ラジオで聞いた記憶に残る話 – 三話
ラジオを聞くのは車に乗っている時だけだ。最近は車に乗る時間が減り、ラジオを聞くことが少なくなった。時に妙に心に残る話を拾ったりする。
そんな話を3つばかり紹介しよう。
(第一話)茹で卵と少女
この話の詳細はすっかり忘れた。ひょっとすると、ラジオではなく何かで読んだものなのかもしれない。それくらい忘れたが、なんだろう、この話には心を揺さぶるものがあってずっと記憶に残っている。相当創作を入れて書き出してみる。
作家だか女優だかになった女性が、女学生だった頃の想い出話だ。公立の中学に通っていた彼女のクラスにトロい少女がいた。大柄な少女は脚に障害を持ち、片足を軽く引きずっていた。無口で成績はいつでも最下位だった。少女に友達はいなかったが、暗い感じではなくいつもニコニコしていた。問題はニコニコがニタニタに見えてしまうことだ。勉強が出来ないのには訳がある。彼女のお母さんはフィリピン人で、幼い時はフィリピンで過ごし、来日してまだ数年なので日本語が完全ではなかったのだ。年齢もクラスの仲間より2歳ほど上だった。
彼女はクラスで無視されていたが、表だってイジメに遭っていた風ではない。まあ皆で無視すること自体がイジメともいえるが。どう接してよいのか、子供達にはよく分からなかったのだ。
さてクラスで遠足があった。当日の朝、少女のお母さんは大きな袋を持って学校に現れた。その袋の中には、クラスの人数分の茹で卵が入っていた。先生は、「皆さん、xxさんのお母さんから茹で卵をいただきました。一人一個づつ取って下さい。」少女はいつものようにニコニコしていた。
この話をしゃべっていた女性は、感情を交えずに淡々と話していたので、本人がどう感じていたのかは分からない。少女のその後も分からない。少女のお母さんは目を細め、体操服姿の娘が遠足のバスに乗り込むのを、腕を組んで満足そうに見送った。このお母さんがいる限り、娘は大丈夫、そんな気がする。
(第二話)とんだ正月
これはリスナーからのメールかFAXを読んだ話だ。リスナーの男性が若いころの話で、当時はまだ携帯電話が普及していなかった。彼は地方から来て、会社の寮に住んでいた。会社は郊外に倉庫を持っていた。その倉庫で大みそか、最後の出し入れと清掃を行って正月を迎える。彼は倉庫の大掃除で、奥まった部屋にいて、気が付いたら周りには誰もいなかった。出入り口は外から頑丈に施錠されていた。そう、彼は倉庫に閉じ込められてしまったのだ。連絡の手段は無く、彼が救出されたのは何と正月明けの4日の朝だった。幸いトイレと水道はあったが、食べ物は全く無くて丸3日と半日で、体重は7-8kgs減っていたそうだ。寮の仲間は、彼のことをまたスキーにでも行ったのかと、さして気にも留めていなかった。
ヒエー、とんだサバイバルだこと。もし休みが5-6日あったら命に係わっていたかもね。これは実に希少な体験だけれど、あまり自慢出来る話ではないな。でも人には伝えたいだろうから、ラジオの匿名投稿には良いね。
(第三話)はやぶさの帰還
はやぶさは2003年5月9日に打ち上げられた。順調に行けば2007年には帰還するはずだったが、数々にトラブルに見舞われ、その帰還は2010年6月13日にずれ込んだ。はやぶさが有名になったのは、帰還(大気圏再突入)の少し前からだ。打ち上げの時や、小惑星イトカワの観測・着陸時もニュースにはなっただろうが、それほど大きな反響を呼んだとは思えない。
それにしても、宇宙の彼方と電波を通して交信し、その信号で予期しなかった指令までをも実行するとは、日本の技術の凄まじさを世に知らしめた快挙だ。そしてはやぶさの健気さは涙なくしては語れない。また絶体絶命の危機を何度も、奇想天外なアイデアで乗り越えたJAXAの職員も偉い。はやぶさの旅は、行きからして波乱に見舞われた。打ち上げの年の2003年11月に観測史上最大規模の太陽フレアに遭遇して、太陽光パネルが回復不可能な劣化を生じ発電出力が低下しているのだ。
そしてイトカワへの2度に渡る着陸で大きく損傷し、燃料(推進剤)が漏れ、それが気化して温度が低下する。バッテリーの機能は激しく低下し、電源を失った。そして翌日から通信が途絶した。燃料が吹き出した為に向きが変わり、太陽電池パネルに太陽の光が当らなくなったのだ。
それでもはやぶさは、ぐるぐると回転する内にパネルが一瞬太陽を向く。その一瞬で微量の電気を蓄え、一時的に通信が回復した。ここで地球(JAXA)は思い切った指示を出す。帰還に用いるキセノンガスを直接噴射して、姿勢を制御しパネルを太陽に向けることを試みたのだ。はやぶさは指令を実行し、その試みは見事に成功した。
しかし数日後、再び通信は途絶する。以前に漏れていた燃料が気化して噴出したらしい。ここからはやぶさは1ヶ月以上行方知らずとなる。はやぶさは回転しながら、暗黒の宇宙空間を彷徨っていた。JAXAは行方不明のはやぶさに電波を送り続ける。年を越えて2006年1月末、諦めかけていた頃、微弱な電波がはやぶさから届いた。回転の一瞬だけパネルが太陽に向き、通信が復活したのだ。そのわずかな間の通信によって、はやぶさの状態が伝えられた。リチウムイオン充電池は11セル全てが放電し切った状態で、内4セルは過放電によって充電能力を失っていた。
地上から再度司令を出し、回転を止め貴重なキセノンガス再噴射により姿勢を回復することに成功する。2006年3月6日、3ヶ月ぶりに位置と速度が特定された。地球からの距離3億3千km、イトカワから秒速3mで離れつつある。5月31日イオンエンジンBとDの起動に成功。しかし4台あるイオンエンジンが、予定外の長旅に部品である中和器が劣化して次々に停止する。
イオンエンジンDが停止、Cもほとんど動かなくなった。そこで万一の為の配線が役立ち、Aの中和器と、打ち上げ半年後に停止していたBのイオン源をつなぐことによって、かろうじて飛行を再開した。もしこれが止まったら、永遠に宇宙を彷徨うしかない。満身創痍、ボロボロのはやぶさはよたよたと進み、打ち上げから7年、予定を大幅に過ぎた2010年ついに地球の引力圏内に入った。
そして6月13日、カプセルを分離し最後の指令を実行する。最後に地球を撮影するのだ。はやぶさは残り少ない力を振り絞って、地球を5-6枚撮影してデータを地上に送信する。その直後、無数の破片に砕け流星のように輝いて燃え尽きた。南オーストラリア州では数十秒間、満月の2倍の明るさで輝いた。人の影が地面に映るほどの明るさを放った。一筋の光の尾を曳くカプセルは、見事にパラシュートが開いて落下し回収された。そのカプセルの中には、小惑星イトカワの微粒子が3千個も入っていた。
はやぶさが送った地球の写真は、そのほとんどが真っ暗だったが、最後の一枚がぎりぎりで地球の姿を捉えていた。
さて、はやぶさの後継機「はやぶさ2」は、初代の問題点を改良して2014年12月3日、すでに種子島宇宙センターから打ち上げられている。今度は小惑星「リュウグウ」に着陸し、サンプルを持ち帰る計画だ。2018年夏、リュウグウに到着し約18ヶ月滞在する予定だ。無事に行けば、地球への帰還は2020年の末になる。
ラジオを聞くのは車に乗っている時だけだ。最近は車に乗る時間が減り、ラジオを聞くことが少なくなった。時に妙に心に残る話を拾ったりする。
そんな話を3つばかり紹介しよう。
(第一話)茹で卵と少女
この話の詳細はすっかり忘れた。ひょっとすると、ラジオではなく何かで読んだものなのかもしれない。それくらい忘れたが、なんだろう、この話には心を揺さぶるものがあってずっと記憶に残っている。相当創作を入れて書き出してみる。
作家だか女優だかになった女性が、女学生だった頃の想い出話だ。公立の中学に通っていた彼女のクラスにトロい少女がいた。大柄な少女は脚に障害を持ち、片足を軽く引きずっていた。無口で成績はいつでも最下位だった。少女に友達はいなかったが、暗い感じではなくいつもニコニコしていた。問題はニコニコがニタニタに見えてしまうことだ。勉強が出来ないのには訳がある。彼女のお母さんはフィリピン人で、幼い時はフィリピンで過ごし、来日してまだ数年なので日本語が完全ではなかったのだ。年齢もクラスの仲間より2歳ほど上だった。
彼女はクラスで無視されていたが、表だってイジメに遭っていた風ではない。まあ皆で無視すること自体がイジメともいえるが。どう接してよいのか、子供達にはよく分からなかったのだ。
さてクラスで遠足があった。当日の朝、少女のお母さんは大きな袋を持って学校に現れた。その袋の中には、クラスの人数分の茹で卵が入っていた。先生は、「皆さん、xxさんのお母さんから茹で卵をいただきました。一人一個づつ取って下さい。」少女はいつものようにニコニコしていた。
この話をしゃべっていた女性は、感情を交えずに淡々と話していたので、本人がどう感じていたのかは分からない。少女のその後も分からない。少女のお母さんは目を細め、体操服姿の娘が遠足のバスに乗り込むのを、腕を組んで満足そうに見送った。このお母さんがいる限り、娘は大丈夫、そんな気がする。
(第二話)とんだ正月
これはリスナーからのメールかFAXを読んだ話だ。リスナーの男性が若いころの話で、当時はまだ携帯電話が普及していなかった。彼は地方から来て、会社の寮に住んでいた。会社は郊外に倉庫を持っていた。その倉庫で大みそか、最後の出し入れと清掃を行って正月を迎える。彼は倉庫の大掃除で、奥まった部屋にいて、気が付いたら周りには誰もいなかった。出入り口は外から頑丈に施錠されていた。そう、彼は倉庫に閉じ込められてしまったのだ。連絡の手段は無く、彼が救出されたのは何と正月明けの4日の朝だった。幸いトイレと水道はあったが、食べ物は全く無くて丸3日と半日で、体重は7-8kgs減っていたそうだ。寮の仲間は、彼のことをまたスキーにでも行ったのかと、さして気にも留めていなかった。
