親父にまた助けられた。
小さい時、親父に助けられた記憶が三つある、と言って三個のエピソードを簡潔にまとめれば一丁上がり、原稿料は振り込んどいてね。だけど助けられた記憶は二つしかない。あれ、あれ、二つじゃあ収まりが悪いぜ。何か無いかな。えい面倒だ、創作しちゃえ、とも思ったがそれも案外易しくはない。しゃーない、今回のエピソードは二個だ。
最初の記憶はうんと小さい時だ。小学校1,2年か、下手をすると年長さんか、といって自分は幼稚園に一年しか行っていないらしい。まっいずれにしてもまだ〝つ〟が付く年だ。
家族でスキーに行った。草津温泉だ。草津よいとこ、一度はおいで。ところがその冬は雪が少なかったらしい。そこで親父は計画をたて、早朝に出発して万座まで徒歩スキーで向かう事にした。親父はスポーツマンで山登り、沢登りが得意。縦走スキーもお手の物。たいした距離ではないし、険しい地形でもない。一気に踏破だ、と思ったんだろう。ところが女子供の足弱を甘く見過ぎた。4時間位歩いて万座に着いた頃には、体は冷え切り鼻からつららが垂れ、姉ちゃんは雪を見過ぎて、目を痛めていた。母は散々父を責めたが、実際着いた時には半分遭難していた。自分は今でも記憶がうっすら残っている程で、逆に楽しい思い出なのだが妻と娘、二人の女から非難された父はへこんだことだろう。
さて万座でスキーを始めたが、ボーゲンだのエッジでブレーキをかけるだの知らないから、止まる時は横倒しになるしかない。ゲレンデの下の方、傾斜もゆるやかになってきた所で止まろうとしたが、スキーの板が二本揃っているので止まらない。止まれ、止まれ!尻もちをついたが、仰向けの体ごとスルスルと落ち続ける。車は急に止まらない。チビスキーも止まらない。
自分の記憶では、落ちて行く先に奈落へ通じる断崖絶壁がある。仰向けズルズルで多少はスピードダウンしたとはいえ、奈落はズンズンと近づく。じたばたするが止まらない。もう駄目だ、お仕舞いだ。そう思った瞬間、どこから現れたのか親父が奈落と自分の間にサっと体を入れ、自分をバシっと受け止めてくれた。助かった。ギリギリじゃんか。
あの絶壁は何だったんだろう。今でも記憶に残る断崖だが、そんなに危ないものがスキー場にあるとは思えない。ちょっとした段差か、傾斜のきついスロープでもあったのだろうか。しかしさすがは国体にも出たスキープレーヤー、危ない時にサっと現れた親父は頼もしくて、恰好よかったなー。
二回目のエピソードも小さい頃の話だ。うちは洋服屋の商売をやっていて、家にはいつも乗用車があった。親父は車の運転が好きだった。自分も車に乗るのは嫌いではなかった。乗り物酔いをする体質ではなかったしね。親父はちょっとした仕事の外出などでも、よく自分を誘って助手席に乗せた。退屈しのぎと眠気防止を兼ねていたのかもしれない。
今考えると昔の車の方が現在のものより、重々しくて高級感があったように思う。親父は新車に代えるとシートのビニールを何カ月も剥がそうとしなかったので、新車の乗り心地は今一つだったな。或る時チビの自分が車の脇に立って、いつものようにボーっとしていた。勉強は出来たのだが、それ以外の自分はいつもボーっとしていたような気がする。子供の頃の写真を見ても、実にボーとした子だ。
その時、気がつかなかったが自分の小さい手は、車の縁にかかっていた。そして車の後部ドアが閉まりかけていた。たまたま振り向いた親父が、状況を瞬時に見て取り、ドアを抑えたか自分を車から引き離した。次の瞬間にドアはガチャリと閉まった。この時も危なかった。自分の手は意味も無く車の縁を触っていた。ドアが閉まったら、真ん中の指三本の先の方がはさまっていた。指が押しつぶされたら相当痛かっただろうな。ギャーギャー泣いたな。骨折していたかもしれない。
「危なかったなー」ニヤっと笑った親父もびっくりしたんだろう。自分は別に口止めされた訳ではないが、この事を母親には話さなかった。親父は言えば怒られるから黙っていた、と思うよ。
小さい時、親父に助けられた記憶が三つある、と言って三個のエピソードを簡潔にまとめれば一丁上がり、原稿料は振り込んどいてね。だけど助けられた記憶は二つしかない。あれ、あれ、二つじゃあ収まりが悪いぜ。何か無いかな。えい面倒だ、創作しちゃえ、とも思ったがそれも案外易しくはない。しゃーない、今回のエピソードは二個だ。
最初の記憶はうんと小さい時だ。小学校1,2年か、下手をすると年長さんか、といって自分は幼稚園に一年しか行っていないらしい。まっいずれにしてもまだ〝つ〟が付く年だ。
家族でスキーに行った。草津温泉だ。草津よいとこ、一度はおいで。ところがその冬は雪が少なかったらしい。そこで親父は計画をたて、早朝に出発して万座まで徒歩スキーで向かう事にした。親父はスポーツマンで山登り、沢登りが得意。縦走スキーもお手の物。たいした距離ではないし、険しい地形でもない。一気に踏破だ、と思ったんだろう。ところが女子供の足弱を甘く見過ぎた。4時間位歩いて万座に着いた頃には、体は冷え切り鼻からつららが垂れ、姉ちゃんは雪を見過ぎて、目を痛めていた。母は散々父を責めたが、実際着いた時には半分遭難していた。自分は今でも記憶がうっすら残っている程で、逆に楽しい思い出なのだが妻と娘、二人の女から非難された父はへこんだことだろう。
さて万座でスキーを始めたが、ボーゲンだのエッジでブレーキをかけるだの知らないから、止まる時は横倒しになるしかない。ゲレンデの下の方、傾斜もゆるやかになってきた所で止まろうとしたが、スキーの板が二本揃っているので止まらない。止まれ、止まれ!尻もちをついたが、仰向けの体ごとスルスルと落ち続ける。車は急に止まらない。チビスキーも止まらない。
自分の記憶では、落ちて行く先に奈落へ通じる断崖絶壁がある。仰向けズルズルで多少はスピードダウンしたとはいえ、奈落はズンズンと近づく。じたばたするが止まらない。もう駄目だ、お仕舞いだ。そう思った瞬間、どこから現れたのか親父が奈落と自分の間にサっと体を入れ、自分をバシっと受け止めてくれた。助かった。ギリギリじゃんか。
あの絶壁は何だったんだろう。今でも記憶に残る断崖だが、そんなに危ないものがスキー場にあるとは思えない。ちょっとした段差か、傾斜のきついスロープでもあったのだろうか。しかしさすがは国体にも出たスキープレーヤー、危ない時にサっと現れた親父は頼もしくて、恰好よかったなー。
二回目のエピソードも小さい頃の話だ。うちは洋服屋の商売をやっていて、家にはいつも乗用車があった。親父は車の運転が好きだった。自分も車に乗るのは嫌いではなかった。乗り物酔いをする体質ではなかったしね。親父はちょっとした仕事の外出などでも、よく自分を誘って助手席に乗せた。退屈しのぎと眠気防止を兼ねていたのかもしれない。
今考えると昔の車の方が現在のものより、重々しくて高級感があったように思う。親父は新車に代えるとシートのビニールを何カ月も剥がそうとしなかったので、新車の乗り心地は今一つだったな。或る時チビの自分が車の脇に立って、いつものようにボーっとしていた。勉強は出来たのだが、それ以外の自分はいつもボーっとしていたような気がする。子供の頃の写真を見ても、実にボーとした子だ。
その時、気がつかなかったが自分の小さい手は、車の縁にかかっていた。そして車の後部ドアが閉まりかけていた。たまたま振り向いた親父が、状況を瞬時に見て取り、ドアを抑えたか自分を車から引き離した。次の瞬間にドアはガチャリと閉まった。この時も危なかった。自分の手は意味も無く車の縁を触っていた。ドアが閉まったら、真ん中の指三本の先の方がはさまっていた。指が押しつぶされたら相当痛かっただろうな。ギャーギャー泣いたな。骨折していたかもしれない。
「危なかったなー」ニヤっと笑った親父もびっくりしたんだろう。自分は別に口止めされた訳ではないが、この事を母親には話さなかった。親父は言えば怒られるから黙っていた、と思うよ。