きつねゆりセカンドハウス

きつねゆりは「グロリオサ」の和名です。
あの方の復帰を願いながら、
ぶつぶつつぶやいています(o'.'o)

オッパー

2019-05-26 13:05:36 | ぺ・ヨンジュン


韓国では夫婦なのに妻がなぜ夫をオッパー(兄さん)と呼ぶのか

韓国ドラマを韓国語で見ているとわかります……
夫婦の間でも妻が年上の夫をオッパー(兄さん)と呼んだりしています。
結婚前の癖が抜けないのでしょうが、
日本から見れば、ちょっと違和感があります。

恋人同士の呼び方

人間関係や上下関係を厳しく律する儒教思想が社会全体に浸透している影響なのか、
韓国語では、相手への呼びかけの言葉が日本語以上に細分化されています。
たとえば、「姉さん」と呼ぶときも、男性が言う場合と女性が言う場合が違います。
男性は年上の女性を「ヌナ」と呼び、女性は年上の同性を「オンニ」と呼びます。
「兄さん」も同じで、男性は年上の同性を「ヒョンニム」と呼び
(この「ニム」は「様」という意味なので、
親しい間柄ではそれを省略してただ「ヒョン」と言う)、
女性は年上の男性を「オッパー」と呼びます。

東京では、いくら年上でも他人であれば「兄さん」「姉さん」とはあまり言いません。
しかし、関西ではそういう言い方をよくします。
韓国の場合は、100%そういう言い方をして、
男性なら年上を「ヒョンニム」「ヌナ」と呼び、
女性なら「オッパー」「オンニ」と呼びます。

ここで、恋人同士の呼び方が問題になります。
普通、男女のカップルの場合は、男性が年上のケースが多いようです。
そんなときは、恋人同士でも女性は男性のことを「オッパー」と呼びます。
この場合、男性は女性のことを親しみを込めて名前を呼び捨てにします。

オッパーと呼ばれているうちが華

結婚前に女性が男性のことを「オッパー」と呼んでいたとしても、
夫婦になれば、呼び方が変わります。
韓国ドラマを見ていればよくわかりますが、夫婦はともに配偶者のことを
「タンシン(あなた)」と呼ぶことが多くなります。
しかし、新婚時代はまだ恋人時代の延長のようなもので、
妻も「タンシン」と呼ぶのが照れくさいようで、
慣れ親しんだ「オッパー」を使ったりします。

見方を変えれば、妻が夫を「オッパー」と呼んでいるうちは、
まだ夫婦はアツアツだと言えます。
妻が夫を厳しく「タンシン」と呼ぶようになったら、
夫もピリリと身が引き締まるのではないでしょうか。
「オッパーと呼ばれていた時期が一番良かった」
後になって、そう思い出すかもしれません。
ちなみに、この「オッパー」というのは、そのまま「オ」にアクセントを置いて
カタカタ通りに発音すれば正確な韓国語に聞こえます。





冬のソナタでは、ユジンとチュンサンは同級生なので、
「ユジナー」「チュンサンガー」と名前で呼び合ってましたね。
それがまた、私たち日本人にとってはとてもいい響きでした・・・・
最終話で、呼び合うシーンは、名前を聞くだけで涙が出てきます。
これが・・・「オッパー」なんて呼んだらドラマのイメージが変わりますね。

韓国ドラマをたくさん見ていますが・・・
未だに「オッパー」と言う呼び方に違和感を感じている私です。
ドラマによっては、翻訳者が「オッパー」を、名前に訳してる事も多いですね。

30年ぶり....

2019-05-25 21:20:00 | ゆりのおさんぽ
 
今日のお休みは、
街に出て、友人とおしゃべりしてきました。
年賀状などでやりとりしてましたが、
30年ぶりの再会です。
このはる、秋田に帰ってきたのです。
30年経っても、
なんの違和感も無くおしゃべりできるのは、
お互い、30年前と変わってないと言うことでしょうか......
 