ヒエー、とんだサバイバルだこと。もし休みが5-6日あったら命に係わっていたかもね。これは実に希少な体験だけれど、あまり自慢出来る話ではないな。でも人には伝えたいだろうから、ラジオの匿名投稿には良いね。
(第三話)はやぶさの帰還
はやぶさは2003年5月9日に打ち上げられた。順調に行けば2007年には帰還するはずだったが、数々にトラブルに見舞われ、その帰還は2010年6月13日にずれ込んだ。はやぶさが有名になったのは、帰還(大気圏再突入)の少し前からだ。打ち上げの時や、小惑星イトカワの観測・着陸時もニュースにはなっただろうが、それほど大きな反響を呼んだとは思えない。
それにしても、宇宙の彼方と電波を通して交信し、その信号で予期しなかった指令までをも実行するとは、日本の技術の凄まじさを世に知らしめた快挙だ。そしてはやぶさの健気さは涙なくしては語れない。また絶体絶命の危機を何度も、奇想天外なアイデアで乗り越えたJAXAの職員も偉い。はやぶさの旅は、行きからして波乱に見舞われた。打ち上げの年の2003年11月に観測史上最大規模の太陽フレアに遭遇して、太陽光パネルが回復不可能な劣化を生じ発電出力が低下しているのだ。
そしてイトカワへの2度に渡る着陸で大きく損傷し、燃料(推進剤)が漏れ、それが気化して温度が低下する。バッテリーの機能は激しく低下し、電源を失った。そして翌日から通信が途絶した。燃料が吹き出した為に向きが変わり、太陽電池パネルに太陽の光が当らなくなったのだ。
それでもはやぶさは、ぐるぐると回転する内にパネルが一瞬太陽を向く。その一瞬で微量の電気を蓄え、一時的に通信が回復した。ここで地球(JAXA)は思い切った指示を出す。帰還に用いるキセノンガスを直接噴射して、姿勢を制御しパネルを太陽に向けることを試みたのだ。はやぶさは指令を実行し、その試みは見事に成功した。
しかし数日後、再び通信は途絶する。以前に漏れていた燃料が気化して噴出したらしい。ここからはやぶさは1ヶ月以上行方知らずとなる。はやぶさは回転しながら、暗黒の宇宙空間を彷徨っていた。JAXAは行方不明のはやぶさに電波を送り続ける。年を越えて2006年1月末、諦めかけていた頃、微弱な電波がはやぶさから届いた。回転の一瞬だけパネルが太陽に向き、通信が復活したのだ。そのわずかな間の通信によって、はやぶさの状態が伝えられた。リチウムイオン充電池は11セル全てが放電し切った状態で、内4セルは過放電によって充電能力を失っていた。
地上から再度司令を出し、回転を止め貴重なキセノンガス再噴射により姿勢を回復することに成功する。2006年3月6日、3ヶ月ぶりに位置と速度が特定された。地球からの距離3億3千km、イトカワから秒速3mで離れつつある。5月31日イオンエンジンBとDの起動に成功。しかし4台あるイオンエンジンが、予定外の長旅に部品である中和器が劣化して次々に停止する。
イオンエンジンDが停止、Cもほとんど動かなくなった。そこで万一の為の配線が役立ち、Aの中和器と、打ち上げ半年後に停止していたBのイオン源をつなぐことによって、かろうじて飛行を再開した。もしこれが止まったら、永遠に宇宙を彷徨うしかない。満身創痍、ボロボロのはやぶさはよたよたと進み、打ち上げから7年、予定を大幅に過ぎた2010年ついに地球の引力圏内に入った。
そして6月13日、カプセルを分離し最後の指令を実行する。最後に地球を撮影するのだ。はやぶさは残り少ない力を振り絞って、地球を5-6枚撮影してデータを地上に送信する。その直後、無数の破片に砕け流星のように輝いて燃え尽きた。南オーストラリア州では数十秒間、満月の2倍の明るさで輝いた。人の影が地面に映るほどの明るさを放った。一筋の光の尾を曳くカプセルは、見事にパラシュートが開いて落下し回収された。そのカプセルの中には、小惑星イトカワの微粒子が3千個も入っていた。
はやぶさが送った地球の写真は、そのほとんどが真っ暗だったが、最後の一枚がぎりぎりで地球の姿を捉えていた。
さて、はやぶさの後継機「はやぶさ2」は、初代の問題点を改良して2014年12月3日、すでに種子島宇宙センターから打ち上げられている。今度は小惑星「リュウグウ」に着陸し、サンプルを持ち帰る計画だ。2018年夏、リュウグウに到着し約18ヶ月滞在する予定だ。無事に行けば、地球への帰還は2020年の末になる。
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