旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

ファランクス

2016年04月28日 05時48分59秒 | エッセイ
ファランクス

 古代ギリシャ、アテナイの市民兵は我に10倍するペルシャの遠征軍をマラトンの野で打ち破った。マケドニアの若き王アレキサンダーは東に遠征して、常に敵よりも少ない兵力で連戦連勝、世界の半分を手中にした。彼らは専制国家の大軍勢を前にしても委縮しない。勝てる!という確信に近いものが彼らにあったとすると、それは、その根拠はこれに違いない、ファランクス。重装歩兵による密集陣形のことだ。
 もっとも古いファランクス、もしくはそれに似た隊形は、紀元前2,500年ほどの南メソポタミアで確認出来るという。鎧かぶとを着用した重装歩兵が、左手に円形の大楯、右手に槍を装備し、露出した右半身を右隣の兵士の楯に隠して通例縦8列、特に打撃力を必要とする場合はその倍の縦深を配置した。戦闘体験の少ない兵は中央部に配し、ベテラン兵を最前列と最後列に配置する。特に楯による防御が無い最右翼列には精強な兵を配した。後には右翼の防御として、軽装歩兵隊を配して防衛した。
 戦闘に入ると100人前後の集団が密集して固まり、楯の隙間から槍を突き出して攻撃する。また後方の兵の槍で、敵の矢や投げ槍を払い除ける。ファランクスは縦深の方が楯での押し合いに有利で、消耗しても隊形を維持して持ちこたえることが出来る。ファランクスの正面突破力と破壊力は凄まじく、いかに勇者でも、個人個人で突っ込んでいっても歯がたたない。しかしファランクスに機動力は全くなく、側面と後方からの攻撃にはもろい。
 ファンクル同士の激突では斜め陣を採用したり、片側だけを極端に厚くし他はごく薄くして、しかも少しずらして衝突までの時間を遅らせる。分厚い部隊で敵陣を強引に押しこみ、敵陣の後方に廻る等といった作戦が功をなした。平坦で広がった土地では、正面しか見えないので後方の配備は分からないのだ。
 ところで戦闘中に列の前後は交替するのだろうか。古代ギリシャの市民兵は一列並んで戦死するのが名誉だったというが、交替無しでは8列の内、前から数列は勝っても負けても戦死の可能性が高い。最前列は十中八九戦死だな。逆に後ろの連中は歩いているだけで、敵と直接遭遇しないんじゃないか。
 さてファランクスは楯を小型にして腕に装着したり、首に紐でかけるようにし、槍を長くして両手で扱うように改良された。マケドニアの重歩兵の持つ槍はついに6mに達した。これでは両手で持っても限界の長さだ。日本の戦国時代でも足軽兵団の持つ槍はしだいに長くなり、斉藤道三や織田信長の槍は5.5mになった。突くより上から叩きつけて使った。集団で槍ぶすまを作れば効果は大きい。特に相手の槍が届かないアウトレンジからの攻撃は、弱兵でも嵩にかかって攻められる。しかし横から攻められたら長い槍が足かせになってお手上げだ。
 ファランクスは、最終的に最も進化したマケドニア式ファランクス同士の戦いになった。槍を更に長くしたり、鎧を重装備にしたりして相手より優位に立とうとしたが、その結果機動力は更に失われ兵は立っているだけでも疲れ、長く戦うことが出来なくなった。そしてローマ軍団の散開白兵戦術に敗れる。ファランクスは時代遅れになった。
 強力な貫通力を持つクロスボウや、密集して上から撃ち下ろす長弓隊の出現を待つまでもなかった。破壊力と防御を重視し過ぎた為、使い物にならなかった(鈍重で出力が不足してまともに動かない)ドイツの重戦車マウス(陸上戦艦をコンセプトにポルシェ博士が設計)や、ソ連の重戦車スターリンのような失敗を紀元前にやっている。
 だいたいファランクスは開けた平坦地でないと機能しない。傾斜地や泥炭地、障害物の多い地形ではうまく戦えないのだ。しかし敵が10倍いようと固まりで進み正面の敵を効率よく殺傷していく。ファランクスが個人個人で戦う東洋の専制国家の軍隊に対して、圧倒的な優位を発揮したことは間違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする