ナサラ農法開発者の翡翠先生のブログ

農業が注目される今、本物の農業が必要です。安心安全で環境に優しい農業を推進します。美味しい・栄養価の高いものへと・・

山へ

2010-04-13 21:13:51 | 農業

今朝は、て良い天気になりました。

午前中、化粧品メーカーの方と打ち合わせをしました。

いろいろな製品やその話について、説明すると・・喜んで頂けたようです。

 

 午後から、山へ行きました。

 山はまだまだ冬山でした。

平年とあまりかわらないようです。今年は、暖かいので少し早いのかな?っとおもっていましたが、木の芽も出ていません。

山道は、まだまだ雪があり、雪が積もっていて、4WDでも行けない程の雪でした。

やはりゴールデンウィークまでは、雪が溶けないようです。

違う山を見てきましたが、同じく雪がまだ沢山積もっています。

平野部との違いが、かなりありますね。山の桜もこれからです。コブシが、少し咲かせているくらいです。

白樺が「まだ早いよ」といっているようでした。

 

高い山では、まだ春が訪れていませんね。

 


2010-04-13 00:29:48 | 農業
桃についての質問ですが、対処はばっちりですね。
気温や気候などに影響されてしまいますが、自然界の自然の木のものは、気温に影響されません。それは、ちゃんとした栄養バランスを摂取しているからです。
菌と酵素とミネラルと光の4つをしっかり取っているからですね。
畑で、一番不足してしまうのが、酵素とミネラルです。そしてその中でもカルシウムが一番足りなくなりますね。
ミネラルによって、沸点と凝固点の差が大きくなります。従って、気温による被害が減ります。0℃で凍る水が、ミネラルを含むことで凍らなくなります。ミネラルの原液はー15度でようやく凍ります。沸点は120度になります。このようなミネラルを吸収させることにより、気温が通常より高くても低くても、その差を植物が感じなければ、すくすく育ちます。
試験圃場に昨年の春に植えていたトマトが、雪の中でも今年の1月まで実が付いていたのもそのせいですね。

頑張って、最高の桃を育てて欲しいものですね。
分からない事が、ありましたら、何時でもご質問下さい。
皆さんが喜ぶ、最高の桃が出来上がることを祈念致します。

腐植について

2010-04-13 00:11:09 | 農業
腐植は、完熟させないといけないという話でしたが、粒の大きいものを割ってみるとその中は、まだ木の状態でした。完熟といって完全に完熟していない状態のように見えますが、どうなんでしょう?と質問がありました。
そうですね。その通りです。全体の1%以下ですが、そのような状態の物が含まれています。それは、どうしてか分かりますか?・・それは、自然界がそうなっているからです。自然界では、落ち葉だけが、腐植を造り上げるのでは無く、枯れ枝もその役目をちゃんと果しています。枯葉は、1年で腐蝕してしまい、腐植層を造りあげ、陽イオン交換膜状のものが出来上がります。しかし、その役目は、飽和状態になると無くなってしまいます。枯葉が重なり合い、酸素が入らない状態のところは、硫化物となり、雨によって染み込み、土中の鉄分を一度酸化させます。そこで生まれるのが硫化鉄です。酸素が入るところでは、勿論、好気生菌である白色腐朽菌等の分解により、酵素や糖、アミノ酸が出来上がり、その硫化鉄が還元されていく状態で、不安定状態になりフミン酸やフルボ酸、炭素等と結合し、-の電子を持った物質ができあがります。この物質が、+電子を奪う、陽イオン交換膜になります。全て枯葉ばかりでは、その出来上がったものだけの要領しかありません。雨が降るたびに吸着し続けると+電子を奪えるだけの要領が飽和状態になります。そこをカバーするのが、枯れ枝です。芯まで腐蝕していないからこそ、分解の残った枯れ枝を白色腐朽菌が更に分解し、そこで出来上がったもので補充して、又+電子を奪う物質が増える分けです。
菌や虫が、枯れ枝をつくる、その役目をしていることになります。又、風などにより痛められたりしたりしても枯れ枝をつくります。虫や菌、そして風も全て無駄では無いわけです。ですから、完熟した腐蝕にも、芯が残っているものもあるのです。それが、自然界の循環であり、バランスといえます。枯葉だけで作るものは、その枯れ枝が無いため、飽和状態になり、役目を果さなくなります。
芯が残っているのが多すぎると土中で発酵し、悪くなります。微量だからこそ良いといえる分けです。全て自然界のままの状態だからこそ、自然でありそれが完璧といえるでしょう。
自然が観えない人には、完璧なものは出来ません、又バランスも分からなくなります。その一点だけ見るからこそ見えなくなる。山全体を観ない限り、本物の答えが見つかりませんね。
医療もそうです。その単一のものだけで、治そうとするから、本当に直るのもがあっても、それが診えなくなる。大自然は、そのことをちゃんと教えています。自然こそ最高の教科書であり、最高の辞典であるといえるでしょう。
私の真の師匠は、山、川、海、空、風、火からの大自然です。
地に足を付けていても、足元を観ようとしないから自然が観えないのですね。そう、ただ足を付けるだけでなく、その感触、軟らかさや温度、そして流れるような気・・です。
山に行き、そこで腐蝕の良い香り、様々な木などの香り、そして気の香りを楽しみ、自分の頭の中が空っぽになった時・・無になるというべきか? その時にいろいろ観えるようになると思います。そして、自然はちゃんと教えてくれます。また認めてもくれます。それは、植物も動物もそうです。座っていると肩や頭に鶯などの小鳥が止まり、目の前にウサギや狐、狸、鹿、猪なども姿を見せます。そして、その動物達は、笑顔で答えてくれています。特に鹿は、目の前でいつまでもいますね。優しい目をして、何かいいたいのか?・・何分もじっと見ています。立ち去る時も一度振り返り、ゆっくりとはなれていく姿は、何か寂しい感じもします。何故なのか・・懐かしい感じにもさせてくれるのです。
人でもないのに、そして初めて行ったところの山でもそうでした。このようなことが数回ありましたが、不思議にかんじますね。でも偶然でなく、必然だと思います。もしかして・・山を守って欲しいと言いにきたのかも知れませんね。
最近は時間に追われて、山に行く時間がなかなかないですね。
近いうちにまた山に登らないといけないですね。
大きく大自然を観るために。
そして、自然の恩恵を受けるために・・