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ヒーロー・ネバー・ダイ  眞心英雄

2015-05-31 14:24:47 | 銀幕


1998年ジョニー・トー(杜 峰)監督作品

香港ノアール映画の名作と謳われる作品を今回DVDで鑑賞しました。

ジョニー・トー監督作品はこの映画が初めてでした。

銃撃戦などさすがの迫力でしたが、血なまぐさい抗争も研ぎ澄まされた画面の美しさが救いとなり、不思議に幻想的な雰囲気をはらんでいます。
それはポスターにも見られる色彩の使い方、そして何度も流れる日本の往年のヒット曲”SUKIYAKI”が時に生演奏で時に口笛で幻のようにさり気なく流れてくる効果が大きいと思いました。
監督の美学を表現することに重きを置いていて、人物が見事に美学を体現して、描写は多少のデフォルメがされています。
画面も人物や風景の配置がとてもセンスが良く場面場面を切り取ると、それだけで絵になります。
私は日本の劇画を思い起こしました。

時に現実を越えた表現はあるのですが、グイグイと見る私たちに文句を言わせないで引っ張っていく。そうして現実以上にリアルな本物の英雄の物語が現れてくる。


ネタバレで書いてゆきます。


香港マフィアの二大勢力の抗争
チョイ親分の腕利きの殺し屋秋(チャウ)


劉青雲(ラウ・チンワン)が演じてます。
テンガロンハットに葉巻をくわえ、口ひげが伊達でちょいと癖のある濃い顔立ちは、まるで西部劇のガンマンのよう。西部劇といってもアメリカじゃなくてマカロニウェスタンのほうです。
女好きで洒落たユーモアを持っている。ワイングラスを小指を立てて持って飲むしぐさが嫌らしくなくチャーミングになったりする中年男性。


ペイ親分の腕利きの殺し屋Jack

黎明(レオン・ライ)が演じてます。
こちらは幾分ストイックな雰囲気を持つ若い青年。端正な顔立ちながら肝の据わった大胆さを持っていて、あまり表情を表に出さずクールに決めている。
この映画のレオン・ライ。綺麗さが際立ってます。

チャウと部下がが不意打ちでJackと親分の乗る車を襲撃した時
Jackは敵の運転手を撃ち殺す。その運転手はガードレールに頭を切断され草むらに転がってしまう。
Jackは車から降りて草むらに行き、頭をひろって自分の上着にくるんであげて胴体の残っている車の中に入れてあげる。
そこで私達は、Jackはクールだけど冷たい人間ではないことを知ります。
そのJackの頭にライフルの赤い照準の光が当たる。ずっと執拗に照準を合わせている。でも、Jackは動じない。じっくりとタバコをふかす。
その照準を合わせているのはチャウだとわかってるから。

二人は敵対する勢力の中にいて争っていながらもお互いを認めている。
こんな好敵手を不意打ちで殺すなんてしない。正々堂々と正面切って殺さなきゃ自分のプライドが許せない。


二人は同じ飲み屋を行きつけの店にしている。二人が現れるとそこにいた客は逃げていく。ずいぶん迷惑をこうむっているようですね。
その飲み屋のマスターのポウ

この人もなかなかの面構えです。なんかただものでないオーラを放っていますが、実はこの映画のアクション指導をされていた人だとか。
でもこの映画ではマスターで通してます。

このマスターがいい味出してます。
このちょっと迷惑な常連客が店のグラスを使ってコインで壊すゲームをやっても文句を言わず心得ていてグラスを次々差し出す。まるで自分も楽しんでるよう。
二人の男気を愛してるようです。彼らは決して卑怯な事はしない、いつも正々堂々と戦う。車も、どちらかよけりゃあいいのに真正面でぶつける。
そして、この二人が常連でいてくれるから店が他の無法者から守られているというメリットもあったのでしょう。映画の後半ぺイ親分一味がこの店でした狼藉をみると、チャウとJackはよっぽど紳士です。

この店でチャウがお気に入りの曲をバンドにリクエストします。坂本九の「SUKIYAKI」。「SUKIYAKI」は日本語のまま世界的にヒットしたけれど、他方英語の歌詞も作られてその英語の歌をこの飲み屋では歌ってます。
歌詞の内容が日本語とちょっと違います。これは日本の詞の「一人ぼっちの夜」から発展させた詞なのかも。
この曲が流れるとチャウは満足そうな表情になる。


そして二人の情婦がまたとびきりのイイ女です。
チャウの情婦


そしてJackの情婦

高級外車に乗って店に行き、ワインボトルを持って現れる二人の女。特にチャウの情婦が完璧な極道の女を体現して見事でした。チャウの膝に乗っていくしぐさなんかもかっこいい!
チャウとJackの意地の張り合いも彼女がうまく収めてみんなで味わう極上のワイン。その4人の幸せな表情。マスターもご相伴にあずかって嬉しそうでした。
それが一番幸せなシーンでした。

Jackのまだ若い情婦はチャウの情婦におずおずと極道の女の心得を聞く。
チャウの情婦はさらりと心得を言う。さらにいろいろ教えてほしいという言葉には
「私たちは敵同士なのよ」といってかわす。
そのやり取りが自然で妙にたかぴしゃでもなく、さりとて親身にはならず、そのさじ加減がまたいいんだなあ。


マフィアの親分チョイとペイ

肝っ玉の小さい親分です。よくこんな器量の小ささで大きな組を運営できるもんだ。その行動はほぼマンガのようです。
この二人が卑怯でしょうもない人間だから、よけいチャウとJackそして情婦たちの生き様を引き立ててるんだろうなあ。


タイ国で勃発した抗争で重症を負ったチャウとJack。親分達はさっさと見限り裏切り、元の豪勢を戻す。そうなるとむしろ腕利きの殺し屋は邪魔だし脅威。
献身的に尽くす二人の女。激しい気性のチャウの情婦は極道には致命的な痛手を負ったチャウへの冷遇に怒り、あの細い体をはってチャウとともに香港に密航して親分のところに乗り込みどんなに突き返されても訴える。
親分に命を狙われたJackを身を挺して守る若い情婦。その情婦を守るためタイにとどまる優しいjack。最後に情婦の願いにこたえるのが切ない。

極道に入ったからには女たちも明日の自分がわからない。
悔しさがにじみでる男たち。チャウは新聞にも哀れな姿を記事にされ「極道の末路」と嘲笑われる。その記事をタイで目にするJack
でも、もうチャウにはそんな外野の野次なんか気にならない。

満身創痍のチャウは「SUKIYAKI」を聞きたいとマスターに頼む。
英語の歌詞の一部を載せます…

It's all because of you, I'm feeling sad and blue
You went away, now my life is just a rainy day


And I love you so, how much you'll never know
you've gone away and left me lonely


If only you were here
You'd wash away my tears
The sun would shine and once again
You'd be mine all mine


But in reality, you and I will never be
'Cause you took your love away from me

それは自分を心から愛してくれた情婦への想い、そして同志Jackへの想い。
マスターが慌てて新しく雇ったバンドに演奏しろと言うものの、曲を知らないのに苛立ってマスター自ら口ずさむ。

そのマスターの口ずさむメロディで納得するチャウ。何も知らない新入りの演奏よりもすべてを知ってるマスターの方で良かったのだろうね。


悲壮な復讐を貫徹できず逝ってしまう姿が悲しく壮絶でした。

そしてJackが帰ってくる。
チャウと一緒に復讐を決行する。

二人でやることに意味がある。英雄は死なないのだ。

それからはもう痛快です。二人が決行するには陰で色々な協力者がいたようです。二人の連絡をとりなっていた見た目ごく普通のおやじさんのフェイは何者だったんだろう。彼はどうも裏社会でかなりの顏効きのようなのだけど、映画では余分な説明は一切なし!


