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高野山の名宝展

2014-11-23 14:31:37 | 一期一絵
「高野山開創1200年記念 高野山の名宝」展


11月15日にサントリー美術館にて鑑賞しました。

この展覧会、なんというか、凄いのです。こんなすごい仏像や仏教絵画を一気に見てしまってよいのかと思うくらいの濃密な空間でした。
全ての作品を書くことはとてもできないので
私は八大童子にお会いするのを第一の目的で展覧会に向かいましたので、やはり八大童子のことを中心に感想を書きたいと思います。

まず、入ってすぐに東を向いた(向かって右向き)弘法大師坐像にお会いします。

弘法大師坐像(萬日大師) 室町~桃山時代 16~17世紀 金剛峯寺

その弘法大師像に促されるように会場に入り、密教の正統な伝承者である証の仏龕(ぶつがん)に出会います。


国宝 諸尊仏龕 唐時代 8世紀  金剛峯寺蔵
唐の長安にある青龍寺の恵果和尚から渡された品で、蝶番で見開きできる作りで持ち運べる大きさなので”枕本尊”と呼ばれてるそうです、釈迦三尊像を中心にぎっしりと精緻なつくりで仏様が刻まれていて小宇宙を成しています。白檀の木で作られているそうで、1000年以上前の品だしガラスケース越しに見たので薫りはわかりませんでしたが、弘法大師が手にされていたときは仏龕から薫りを発していたでしょう。

高野山は京都から距離があるので幾多の戦乱から避難させるために他宗派の仏像も受け入れ守り伝え「山の正倉院」と言われるそうです。
釈迦如来を本尊とする宗派の仏像では快慶作の四天王像、執金剛神立像が素晴らしかったです


四天王立像 快慶作 鎌倉時代 12~13世紀 金剛峯寺蔵 (左から、持国天、増長天、広目天、多聞天)
腰をひねり体全体の関節を作動したような決めポーズが美しい。



執金剛神立像 快慶作 鎌倉時代 12~13世紀
近年快慶作と断定された仏像です。躍動的な姿は軽やかでお顔は怒りを込めてますが、快慶の仏像は品の良さを兼ね備えていて美しい。
執金剛神像は2体に別れると仁王神と呼ばれます。
この執金剛神や仁王神の源流は遠くギリシャ神話の英雄ヘラクレスになることを数年前に知りすごく感激しました。1000年以上の時をかけ、ゆっくりと大陸を東に進み、名前が変わり武器が棍棒から金剛杵へと変わり、ゼウス神の子から仏の守護神と役目を変え、海を越え日本で終点をむかえ、なおも素晴らしい肉体美で私たちを圧倒します。



高野山はもちろん真言宗総本山なので、密教美術が中心です。

本尊は大日如来で金剛界と胎蔵界で2種類の手印(手のポーズ)をされます。
展示されていた大日如来さまは金剛界の手印をされてました

大日如来坐像 平安時代 仁和3年(887) 金剛峯寺蔵


鮮やかで神秘的な曼荼羅図も展示されていました。
期間内で展示替えがあり、私が見たのは金剛界曼荼羅図でした。江戸時代に模写されたものだそうです。

また法具、弘法大師が唐から帰還するときのエピソードをつづった絵巻、仏画などが展示されてました。
愛染明王像では下向きの矢を射るポーズが印象的でした。

そして、通常憤怒の相であらわす明王のなかの例外、穏やかな相で佇む孔雀明王坐像


孔雀明王坐像 快慶作 鎌倉時代 1200年金剛峯寺蔵
後ろに見えるは国宝 五大力菩薩像 (平安時代 10~11世紀)です。すごいオーラ。
見上げるような孔雀にまたがった孔雀明王は怒った顔はしてなかったけど、この世の者でない超然とした表情です。高貴で凛とした美しさがあります。
快慶の作品は均整のとれた全体像と優美さのなかに厳密で小さな形の狂いと独りよがりな満足を許さない厳しさも感じます。
やはり仏様は私たちの遠く及ばない存在であることを痛感させられます。
毅然とした美しさは孔雀にもあります。細かなところまで美しい彩色が残ってます。特に、孔雀の首にかけられた精緻な模様の布の柔らかな表現が印象的でした。きっとシルクに違いないと思う木彫でした。


密教の仏画も仏像も、鮮やかな彩色が施され近寄りがたい威厳のある風貌や、憤怒の表情の姿が多く、親しみやすさよりも恐れの感情が湧きます。

そして、一番楽しみにしていた八大童子像(金剛峰寺蔵)


美しいS字形の炎を背にした不動明王坐像(大日如来の化身)を囲むように並んでいました。

不動明王坐像 平安時代(金剛峰寺蔵)

八大童子のうち6躯は12世紀に運慶が制作してます。もとは8躯あったそうですが戦乱などにより失ったそうです。
勢ぞろいした写真左端の指徳(しとく)童子と右端の阿耨達(あのくた)童子は14世紀に当時の仏師により制作されました。

その14世紀の童子もまた素晴らしいのです。
なにせ運慶の童子と並んで安置されるのですからね。当時一番の腕の仏師が精魂込めて彫刻されたに違いありません。
木彫で彩色はありませんでした
この2躯の画像をなんとか見つけましたが、顔立ちがはっきり見えないのが残念です。

指徳(しとく)童子 南北朝時代 14世紀
仏に仕える強い決意がお顔に現れていて、なおも幼いかわいらしさがあります。


阿耨達(あのくた)童子 南北朝時代 14世紀
龍に乗っている姿ですが、龍は前足を一つ上げているので3本の足で全体を支えてます。この細い三本の足で全体を支えている絶妙なバランスが素晴らしい。その乗龍姿も颯爽として美しい。

そして運慶作の6躯の童子。国宝です。
彩色が鮮やかに残ってます。それぞれの性格が表情に現れ、生きているようで、息して話しかけそうなんです。これまで見た仏像のようなこの世の者でない超然とした存在とは違うのです。神様がピノキオに命を与えたように運慶は6人の少年に命を吹き込んだように見えて、目の前で一歩を踏み出しそうなんです。
すごいなあ
せっかくなので表情が見える画像がないか探して、なかなか見つからなかったので、手持ちにある分冊百科の図版を写真に撮って載せてみます。


恵光(えこう)童子


矜羯羅(こんがら)童子


制多迦(せいたか)童子


烏倶婆ガ(うぐばが)童子


清浄比丘(しょうじょうびく)童子


恵喜(えき)童子

童子たちの実在感は人間的な感情を思わせる表情に更に目に玉眼を使用したのも大きいと思います。目に水晶をあて裏から目玉を描き白い紙もしくは布を当ててます。ほんとに目が濡れて見えるのです。本物の眼のレンズも水晶体といいますもんね。
それぞれの童子に性格があり、それに沿った表情や肌の色がなされてます。
展覧会で一番の推しは制多迦童子で、ポスターにもなってます。でもポスターの写真より本物はもっとすっきりして賢く俊敏そうなんです。

私が注目したのは最後に載せた恵喜童子です。この少年は浜田廣介の有名な児童文学「泣いた赤鬼」のモデルとなった童子です。

十数年前、たまたま人からもらい受けた絵本が作者浜田廣介氏が絵本用にお話を簡略にして書いたものでした。

その巻末に著者のあとがきが書かれてました。


今から36,37年前、盛夏のころにわたくしは、和歌山県の教育者関係の講習会に招かれましたが、そのおりに高野のお山に初めてお参りしました。すると、総本山金剛峯寺の宝物土用干しという、しあわせな機会にであって、国宝、重要文化財など、あれこれ拝観するうちに、ある木彫がわたくしの心をしっかりととらえました。像の高さ、およそ3尺(1メートル)ひきしまりのある姿態には力があふれ、まだ年若く、かしこそうな顔つき、いかにもそれは童子像表現の条件をみごとに生かし切っている童子の像でありました。あとの調べで、その立像は、国宝、鎌倉時代の運慶の作といわれ、八大童子のなかのひとり、恵喜童子ーーー知恵をめぐらし、その知恵を人に与えて喜びとする童子とわかって、わたくしはいっそう心をひかれました。このような童子をかりて、創作の童話の中に新しく日本の鬼を生かして書いてみたいと、ひそかに思い立ちました。
力強い運慶作の童子像に感動し、それにもとづくイメージの鬼とするなら、その精神と行動とをまさにそれにふさわしくあてはめなくてはなりません。別言すれば、これまでの鬼に対する考え方を切りかえるという、いわば一つの確信が果たされなくてはなりません。こうなれば、創作は、この人による「発見」といってもよいでありましょう。
こうして、「泣いた赤鬼」は書こうと思い立ってから2,3年の時が流れて、昭和8年(1933年)春のころ、脱稿、児童のための月刊雑誌に発表になりました。・・・後略・・・・


赤鬼は元々は仏に仕える優しい童子から誕生したとこの絵本から知りました。いつかお会いしたい少年でした。
絵本だけでなく、元の物語も読みました。浜田氏のお話は他の作品「竜の眼の涙」にも見られるように、世間から恐れられていたり嫌われているものへの優しいまなざしを感じます。

この童話を読んで、赤鬼は望む生活を得たかわりに一番大切な友を失ったんだなあ、と思ったものです。みんなから誤解され嫌われた青鬼は切ない。が、最近、あんがい青鬼は幸せかもしれないと思うようになりました。自分を犠牲にしてまで尽くせる友がいるのだから。青鬼は旅の中で、今頃赤鬼は幸せに過ごしていると思えるのなら自分も幸せな気持ちになれるのではないか、そして、気づいてないけど、赤鬼は自分をおもって泣いてくれてるのだから。

さてさて、青鬼にはモデルがいるのかな?
そして、少年たちは私達が生まれるずっと前から存在していて、私達が老いてこの世から去った後もずっと少年のまま存在し続けていくのですねえ

そんなことを想いつつ、見ごたえのある展覧会を堪能しました。
12月7日まで開催してます

2015年の1月23日(金)~3月8日(日)にあべのハルカス美術館にて巡回されます

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