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仁和寺と御室派のみほとけ展

2018-02-26 02:21:11 | 一期一絵

昨年、弟が京都の病院に2か月ほど入院してましたので、私は母の付き添いで9月(この時は次男も道案内で付き合ってくれましたっけ)と10月にそれぞれ2泊3日してお見舞いに行きました。病院はJR京都駅前のバスターミナルでバスに乗って1時間ほど揺られて行ったところにあります。バス料金はさぞや高くなるかと思いきや、一律230円でした(^_^)v。

その病院の停留所の3個前の停留所の前には重厚壮麗な門構えのお寺があり「御室派総本山 仁和寺」と書かれてありました。友人から「病院の近くのお寺もしくは神社にご挨拶に伺ってみるといいと思いますよ」とアドバイスをもらってたのでとても気になりました。でもお見舞いのほかに、9月は父の実家のお墓参り、10月は母の実家のお墓参りもして(どちらも京都にあるのです)あまり時間がなく、病院近くまで来たならやはり、特に母は病院にいる息子のそばにいたいし、そして車窓から門の向こうの境内を見てみるととても広く石段もあり、足の良くない母と私なので気持ちがくじけてお参りに行くのを諦めました。

10月のお見舞いから戻ってほどなく、気になりながらもお参りできなかった仁和寺の展覧会がトーハク(国立東京博物館)で開かれると知って何かご縁を感じました。開催されたら必ず行かねば。

展覧会は1月16日から始まりましたが、なかなか行けず前期展示が終わり後期展示になってやっと展覧会に行きました。会場は混雑していて熱気がありました。そして展示はとても見ごたえがあったのです。これは前期展示も観るべきだった!でもとにかく、展覧会に行けて仁和寺と御室派のお寺の仏さまにご挨拶できました。

 

 

仁和寺(にんなじ)は光孝天皇が仁和2年(886年)に発願して仁和4年(888年)息子の宇多天皇の代で完成された真言宗密教寺院だそうです。

《宇多法皇像》室町時代 15世紀 仁和寺

宇多天皇は出家して仁和寺に僧房を構えるのですが、皇室の僧房を「御室(おむろ)」と言うそうです。代々の皇室出身者が門跡(住職)を務める皇室とご縁の深い寺院だそうです。

仁和寺を総本山とする御室派の寺院は全国に約790箇寺あるそうです。

最高の格式をもつ門跡寺院として隆盛を極めた大寺院でしたが、応仁の乱(応仁2年 1468年)で伽藍のほとんどを焼失。それでも本尊や大切な所蔵品を避難させて守ったそうです。その後寺院は荒廃するも、江戸時代に入り仁和寺第21世 覚深法親王が直談判して徳川家光に再建の承諾をもらい再び立派な伽藍が再築され、その際、京都御所の建て替えに伴って紫宸殿や清涼殿も仁和寺の境内に移築されたそうです。家光将軍の配慮もさすがですね♪

 

仁和寺の名品を見てみると

天皇の書簡は宸翰(しんかん)と言うそうですが、その宸翰が表装され並んで展示されてました。

国宝「高倉天皇宸翰消息」平安時代 1178年 

こちらの宸翰は2月12日までの展示でしたので私は見ることはできませんでしたが、後期でも何名かの天皇の宸翰が展示されていて、中には十代の天皇の宸翰もありました。

この高倉天皇の宸翰は孔雀経法により中宮が無事に皇子を出産した事を悦んでいる内容だそうです。

 

空海筆の書も展示されてました。

 国宝《三十帖冊子》空海ほか筆 平安時代 9世紀

唐の修行僧と空海が書き写した経典。写真は空海が書いた部分です。そんなに大きくない冊子でびっしりと書かれてます。お経の内容を書き写したノートのように見えました。

その三十帖冊子を入れる箱がまた素敵なんです

 

国宝《宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱》平安時代 10世紀

乾漆造りの箱で、極楽の花の宝相華(ほうそうげ)と上半身が人間の鳥である迦陵頻伽(かりょうびんが)がとても繊細に描かれていて美しい。

国宝《阿弥陀如来坐像》平安時代  888年

展示では阿弥陀三尊像として観音菩薩と勢至菩薩を左右に従えてました。宇多天皇が父で仁和寺の完成を待たずに亡くなった光孝天皇の菩提を弔うために造営されたそうです。手は定印を結んでいて、制作年がはっきりしている定印を結んだ阿弥陀如来像では最古の像。平安時代らしい優しい丸顔の如来様です。

 

国宝 秘仏本尊「薬師如来坐像」円勢・長円作 平安時代 1103年

円勢と長円は当時を代表する仏師だそうです。やはり品のいい丸顔の仏様。清涼感のある佇まいが素敵でした。

仁和寺北院の本尊。焼失した大御室・性信親王の念じ仏を作り直した仏様。白檀を彫った小さな像で、精緻な彫刻と切金細工が施されてます。台座に彫られているのは十二神将ですね☆

 

仁和寺は弘法大師空海を宗祖とする密教寺院なので国家の安泰や天皇の病気平癒や皇子の誕生などを祈る「修方」が行われたそうです。

 

国宝《孔雀明王図》北宋時代 10~11世紀

こちらの図は2月12日までの展示でしたので見れませんでしたが、この図を基に日本で画かれた後の時代の孔雀明王図を鑑賞しました。

密教修法の孔雀経法を修方するときに掲げられた本尊画像。孔雀は毒蛇を食べると言われ、その孔雀に乗った孔雀明王は他の明王のような憤怒ではない冷静な表情をしてますが、あらゆる厄災を払うそうです。仁和寺の孔雀教法の威力は絶大と言われていたそうです。

修方で使われる法具もいくつか展示されてました。

重要文化財「金銅火焔宝珠型舎利塔」鎌倉時代 13世紀

腕で抱えて丁度いいような大きさで存在感があります。この中にさらに小さな容器を入れてその中に仏舎利を治めたそうです。

銅板を鍛造して作られていて、制作者「錺屋長兵衛」の銘が入ってます。錺氏の名前が刻まれた最古の作品でもあるそうです。

 

密教らしい仏様では《愛染明王坐像》も展示されてました。お顔は憤怒なのは明王さまだから当然なのですが、人間の愛にまつわる煩悩はなかなか収まらないので怒っているのでしょうか。

 

そのほかにも密教寺院らしく、弘法大師の肖像画が展示され、様々な曼荼羅図が展示されてました。両界曼荼羅図(胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅)も2種類展示されてました。中でも濃紺地に金と銀の色で曼荼羅を描いたかなり大きな曼荼羅図は美しく荘厳な華やかさがあり圧倒されます。

《北斗曼荼羅図像》(鎌倉時代13世紀)は北極星と北斗七星を中心とした星の曼荼羅図なのですが。周りに西洋の12星座の絵(てんびん座とかうお座とかしし座とか)が円になって配置されていて驚きました。どういう経路で西洋の星座が日本に伝わってきたのだろう・・・

 

さらに様々な仏様を表した絵巻物、聖徳太子の若い姿を描いた肖像画があり、鎌倉時代に画かれた日本地図、そして日本最古の医学書も展示されてました。

国宝《医心方》平安時代 12世紀

医博士であった丹波康頼(912〜995)が隋・唐時代の医書を書き写して朝廷に献上したもの。現存する最古の写本。ほかに薬の本もあり、日中両国にとって貴重な医学資料だそうです。

 

仁和寺の観音堂は普段は非公開。現在観音堂が解体修復中だそうで、そのため観音堂の仏さまが全員そのままこちらに来て展示されてました。壁の仏画も高精細図で再現され、まるで本当にお堂に入ったような様子です。展示室には沢山の人でひしめいてました。この展示室は撮影可能でしたので、来場者は殆ど撮影していて、私もスマホで撮影しました。

 

観音堂内部の彫像は江戸時代17世紀に造営されました

中央に千手観音菩薩その脇侍には向かって左側に不動明王、反対には降三世明王。おおう、ちょっとぼやけてますが降三世明王のあの特徴的な手印(しょういん)が見えます☆

他に28部衆と風神雷神がいます。

観音像の向かって左側です一段高いところで袋を持っているのは俵屋宗達の絵をほうふつとさせる風神。そして28部衆のうち14名が三段に分かれて安置されてます。

 

 

こちらが向かって右側。同じく一段高いところで雷太鼓を叩く雷神。そして28部衆のうちもう半分の14名の面々。仁王様だけは見てわかりましたが、他の方々はわからなく、いわれを知ってみたい。

その中で前列真ん中にいるこの方はまるで三国志の武将の趙雲様のように見えてひと際素敵でした☆会場に設置されたパンフレットを見てみたら「散脂大将」だとわかりました。鬼子母神の息子、もしくは夫といわれ、毘沙門天に眷属しているそうです。

背後の高精細画像で再現された壁画は裏面にも描かれていてぐるりと回って鑑賞することができます。その中でこの絵が印象的でした。

 

鬼に来世の姿と運命を鏡で見せられる人と体が獣になった人。その獣になった人の姿が芥川龍之介の「杜子春」を想いだしました。

 

その他移築された紫宸殿の障子絵も展示されていました。前期は狩野孝信筆で中国の歴代の賢人を描いた《賢聖障子絵(げんじょうのしょうじえ)》の一部が展示されていたそうです。うーん見たかった。

私が来たときは同じ画家で《牡丹図襖》が展示されていました。こちらの作品は2013年に記事にした「京都ー洛中洛外図と障壁画の美」展で鑑賞したことがあり、またお会いすることができました。

 

 

次に御室派の寺院の絵画より

 

《彦火々出見尊絵(ひこほほでみのみことえ)》 狩野種泰筆 江戸時代 福井県 明通寺

海彦山彦の物語絵巻です。上の絵のところは山彦が龍王の姫と結婚して、お子さんが生まれるので姫の父の龍王が姫のお産に立ち会うため山彦の屋敷に向かうところだそうです。龍王の乗る船の周りを従者が馬のような生き物に乗って波間を走るのは西洋の絵にも見たことがあります。龍王が船の屋根に手を置いてそわそわしている様子が何とも微笑ましい。山彦がごねる兄の海彦に龍王からもらった小さな渦潮で兄を懲らしめる様子などはかなりユーモラスでした。色も鮮やかで、描かれた人物が生き生きとして見ていて楽しい絵巻でした。

