10年来のお付き合いになるお客様と
よく話すんですが・・・
ここ最近訴えられるのが
「永遠の0はいいぞ」
なかなか時間をつくれなくて見れなんだけれど
そのかわり、深夜は時間ありますので
おとくいのDVDもそっちのほうによっています
こないだは「山本五十六」と「明日への遺言」
そして、今回は「男達の大和」
日本の戦争映画ははっきり言って
アプローチの仕方が違うだけで、観点は同じなので
感想としては同じようになって
ドレがよかったとかは
その映画に出ている役者のかっこよさや、言葉によってくるんですが
大和はチラッとはみたことあって
その時から響いてたのが、なぜか主役級の人たちじゃなくって
長島一茂の台詞だったんですけれど
「目覚めるために、生まれ変わるために死ぬ」
言ってみれば、これも無理やりな言葉なんですが・・・
どのような流れかと言うと
大和にのった人たちが、なぜ自分達は死んでいくのか?
その意味を知りたいと
「国のために死ぬだけで充分だろう」
と言う言葉に納得がいかない中で一茂が言うんです
平たく言うと
「未来のために死んでいく」
と、国のためにでは飲み込めなくなる現状に対し
出した言葉
はっきり言ってオカシンですよ
負けるのならば降伏するべきなんです、命を守るべきなんです
ただそれは出来ない
そのなかででてきた言葉で、その時には背一杯の言葉なんですよ
僕の好きな今井雅之の「ウインズオブゴッド」は
現在と過去の温度差から、なぜ死にに行かなければ行けなかったのか?
を描いたものがたりで
「山本五十六」はまたアプローチが変わって
現実や知識のない国民や軍人のマインドによる煽りからくる戦争
実際のことはわからないんだけれど、少なからずかなって
ドレもそうなんだけれど
僕らには受け入れられない考え方により起こる哀しさや辛さや苦しさであって
その受け入れられない考え方をつくるのが教育かなって
日本を守る気持ちとか、戦うということではなくって
「なぜ死ににいくのか?」
大和もそう、飛行隊もそう
死を覚悟してとか、死を受け入れてとかではなく
死ににいくの
かえってこないことを前提に
受け入れられますか?理解できますか?
どんなきれいごと並べたって、僕らにはわからないですよ
わかるつもりでいるだけで
ただ、こういう映画とか見てると思うことがあるんですよ
全てが否定なのかな?って
戦時中はおかしくて今が正しいのかなって?
それだけじゃないですよね
なぜあの人たちは、僕らがきっと受け入れられないことを受け入れられたのか?
マインド以外の、精神的な部分で
人の事いっても仕方がないんで、自分の事いいますが
たとえば・・・
もし目の前で自分の息子が死に直面しそうな時に、僕はたてになれるのだろうか?って
子供いないからリアルじゃないんですけど
教育やマインドとは違う部分でしょ?
それとも戦後からそれらが薄れてきたの?
かつては、そこに関しては絶対的に今よりも確かで
今よりも現実的な愛があふれてる、今僕らの時代にあふれてるのは幻想的な愛で
日本を守るということは、結局そこにつながるわけで
だから、以前三宅さんが生きていた頃言っていた
16、17でその愛を日本や親や兄弟にしか向けられなかった子供達のことを思うと涙が出る
可哀想だよね・・・
僕もそうだけど!
でも僕は今生きてますからね
今僕達は彼らが思い描いた未来を生きているのか、まだずれているのか
わからないんですけれど
僕らが歩んできた過去も、進んでいく未来も彼らの力があったんだと
だから僕達は、今あることに明確に感謝することが出来るんじゃないでしょうか?
やれ金がないだの、景気が悪いだの、時間がないだの、自由がないだの
それって問題は自分でしょ?
