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ルーヴル美術館展 日常を描く 風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄

2015-05-24 16:39:17 | 一期一絵

5月11日に国立新美術館にて鑑賞しました。



福題は「日常を描くーー風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」
4種類のポスターの内3種類の写真が撮れましたので載せました。あと1種類はティツィアーノの女性像でした。

今回は、ルーヴル美術館の膨大な所蔵品のなかでも人々の生活の営みをテーマにした作品を選んで展覧会が開催されたそうです。

作品は主に16世紀から19世紀にかけての作品を選んだそうです、が最初に展示されたのは古代文明の作品でした。

まず最初に紀元前12世紀から10世紀にかけての古代エジプトの陶片に走り書きのように描かれた牛と牛飼いの絵。今も描かれた線がくっきりして描いた人の息遣いも感じます。3000年の時を隔てていますが。
紀元前2世紀の、シドンという街の多分墓碑と思われる石碑に漆喰を塗って描いたいわゆるフレスコ画の女性と子供も印象深く残りました。漆喰が乾かないうちに素早く水彩で描かれているし、色もあせてはいましたが優雅に長い衣を羽織り、子供の相手をする上流階級の女性の様子。これが風俗画の源流なのでしょうね。
そしてギリシャ時代の壺に描かれた女性の邸宅での佇まいや水汲みの様子もやはり風俗画になるのだと改めて知りました

「水を汲む女性たち」黒像式ヒュドリア紀元前510紀元前~紀元前500年頃
水道の出口がライオン型でかなり凝ってます。


「風俗画」というジャンルは18世紀後半から19世紀にかけて確認されたジャンルで、それまでは決まった呼び名はなかったそうです。
それでも市井の人の暮らしはキリスト教の教訓と共に描かれてたそうです。


クエンティン・マセイス「両替商とその妻」1514年
聖書をめくりながら夫の仕事を気にする妻。
信仰よりも金銭に気持ちを取られることなかれという教訓ともとれるし、
信仰のもとに、不正がないように見守る姿とも取れるのだそうです。
見た感じではこの夫婦は実直そうな雰囲気を感じました。「徴税吏たち」という作品では人物はいかにもあくどい顏をしてます。

広場で見世物でエセ歯医者が客の歯を抜いたり、占い師が客の運勢を見たりして。こっそりスリを働く様子の絵など、当時の世相がよくわかる作品もありました。それが大きく緻密に描かれていて力作だったりします。

私が今回一番お会いしたかった作品は意外と早く展示されてました。

バルトロメオ・エステバン・ムリーリョ「物乞いの少年(蚤をとる少年)」1647~1648年頃
ムリーリョは17世紀スペインのセビリアで活躍した画家で、以前にここのblogでも幼いころに両親を亡くし、成人して画家として成功したのちもペストで5人のお子さんを亡くし、末の6人目のお子さんは聴覚が不自由だったと書きました。
今回の展覧会を特集したテレビ番組で知ったのですが、当時セビリアは戦争やペストで親や住処を失ったストリートチルドレンが多かったそうで、ムリーリョもまたストリートチルドレンだったようなのです。
どんな経緯で絵の才能を見出されていったのか、当時は不幸な身の上の子を救うシステムがあったのでしょうか。それとも、大変な幸運がムリーリョに訪れたのでしょうか。
幸運が訪れるだけの才能をムリーリョは確かに持っていました。スペインバロックを代表する画家と言えば、ベラスケスとムリーリョのお二人。どちらも素晴らしく絵が良くて精神性も深く美しい。
ムリーリョは美しい聖母子像で有名ですがストリートチルドレンの絵もいくつか描かれていて、それは教会による慈善活動や啓蒙活動と繋がっているというのも今回知りました。
不遇な少年にかかる日の光はそのまま神の光でもあると説明されてましたが、そうやって考えると少年の顔立ちに気品があり、傷がなく美しいのに気づきました。そして傍らに置いてある食べ物や水瓶はムリーリョの願いなのでしょうか。せめて食べ物に不自由がないようにという。
意外にも大きく堂々とした作品で、教会に掲げられてたそうで、物乞いの少年はまるで聖人のようです。当時の人々の願い、そして自らも苦難の生い立ちを持ち、さらに子を失った親の想いを込めて描かれていて、シンプルな構図できっちりと描かれた心に強く残る作品です。


レンブラント「聖家族」または「指物師の家族」1640年
こちらも神の光が赤ちゃんに降り注いでいます。実直な父親はせっせと働いて、その傍らで母親はお乳を飲ませて祖母は優しく見つめてる。
光が暖かくて、小さな絵でしたが心にしみる作品でした。



ピーテル・デ・ホーホ「酒を飲む女」1658年
この作品、遠近感が不思議で気になりました。
だってテーブルよりかなり前に座っている女性のグラスにテーブルの向こうにいる男性が直接お酒を注いでいるんです。無理でしょう。よっぽど手の長い男性が手を伸ばさないとあり得ないけど、さして腕を伸ばしてるわけでも身を乗り出してるわけでもないし。なんかエッシャーのだまし絵を見ている感覚になりました。
絵に描かれている女性はたぶん娼婦で男性の後ろにいる女性はいわゆるやりて婆なんだそうです。空いたドアから見えるのは寝台。さりげなく三次元を著していて、主役の人物の前にある誰も座ってない椅子は?、なんとも不思議です。



ヨハネス・フェルメール「天文学者」1668年
今回の展覧会で一番注目を浴びた作品。フェルメールの作品はいつもとても人気があり人がいっぱい見てました。日本の褞袍(どてら)みたいなガウンを着ている学者さん。まだ若そうです。
画面は小さいのですが緻密で落ち着いた表現はずっと見ていても飽きることなくしみじみ楽しい。日本人はこういう落ち着いた絵が好きなんだなあと感じます。


ジャン・シメオン・シャルダン「買物帰りの召使い」1739年
この作品は3年前三菱一号館美術館で開催された「シャルダン展」でお会いしたことがあります。3年ぶりの再会。逞しい体つきの召使いさんはお顔におしろいをつけ、頬紅をつけて何やら嬉しそう。何か物語を持っていますね♪


風景画のなかに狩りをしている人物が描かれている作品は風俗画の要素を持ち合わせているそうです。いくつかの狩りをしている人物の入った風景画が展示されてました。
その中には家来に豪華な昼食をつくらせながら狩りをしている様子が描かれてました。衣食足りてなおレジャーで動物を殺すのが私には理不尽です。
狩場では動物の頭数を確保するため保護しているとも言われてますが、銃や猟犬に追われる動物のストレスはいかばかりと思うしやはり私には理解できません。…作品の感想とはなれてしまってますが…


市井の人じゃないけど貴族の男女が庭園で佇む作品はロマンチックで素敵でした

ジャン=アントワーヌ・ヴァトー「ふたりの従姉妹」1716年
「雅宴画(フェット・ギャラント)」と言われる貴族の男女の様子を描いています。女性はヴァトー・プリーツ(plis Watteau)と呼ばれる背中がゆったりした上着を着てます。ヴァトーに描かれている女性が来ているので後の時代にいわれるようになったとか。
一人の男性が片方の女性に言い寄っています。後ろ姿の女性はどう思っているのかな


トーマス・ゲインズバラ「庭園での会話」1746~1748年
まだ幼さの残る顔立ちなのでティーンエイジャーなのでしょう。男の子はちょっと気取っていて、女の子はすましていて、その姿が見事な庭園の風景に瑞々しく溶け込んでいます。
とても可愛らしく雅なので絵葉書を買いました。写真は絵葉書を手持ちのカメラで写したものです。

部屋の中でしどけなく佇む女性を描いたシリーズもありました。ティツィアーノが描いたルネッサンス美人はぽっちゃりさんでした。

ティツィアーノ・ヴェチェリオ「鏡の前の女」1515年
「赤毛のアン」で画家がアンの髪の毛を「ティティアン(ティツィアーノ)の髪の色」と例えましたが。たしかに赤っぽい金髪ですね。当時詩と彫刻と絵画が美を表現するのにどちらがすぐれているのかと競っていたそうです。この作品では鏡を描いて、平面でも鏡を描くことで後姿も見せることができる事を著したそうな。
それぞれ別の美しさの表現があるのだから競わなくてもいいと思うけど・・・

最後に画家のアトリエシリーズ。
この中で気になった作品を

ニコラ=ベルナール・レピシエ「素描する少年」1772年
少年が可愛いので印象に残り絵葉書を買いました。この写真も絵葉書をカメラで写したものです。少年のお父さんも画家でお父さんの作品も今回の展覧会で出品されてます。風景画のコーナーでジョゼフ・ペルネ「風景、雷鳴」です。ㇾピシエも可愛がった弟子だそうです。

最後に展示されていたのは、ルーヴル美術館の改修に携わった画家の作品でした


ユベール・ロベール「ルーヴル宮グランド・ギャラリー改修の計画、1798年頃」1798年
この計画では天井は自然光が入るようにガラスになってます。画家の卵が模写して絵の技法を学んでいます。そのためにも自然光が大切と思ったのかな。
ルーヴル美術館こそが画家のアトリエである、ということなんでしょうね。
展覧会の最後に壁に「ルーヴル愛好話集」(ピエール・ローザンベール著)の一部が書かれてました。
「ルーヴルはユベール・ロベールの家のようなものだ。そこに住み、アトリエを持ち、その学芸員にしてなかば建築家でもあったのだから。彼は、未来に思い描くルーヴルを、またときにはこうであればよかったのにと思うルーヴルを描いた」
ちょっとうらやましいなあ(´▽`*)



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