黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

被災地支援コンサートVol.26佐渡

2011-09-21 17:54:33 | 被災地支援
新潟から「佐渡汽船」に乗って佐渡へ。と言っても汽船じゃなくてジェットフェリーという高速船。1時間で佐渡に着いてしまいます。佐渡はここ4年ほど毎年のようにコンサートに行かせてもらっています。島内の殆どの町で行ってきた「里唄コンサート」の「締め」の様な形でコンサートが昨年から計画されていました。そして、この震災。被災地への支援の思いを込めて行われました。場所は金山のある相川の温泉ホテル「吾妻」 。夕日の見える宿100選にも選ばれたホテルです。その宿の海辺の庭園を使い、夕日をバックにちょうど夕日が沈むのに合わせた時間帯でのコンサート。参加者の皆さんは佐渡の大自然と夕日、そこに響くコカリナの音を満喫していました。そして演奏は黒坂だけでなく、佐渡のコカリナサークル「あてび」他、新潟や東京のコカリナサークルも出演、ちょっとした、コカリナフェスティバル。終了後、「吾妻」に宿泊する方も多く、二次会がまた盛り上がりました。翌日は僕はスクールコンサート。また佐渡の子ども達と楽しい時を過ごしました。
    
大海原をバックに「海原」を演奏             夕日をバックに演奏する佐渡コカリナサークル「あてび」
                               (「あてび」は佐渡にしかない「あすなろ」に似た樹木)

被災地支援コンサートVol.25新潟市西区

2011-09-21 17:07:50 | 被災地支援
新潟市西区護念寺にて
長野県内でかなりこまめにやってきた被災地支援コンサートは、いよいよ新潟に入りました。これから新潟でも数多くのコンサートが予定されています。新潟の初っぱなは護念寺。コカリナサークル「かっこう」の皆さんが中心になり計画してくれました。護念寺は新潟市郊外にある真宗大谷派のお寺。 戦国大名・細川家の流れをくむ先祖が、関西・北陸から越後に流れて来て寺を開いたという。ご住職は細川好円氏。本堂一杯に来てくださった皆さんと膝をつき合わせるような形でのコンサート。熱気に溢れたモノになりました。まずはご住職さんのご挨拶。アムネスティーの活動もされているというご住職さんのお話は、このコンサートにピッタリの心のこもった内容で、その思いに乗せられるように演奏させていただきました。終了後はいつものような大宴会。新潟の美味しい魚と酒が並び再会を祝いました。


石巻門脇被災松のセシウム検査について

2011-09-09 13:08:09 | 被災地支援
10月2日の「被災松復活コンサート」に向けて製作が行われている門脇小学校前の被災松ですが、伐採、製材、乾燥と順調に進んできたときに、京都大文字焼きに使われる事になっていた岩手陸前高田の松からセシウムが検出され中止になるとう事態が起きました。陸前高田の松からセシウムが出たとしたら、それより福島第一原発に近い石巻の松は汚染されている可能性はあります。子ども達の手に渡るモノでもありますし、なんとしても検査しなければなりません。でも聞くとところによると、検査機関はどこも野菜や土壌の検査で手一杯、何ヶ月も待たなければならない状態が続いているとのこと。困り果てたのですが、コカリナは様々な分野に愛好家やつながりを持っています。そのつながりで事情を説明しお願いしたところ、二つの研究機関(日本原子力研究開発機構、東京農業大学)が「被災地の子ども達を支援することだから」と優先的に引き受けてくださり、最新鋭の機器で綿密に測定していただくことができました。そしてその結果を先日送っていただくことができました。結果は両研究機関とも「検出されず」でした。ほっと胸をなで下ろしています。
 これで安心して子ども達に吹いてもらうことができます。
それにしてもなんと美しい松なのでしょう。木目が松とは思えないほどまっすぐできらきらと光っています。津波の後の火災で黒こげになっていた幹の中にこんなに美しいものがあったとは。木とは不思議なものです。きっと音も魂の籠もったいい音を出してくれると思います。そして何よりも復活の音です。この音が、10月2日石巻の空に響き渡ります。そして、年が明けて1月、ウィーンの空にも、スペインの空にも。

被災松のコカリナ材


紀伊半島豪雨について

2011-09-06 12:29:02 | 被災地支援
 9月3日から4日にかけて、台風12号により、紀伊半島は大豪雨に襲われました。妻、矢口周美の実家は和歌山県新宮市にあるため、多くの方からご心配の連絡をいただきました。テレビの報道で「大河熊野川が溢れ、新宮市内はほとんどが水没」と聞いてもう駄目かと思われましたが、幸いにも我が家は川から100メートルのところにあるにもかかわらず、奇跡的に浸水を免れることができました。ただ、多くの友人達が被害を受けてしまいました。特に熊野川の橋を渡った三重県側、紀宝町鮒田地区はほとんどの家屋が二階まで浸水する、という甚大な被害を受けました。実は、ここは「東日本大震災被災地支援つむぐコンサート」を一番最初に行ってくれたところでもあります。(このブログの最初の方に出てきます)地震と津波が起きてすぐ、「東北地方の皆さんのために何かしなければ」、と立ち上がってくれ、自主防災組織が中心になり公民館でコンサートを取り組んでくれたのですが、その皆さんが今度は大きな被害を受けてしまいました。
 また、同じ紀宝町にあり、私たちもよくコンサートをやらせていただいていたライブハウス「ふぉーくす」も水没、大きな被害を受けました。
 さらに、多くの友人が住む那智勝浦町の被害もひどく、お嬢さんと奥さん(行方不明)が犠牲になった那智勝浦町長さんは周美の高校の同級生でもあり、私たちのコンサートにも協力してくださっていた方です。
 これらのニュースが伝えられる度に、本当に胸が痛みます。紀伊半島豪雨により被災された皆さんに心からお見舞い申しあげると共に、東北支援と合わせてできる限りの支援をさせていただこうと思います。