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ジェームズ・アンソールー写実と幻想の系譜ー

2012-10-04 22:05:21 | 一期一絵

連日の用事の疲れと足が絶不調でフラフラしながら行ってきました損保ジャパン東郷青児美術館。
ビルの42階にあるので美術館のロビーから見た景色はこんなです

若干高所恐怖症なので怖かったです。床が揺れている感覚がしたけど、絵を鑑賞しているうちに慣れました。


ジェームズ・アンソールの絵を生で見るのは初めてかな、以前に何かの展覧会で1~2点はみたかしら。
彼の絵を愛する美大受験生が昔いましたな。いえ、特にご縁はなかったです。ただとても自慢げに
「いいだろうアンソール」
と仮面や骸骨の絵をみんなにみせていました。
仮面や骸骨の入った絵は気持ち悪かったけど、色が美しいし、絵はうまい。それは私にもわかりました。さらに後から徐々に感じたのは、何か神経をとがらせた繊細、かつナイフのように触れば切られるような攻撃性と相手をあざけるような皮肉をこめたユーモア感でした。
その受験生は先鋭的な芸術家をめざしていたようです。そういう芸術家の卵がしびれる画家なんだろうな、とまるっきり保守的な発想しか浮かばない私はまぶしく感じたものです。
 
あれからン十年たった今の私はこの人の絵をどう感じるか、楽しみでした。

やっぱり色が美しい。アンソールの絶頂期の絵は鮮烈なインディアンレッド、緑、青がパール調に微妙な色をまぜている白に印象深く塗りこんでいました。
そして、筆致は結構ペインティングナイフで豪快に色を重ねていて、ところどころとても繊細に細部を描いていました。
繊細かつ豪快。悪意と臆病さ。鮮烈な色。鋭い描写力。
ユーモアと皮肉がパレット上で不完全に混ざり合い、ペインティングナイフでいっきに塗る。
初めは間近で見ると単に色を塗っただけだけど、離れてみると色の集まりが像が浮かびあがるというベラスケス以来の描写法を意識してるのもありました。本人はアカデミズムに反旗を翻していたようですが、初期の絵はやっぱりアカデミックでした。今回の展覧会の絵はどちらかと言えばグロテスクな絵に目覚める前の絵の方が多かったです。

アンソールの妹さんがモデルの絵「扇子を持つ婦人」
グレー調の絵ですが、控えめなピンクや肌色や水色が効いてこんなに美しい色合いになるのはさすが!
ペインティングナイフで荒っぽくいろをつけているのに、顔のあたりは柔らかい筆致でその場の空気まで感じる。

アンソールがグロテスクな絵に目覚めてからの代表作

「陰謀」タイトルからもう意味深。
一節によると中央花飾りのついた白い帽子をかぶっているのは妹さん。結婚した二人をみなが囲っている様子だそうです。
この絵についてはいろんな方が解釈されているのでは。
私は濃紺のシルクハットをかぶって不安げな表情の仮面(?)をつけてる男性に唐子人形みたいな人形をもって話しかけている真っ赤な服を着たおばちゃんが気になります。
「早く子供を作んなさい」とでも話してるのかしら。
それからそれから、後ろで鮮やかな緑のベールをかぶっている年配の女の人、うつむいている横顔が悲しげな様子でやっぱり気になるのです・・・。
仮面の人々の思惑は人によりさまざまな解釈が成り立ちそう。
ただ、背景がこれから嵐がやってくるような不穏な様子なので幸せな絵ではなさそうです。アンソールの結婚観なのかな。



「絵を描く骸骨」
骸骨姿の画家が正装して絵をかきながらど~も~って挨拶しているように見えます。イーゼルの上にひっかけてある頭骸骨はお茶目な眼を画家に向けてます。でもそもそも絵をかくキャンバスがないんですが。
これは実際の写真をもとに絵にした自画像。写真も展示されてました。その写真を見ると、アンソールはもっと大柄で椅子に座ってこっちを見てます。イーゼルに引っ掛けた頭蓋骨と床に上向きに転がっている仮面は実際にあるものです。白黒の写真だからこそ自由に色を選んでこんなに鮮やかで軽やかな色彩で表現できたのでは。
皮肉のスパイスを利かせながらも、ユーモアのある楽しい絵に感じました。


アンソールの自画像は大概きちんとした身なりをして、上品さと文化人であるプライドを感じますが、この自画像は異色でした

「悲しみの人」
茨の冠をつけたキリストに扮した自画像だそうです。
強い怒りに眼を険しくし、口を般若のように開けてます。
そして慟哭する寸前の表情にも見えました。鮮烈な赤は何か警告を発してるのでしょうか。
アンソールの育った家庭は家族の不和に悩んだ日々だったそうです。彼の根っこの気持ちは不安定な心と哀しみがあったのでしょう。

アンソールのグロテスクな絵を見ると小気味良さもありますが、不安な気持ちになってしまいます。これで色が暗かったらもっと怖い。美しい色彩が救ってくれています。
アンソールの家はお土産屋さんで奇妙な仮面も日常的に展示され売っていたそうなので、不気味な仮面を描くのは自然な成り行きだったのでしょう。また、アンソールが住んだベルギーを含む北方ヨーロッパはルネッサンスにボッスやブリューゲルなどが不気味な絵画を描いてたり、ホルバインの版画「死の舞踏」シリーズのように骸骨が多く出て人生の儚さを皮肉まじりに描いた作品もありました。

そういう不気味な物に親しむ環境と、不安定な自分を昇華させる為にもこういう絵を描いて精神の均衡を保っていたのかな、なんて思いました。
アンソールの絵が世間で高く評価された後、彼の描く絵は精彩を失ったそうです。・・・といっても実際に見てないので、本当は結構いいのかもしれませんが。
もし、その評判の通りだとしたら、もしかしたらもう不安な気持ちを絵にする必要がなかったのかもしれません。
若いころのようなエッジの効いた絵が描けなくて悩んだ事もあったのかしら。まわりの人は昔の絵の評判で生きてるなんて揶揄したのかしら。
いいじゃない!生涯鋭い絵を描き続けるなんてほぼ不可能ですよ。人生の一時代に最先端の感性でもって後年に影響を与え今も精彩を放つ絵を確かに作り上げていたのだから。

アンソールは現代画家ではない。骸骨も仮面も昔からあったけど、組み合わせて忘れられないような印象を今も発し続けている。

最後におや、と思った作品を載せます。

「えい」
これ、シャルダンの代表作にも似た絵があるんです♪

シャルダン作「腹を引き裂かれた赤えい」
(この作品は三菱一号館美術館で開催されている展覧会に出品されてません)
アンソールはちょっとはシャルダンのこの絵を意識したかな・偶然かな?
これに関してはシャルダンのエイの方がグロテスクに感じる・・・。






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