一緒にランチを食べ、
美術館で、木梨憲武さんの絵を見て、
丁度行われていたお祭りも見ることができ、
楽しい、有意義な一日をお過ごしました。
 
 
 
 
木梨憲武さんの絵は、本当に細かくて
根気のいる作品ばかりでした。
色使いも綺麗でしたよ。
 
お土産にやっぱりクリアファイルを買ってしまいました。
 
 
 
一緒に遊んでくれた友人ちゃん、ありがとう。
これからずっと仲良くしていこうね。

韓国の結婚式

2019-05-25 10:28:54 | ぺ・ヨンジュン


韓国の結婚式で引き出物を出さない理由とは?

韓国の結婚式は日本から見ると「異例」です。
基本的に招待状は出さず、電話やメール、友人を通しての伝言などで
参列者が集まるケースが多いのです。
したがって、新郎か新婦の知り合いであれば、誰でも出席できます。
ご祝儀もお金で出す人もいますが、プレゼントを渡す人も多く、
高価なものなら友人との共同購入でも構いません。

かつては質素な結婚式を奨励!

韓国の結婚式では、式場内での席も特に決まっておらず、
知らない人が紛れてもわからないほどです。
結婚式自体もあっさりしています。指輪の交換などをサッと行ない、
新婦がブーケを投げる際に記念写真を撮ってお開きといった感じです。
食事はビュッフェ形式がほとんどで、引き出物も基本的にはありません。


こうした形式が多いのは、1973年に施行された
「家庭儀礼準則」による影響が大きいと言えます。
この法律では、結婚式で引き出物などを出すこと禁止しています。
まだ暮らしが厳しい時代にもかかわらず、
韓国人はプライドが高く見栄っ張りな人が多いので、
借金をして豪華な冠婚葬祭を行なうケースがとても多かったのです。
そうした「無駄遣い」を戒めるために、当時の軍事政権は国民の冠婚葬祭に
「質素」の概念を持ち込もうとしました。根付いた習慣は変わらない

質素な結婚式を奨励するために、
1980年には高級ホテルで結婚式を挙げることも禁止になってしまいました。
しかし、韓国が経済成長を果たしたあと、状況が変わっていきました。
特に民主化が実現すると、
プライベートの儀式まで法で縛るのは良くないという風潮になりました。

その結果、1997年に法律が大幅に緩和され、
1999年には高級ホテルでの結婚式も可能になりました。
それでも、約四半世紀続いた法律で根付いた習慣によって、
簡素な結婚式が多かったのですが、
最近では高級ホテルでの豪華な結婚式も増えています。
それでも、結婚式で引き出物を出さないというのが未だに主流です。






済州島の海女

2019-05-24 11:57:46 | ぺ・ヨンジュン


韓国のビックリ「済州島の海女」

地方に住む人々の生活ぶりをよく取り上げるKBSのドキュメンタリー番組
『人間劇場』を見ていたら、済州島の海女(ヘニョ)がたくさん出てきた。
みんな、とても元気が良かった

屋台骨を支える仕事

私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)の母は、1918年に済州島の西帰浦(ソギポ)で
生まれたのだが、10代のときに海女をしていた。
当時のことをこう話してくれたことがあった。
「海に出るときは、かんぴょうの中をくり抜いて乾かしたものを浮輪に使うの。
潜っている間に浮輪が波間を漂ってしまうけど、水から上がると浮輪をたぐり寄せ、
それにつかまってしばらく休む。
海に浮かんでいるときは、ホント、気持ちがよかったよ。
そして、何度か潜ったあとに海辺に上がり、焚き火に当たってからだを乾かす。
落ちついたら、また海に入っていく。
これを何度か繰り返すけど、潮が満ちてきたら終わり。
その日に獲ったサザエやアワビを近くの加工工場に売りに行くのね。
重さを量ってもらうと、その場で現金をくれる。これがうれしかった」
その日の現金を受け取れる海女という仕事は、
済州島の中で数少ない「稼げる仕事」だったようだ。
命の危険をともなう仕事でもあるのだが……。
母が海女をしていたのは1930年代だが、
現在でも西帰浦では海女をしている人たちがいる。
港の突端に行くと「海女の家」があって、
採れたばかりのサザエやアワビを食べさせてくれる