 

 そして全国の御室派のみほとけも素晴らしく見ごたえがありました。秘仏も多く展示されていて、普段お寺に参拝してもめったに見られない仏様にお会いできたのはとても眼福でした。

   

 重要文化財《降三世明王明王立像》平安時代 11世紀  福井県 妙通寺

降三世(ごうざんぜ)明王と言えば四面八臂、シバ神とその妻のパールヴァティーを踏んづけていて、憤怒の表情で迫力あります。そしてなんといっても胸の前に小指を絡めている手印が特徴的です。降三世様にお会いすると私も手印をまねしたくなります。シバ神夫妻は気の毒なのですが・・・。妙通寺では《深沙大将立像》と一緒に2m50㎝もある堂々としたお姿で立たれているそうです

 

国宝 秘仏本尊《十一面観音菩薩立像》平安時代初期 8~9世紀  大阪府 道明寺

地元の豪族だった土師(はじ)氏の氏寺として土師寺という名前で建立。後に道明寺という寺名に変わったそうです。十一面観音菩薩像を本尊としてます。菅原道真が彫りを入れたと言われる一木造りの観音さまは、端正なお顔立ちで衣の彫も美しく凛とした佇まい。仏像彫刻の傑作。毎月18日と25日に開帳されるそうです

菅原道真は土師氏の血筋で、大宰府に左遷される際、お寺はお米を炊いて乾燥させて臼で引いた干し飯を携帯食に贈ったそうです。それが今では桜餅で有名な道明寺粉になったそうです。

 

 重要文化財 秘仏本尊《如意輪観音菩薩坐像》平安時代 10世紀  兵庫県 神呪寺

六甲山の一つ甲山の中腹に立てられている神呪(かんのう)寺からは100万ドルの夜景が見えるそうです。指先に如意輪を載せた観音様は帆杖をついて少し猫背で足を組んで物思いにふけっているように見えました。毎年5月18日のみ開帳されます

 

今回の展覧会には千手観音菩薩像が三駆展示されてました。その中で2月14日から展示が始まった観音様を載せます。

国宝 秘仏本尊《千手観音菩薩坐像》奈良時代 8世紀 大阪府 葛井寺

 天平彫刻の最高傑作のひとつと言われる葛井(ふじい)寺の千手観音菩薩像。普通は千手観音菩薩は一つの手で25本の手を表して40本の手で千手と数えるのですが。こちらの観音様は1041本と千手よりさらに多い手がついてます。

手には目がついています。

千手のうち大きい手にはいろいろな仏具を持っていますが、それぞれに意味があり、その説明が会場の壁に書かれていました。

乾漆づくりで意外と大きな像です。空気が変わるような存在感と美しさがあります。でも圧迫感はなく優しく清楚で少年のようなお顔で親しみを感じる佇まいなのです。ふわりと胸の前で合わせている手も美しい。天平彫刻は日本の仏教彫刻の青春時代なのだなあ、と瑞々しい表情の観音様を見て思いました。この像の周りは鑑賞者で何重にもひしめいていました。

会場はこの観音様の周りを360°ぐるりと回って鑑賞できます。後ろ側に回ると千手がどのように観音菩薩像に着いているのかが見えます。

 

そして頭の上にぐるりと並ぶ仏の顔には慈悲のお顔や憤怒のお顔が並びますが、後ろ面には「暴悪大笑」のお顔が見えます。「暴悪大笑」面は以前、中華映画ファンの集まりで友人から教えていただいたことがあり、それからは十一面観音菩薩像や千手観音菩薩像を鑑賞するときは可能な時は必ず後ろに回ってこの面を見るようになりました。必ずしもすべての十一面観音菩薩と千手観音菩薩にあるわけではないですが、こちらの菩薩様にはありました。「暴悪大笑」はいろいろ解釈があるようですが、いずれにしても心から笑っているのではなく、表情の中に複雑な想いがこもっているのが見てわかります。人々を慈悲で救済する観音菩薩の後ろにこのお顔があるのを想うとやはり菩薩さまでも苦悩と葛藤がひっそりと存在しているのだと感じ、気持ちが引き締まります。毎月18日のみ開帳されるそうです。

 

最後に鎌倉時代の慶派の仏像を載せます

重要文化財 秘仏《馬頭観音菩薩坐像》鎌倉時代 13世紀 福井県 中山寺

観音菩薩のお顔は通常は穏やかなのですが、馬頭観音菩薩だけは憤怒の表情で表わされます。慶派の仏像なので男性的で逞しく、玉眼が入ってます。頭の上には馬の頭部が乗っています。

33年に一度しかお会いできない秘仏です。

 

他にも見ごたえのある「みほとけ」が展示されていました。どのみほとけも姿美しくお顔麗しく素晴らしい像でした。

御室派の仏教美術を堪能した一日でした。

3月11日まで開催されています。


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