旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

 ⑩ 敵を知り、己を知れば百戦危うからず

2015年06月27日 20時48分51秒 | 娘ノート
 ⑩ 敵を知り、己を知れば百戦危うからず

 キリスト生誕より五百年も前、春秋戦国時代の戦略家、孫子は言った。敵を知り、己を知れば百戦百勝。敵を知り己を知らざれば、又は己を知り敵を知らざれば、百戦して五十勝五十敗。敵を知らず己も知らざれば、百戦して百敗す。

 敵を知り己を知る、とは例えば、トヨタのBrake Master Cylinder, 46100-SA5-00Xという純正番号の品物が、ランドクルーザーのxxと△△、ハイラックスの○○に使われていて、サウジアラビアのマーケットではジェッダで、アフリカ向け再輸出を含めて年間およそxx万個、内陸のリヤドでxx万個の需要があり、有力なバイヤーはどことどこ。自分達の売値はUS$xxだが、ライバルの○○社は△△という商社を使ってUS$xxで売っている。我々の生産Capaciryは月に・・・台くらい。
 この商品に2ヶ使っているセンサーは、我々は□□社製でライバルはどこ製、価格は・・・  最近は台湾製も出てきて~
 といった分析。相手も必死なのだから容易には勝てない。 ん? ちょっと孫子とは外れたか。

 太平洋戦争の時の日本軍、特に帝国陸軍はおごりたかぶり、敵をあなどり軽く見た。敵を知らず己を知らず、百戦して百敗するのが当然。
 ブリキの戦車しか持たず、明治三十八年制定の連射の出来ない骨董品のような銃を持たせた兵隊に、十字砲火の複層陣地に向かってバンザイ突撃させた。日本軍の兵士は鬼も泣くほど勇敢に戦ったが、アメリカの海兵隊の若者達だって勇敢だった。『マリーンの兵隊は鉄条網で体を洗う。』日本の高級参謀の言うように、悲鳴をあげて逃げ惑う奴などいなかった。

雪中大露天風呂

2015年06月27日 20時44分36秒 | エッセイ
 雪中大露天風呂

 十年がひと昔なら二つ分前、小学校低学年の子供たち(兄と妹)を連れて冬に伊豆の大島に行った。カミさんは家にいて、お父さんの自分と三人で旅行した。今は無いが当時は運行していた海路を使い、横浜駅の裏手にある高島桟橋を夕方に出て、大島の港で停泊して夜を明かし、早朝に島に上陸して半日観光。その日の午後には帰るという予定だ。
 出発の時の天候は曇り。ところが船の中で一晩を過ごして甲板に出ると驚いた。北国を思わせるような猛吹雪で、横殴りの風に飛ばされた雪がほおに当たると痛いくらい。雲は重く垂れ込めて水平線と混じりあい視界が利かないが、沖の方は波が高くなっている按配だった。船を降りた乗客は待ち構えた観光バスに次々に乗り込み、それぞれのコースに向かうが、バスは出発して直ぐに予定を変更、悪天候により観光は取りやめ、料金払い戻しとなった。同じような境遇の客が港にあふれたが、まだ朝で帰りの船は早くても午後便しかない。
 さて困った。子供たちは船からバスに振り回されて気持ちが悪くなりかけている。これから五時間、この人にあふれた岡田港で待っているのはしんどい。ひどい日に来ちまったもんだ。天気予報は雪になるなんて言っていなかったのに。職員のおじさんに、どこか時間をつぶす所はないかとたずねてみた。おじさんはウーンとしばらく真剣に考え言ってくれた。「お客さん、お風呂に行ってみるかね。」そりゃーいい。僕らは銭湯大好きです。聞けばそこは露天風呂で、港から歩いて直ぐなんだそうだ。早速行った。
 そこは本当に近くて、港から歩いて五分ほどの所に看板が出ていた。雪は風を伴って横殴りに吹いていて、ここは八甲田山か。座る席もない港の喧騒をよそにその露天風呂はひっそりとしていて、一瞬休業なのかと思った。料金は安かった記憶がある。銭湯へは子供たちと良く行くから三人とも手際が良い。ここで冷えた体を温め、数時間をつぶせるのは有難い。ドアを開けて露天風呂を見てブったまげた。広い!これはプールほどもあるじゃないか。もうもうと盛大に湯気を上げているプール、もとい大露天風呂に対抗するかのように空からはシンシンと雪が降る。そこは少々小高くなっていて、港の桟橋とその向こうに広がる海が一望できる。空は吹雪いていて、海のかなたは雲と一体化して海だか空だか分からない。港に客船が縮こまったようにして停泊している。
 急いで体を洗いドブンと風呂に飛び込んだ。ドッヒャー、気持ちいい。熱すぎずぬるすぎず、絶妙な温度じゃないか。しかし空いているな、ほとんど貸しきりだな、これは。まあこんな天気に地元の人は来ないわな。雪が顔に当たって冷たいが、体はぬくぬく温かい。これはいいぞ、楽しいな。子供たちは大はしゃぎで、風呂から出てかなり積もってきた雪の上を裸でころげまわり、体を冷やして風呂に飛び込む。自分もやり始めた。途中から本当に貸切になったんだ。悪乗りしたガキ共が雪を固めて、腹に抱え風呂に飛び込む。湯の中でジュワーっと溶ける。こりゃやり過ぎだ。怒られるぞ、と思ったら案の定風呂の入り口が開き、おじさんが現れた。・・・「お客さん、ビール飲むかね。会計は帰りでいいよ。」冷え冷えの缶ビールじゃないか。こりゃーたまらん。顔から上は冷たく、体は温かく、のどから胃に冷たいビールが落ちていく。プッハー 極楽極楽 ハー。
 ここでたっぷり遊び午後の船で横浜に帰ったが、その船便がその日唯一の船で、後は欠航になったそうだ。帰りの船はかなり揺れたが、露天風呂で走りまわった子供たちは出航して直ぐに眠ってしまい、港に着くまで起きなかった。帰りは山下埠頭に着いたように思うが、夕方の横浜の街は魔法で封印されたかのように、静かに雪に埋もれていた。雪はすでに止んでいたが、フワフワの雪が道路も車も家も柵も全てを包み込み、通る車もなく、見知らぬ街のようで美しかった。冬の大島、雪の大露天風呂。後にも先にもあれ程雄大でワイルドで楽しかった風呂はない。