今ここにあるという感謝から比べるとどうなの?って
自分は不幸だと思ったり、可哀想だと思ったり
でもここにいるという現実の幸せ、その現実を失うことと比べるとたいしたことない
はず・・・
ということで
本当の問題は、だからこそ僕らはどうしなければいけないのか?と
ですから、特定の人と共有できないかわいそうな僕は
皆様とその幸せを共有するべくがんばって行きたいと思う所存でございます
不平不満ばかりの自分に言い聞かせる藤本
よく話すんですが・・・
ここ最近訴えられるのが
「永遠の0はいいぞ」
なかなか時間をつくれなくて見れなんだけれど
そのかわり、深夜は時間ありますので
おとくいのDVDもそっちのほうによっています
こないだは「山本五十六」と「明日への遺言」
そして、今回は「男達の大和」
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日本の戦争映画ははっきり言って
アプローチの仕方が違うだけで、観点は同じなので
感想としては同じようになって
ドレがよかったとかは
その映画に出ている役者のかっこよさや、言葉によってくるんですが
大和はチラッとはみたことあって
その時から響いてたのが、なぜか主役級の人たちじゃなくって
長島一茂の台詞だったんですけれど
「目覚めるために、生まれ変わるために死ぬ」
言ってみれば、これも無理やりな言葉なんですが・・・
どのような流れかと言うと
大和にのった人たちが、なぜ自分達は死んでいくのか?
その意味を知りたいと
「国のために死ぬだけで充分だろう」
と言う言葉に納得がいかない中で一茂が言うんです
平たく言うと
「未来のために死んでいく」
と、国のためにでは飲み込めなくなる現状に対し
出した言葉
はっきり言ってオカシンですよ
負けるのならば降伏するべきなんです、命を守るべきなんです
ただそれは出来ない
そのなかででてきた言葉で、その時には背一杯の言葉なんですよ
僕の好きな今井雅之の「ウインズオブゴッド」は
現在と過去の温度差から、なぜ死にに行かなければ行けなかったのか?
を描いたものがたりで
「山本五十六」はまたアプローチが変わって
現実や知識のない国民や軍人のマインドによる煽りからくる戦争
実際のことはわからないんだけれど、少なからずかなって
ドレもそうなんだけれど
僕らには受け入れられない考え方により起こる哀しさや辛さや苦しさであって
その受け入れられない考え方をつくるのが教育かなって
日本を守る気持ちとか、戦うということではなくって
「なぜ死ににいくのか?」
大和もそう、飛行隊もそう
死を覚悟してとか、死を受け入れてとかではなく
死ににいくの
かえってこないことを前提に
受け入れられますか?理解できますか?
どんなきれいごと並べたって、僕らにはわからないですよ
わかるつもりでいるだけで
ただ、こういう映画とか見てると思うことがあるんですよ
全てが否定なのかな?って
戦時中はおかしくて今が正しいのかなって?
それだけじゃないですよね
なぜあの人たちは、僕らがきっと受け入れられないことを受け入れられたのか?
マインド以外の、精神的な部分で
人の事いっても仕方がないんで、自分の事いいますが
たとえば・・・
もし目の前で自分の息子が死に直面しそうな時に、僕はたてになれるのだろうか?って
子供いないからリアルじゃないんですけど
教育やマインドとは違う部分でしょ?
それとも戦後からそれらが薄れてきたの?
かつては、そこに関しては絶対的に今よりも確かで
今よりも現実的な愛があふれてる、今僕らの時代にあふれてるのは幻想的な愛で
日本を守るということは、結局そこにつながるわけで
だから、以前三宅さんが生きていた頃言っていた
16、17でその愛を日本や親や兄弟にしか向けられなかった子供達のことを思うと涙が出る
可哀想だよね・・・
僕もそうだけど!
でも僕は今生きてますからね
今僕達は彼らが思い描いた未来を生きているのか、まだずれているのか
わからないんですけれど
僕らが歩んできた過去も、進んでいく未来も彼らの力があったんだと
だから僕達は、今あることに明確に感謝することが出来るんじゃないでしょうか?
やれ金がないだの、景気が悪いだの、時間がないだの、自由がないだの
それって問題は自分でしょ?
今ここにあるという感謝から比べるとどうなの?って
自分は不幸だと思ったり、可哀想だと思ったり
でもここにいるという現実の幸せ、その現実を失うことと比べるとたいしたことない
はず・・・
ということで
本当の問題は、だからこそ僕らはどうしなければいけないのか?と
ですから、特定の人と共有できないかわいそうな僕は
皆様とその幸せを共有するべくがんばって行きたいと思う所存でございます
不平不満ばかりの自分に言い聞かせる藤本