も多くの人たちを誘って出掛けたが、韓国の本土から来た人たちは
海女たちの会話を聞いても「まったく理解できない」とお手上げだった。
それほど方言が強いのである。
しかし、賑やかに笑いあっている海女たちを見ていると、
言葉はわからなくても、たくましさが伝わってくる。
「夫に代わって私が家の屋台骨を支えている」
そんな気骨を感じる。実際、海女の仕事で子供たちを何人も留学させた、
という話を何度も聞いた。済州島では海女の存在がキラリと光っている。

80年前と変わらない

海女をよく見かけるのが、西帰浦の有名な滝の周辺だ。
黒い潜水服に身を包んだ海女たちが観光客用にアワビやサザエの刺身をよく売っている。
そのときは、いつも大型のアワビを勧めてくる。
値段を聞いてみると、5万ウォン(約5千円)だという。
私は苦笑いを浮かべながら、
「5万ウォン? 小食だから2万ウォンのでいい」と言っておく。
相手はちょっとあきれた表情でたらいの中から小さいアワビを取り出し、
まないたの上で手際よくさばくと、白い皿に盛って手渡してくれる。



焼酎を飲みながらアワビの刺身を食べる。
固くてコリコリしていて容易に噛み切れないが、
口の中に潮の香りが満ちて、舌に独特なヒンヤリ感が漂う。
うまく噛み切ると、コロッと身が裂けていき、
あっさりした味わいが舌に残る。この食感の良さがアワビ人気の秘訣なのか。
アワビだけでなく、タコ、サザエ、ホヤなども美味しい。
海女が採ってきたばかり……と思うと、さらに味わいが深くなる。
母が海女をしていた頃から80年以上も過ぎたが、
済州島の海女は今も元気に海に潜っている。




済州島に旅行に行ってから、9年以上も経つ・・・・
ついこの間のように感じるけど、
最近、月日が経つのが早い・・・(笑)

写真は、そのときに行った海女博物館のフォトです。
戦後、大阪付近に出稼ぎに行った海女も多く・・・
それで、大阪にコリアタウンがあるようです。

済州島は海もきれいでした。



ボランティア

2019-05-23 13:35:47 | ぺ・ヨンジュン



韓国の被災地で奉仕活動
「民族的固定観念捨てて」 武藤俊哉さん

【ソウル聯合ニュース】
4月初めに韓国北東部・江原道で発生した大規模な山火事の被災地で
奉仕活動をしている日本人男性がいる。
武藤俊哉さん、56歳。

今月2日から被災地の江陵・玉渓面に入り、
韓国のボランティアと共に汗を流している。
玉渓面では63世帯128人の住民が山火事で住宅を失った。

農作物の栽培や火災現場の片付け、
被災者が暮らす臨時施設の環境改善作業などを行っている。
また、江陵市ボランティアセンターで高齢者100人余りに
食事を提供する活動にも参加している。

武藤さんは江原道で大規模な山火事が発生したことを知り、
自ら被災地を訪れた。「江原道を助けて
(Save our Gangwon-Do)」との
メッセージを入れたベストを身に着け、被災地を駆け回っている。
ベストは自身がデザインしたもので、韓国と日本のほか、
米国、北朝鮮などの国旗が入っている。
韓日両国の友好や国際的な連帯をイメージさせるものだ。
2011年3月まで新聞記者として18年間、東京で勤務した。
「個人的な考えだが、歴史的な問題があるため韓国と日本の関係は
最も難しい関係だと思う。両国関係が安定しなければ、
われわれの地域全体(東アジア)が安定しない」と話す。

また、「日本人は民族的固定観念から韓国を見るのではなく、
韓国の友人と知人を持つべき」とした上で、
「ここ数週間、すばらしくて尊敬できる人たちに囲まれ、幸せだった」
と感想を述べた。

武藤さんは21日を最後に20日間のボランティア活動を終える。
最後に「日韓関係は壊れやすく、敏感だ。
日本人が国際社会で尊敬される市民になることを望む」と強調した。

江陵市のボランティアセンター関係者は
「武藤さんは自費でゲストハウスに泊まりながら、
支援活動を行うなど、民間外交官の役割を果たした」と感謝の意を示した。



韓国の山火事のニュースは、気になってよく見ていましたが・・・
その後はどうなったのか、よくわかりませんでした。
このように、日本人でもボランティア活動をしている人がいたんですね。