そして伝説が残った。
飲み屋には今も「SUKIYAKI」の歌が流れるのです。それはマスターの二人への想い。
二人がキープしたワインボトルが今も棚に・・・

私の習い事の先生が80代の紳士から聞いたという話を思い出しました。
戦中時代に男子高校生だったその紳士はごく普通に同級生や先輩へ親密な感情を持ったそうです。それは他の生徒も持っていて特別な事ではなかったそうです。それを女性に話すと何やらいやらしく聞こえてしまうようだけど、そうではなくて純粋な気持ちだったと。
チャウとJackの間には、そして二人を見守るマスターにも、そんな気持ちがあったのでしょう。

漢(おとこ)の浪漫を語るには、女性はどうしても自己犠牲の役目を担ってしまい、そのため、生身の女よりも理想化された女に描かれているようにも思えました。

最初は血生臭い残酷なシーンがあったらつらいなと思ったのですが、大丈夫でした。それよりも二人のかっこよさに引き込まれ、チャウと情婦の物語に涙し、最後にはドキドキしながら一気にみました。
おススメしてくださったブロ友さまに感謝☆

本物の漢気が花開く、ジョニー・トー監督の浪漫を味わいました


2 コメント

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無題 (接客業X)
2015-05-31 23:04:01
我は接客業也(なり)。
自分が客として行った店2件で言葉による攻撃で酷く傷つき、落ち込んだ。
自分が積み重ねてきた接客が完全に間違っていたのではないかと
思わせるほど、その言葉たちは強烈だった。

そんなズタボロな心を抱えていた時劇場で観たのが《ヒーロー・ネバー・ダイ》。
最初はJAckとチャウを観ていた。2回目に観た時、マスターの行動に
気づいた。JAckとチャウがご来店時、他のお客は我先に逃亡。
お店の経営的には、この2人のお客は迷惑そのものじゃん。
店先で車のぶつけ合いはやるワ、店の備品のグラスは割るワ。
重ねて言うが迷惑千万そのものじゃん!!

しかしマスターは2人をお客として扱い、小者のボス達にぶん殴られても
銃撃で店滅茶苦茶にされてもJAckとチャウの誇りの象徴のワインを
守り通したじゃん。ただ、経営や売り上げを上げる事のための商売なら
JAckとチャウそして小者のボス達出入り禁止だワ。

店の店長が採算の事だけ考えて接客するなら、金銭にはなるだろうよ。
しかし、店の店長がお客様の事を考えて本気で接客するなら、
金銭にはならないかもしれないが、その店は「伝説」になる。

 やはり今までの我が接客でよかったのだ、「金銭」よりも「伝説」になろうよ!!
と心定めをするきっかけになったこの作品に感謝!!
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マスター (blueash)
2015-06-02 00:02:03
接客業Xさん
この映画を見て最初にマスターを見た時は、武骨な感じで無口で愛想笑いもないし、マスターというのはお客さんと洒落た会話をするスマートな人というイメージと思ってたので、とりあえず経費節約のためスタッフをあてたのかな、なんてすごく失礼な事を思いました。
でも、映画を見てるうちに、だんだんマスターの人柄が好きになり、演じてる俳優さん(ホントはアクション指導の方だそうですが)がとても合ってるなと思えてきました。
誠実さがにじみ出てて、うわべだけのお世辞とか小ばかにするような物言いをしない安心感があるんです。
チャウもJackもギリギリまで神経を研ぎ澄ませてとがらせ生きてるけど、マスターの前ではリラックスして幸せそうでした。マスターを信頼してるのを感じました。
それはマスターも彼らが大好きで、だからグラスを割ったり、子供みたいに意地をはって店の前で車をぶつけあっていても許せているのだろうけど、あのお騒がせな二人が常連でも閑古鳥が鳴いてないところを見ると、他のお客さんに対しても誠実に対応してるのでしょう。
きっとまた飲みに行きたいなと思えるお店なんだろうなあと思いました。
お店を経営するからには利益を求めるのは必然だし当然ですが、利益を追求することにばかり向いてお客さんの気持ちをないがしろにするのは私もどうかと思いました。
勿論マスターもお客さんに苦言をすることもあるだろうし時に間違えた言い方をするのかもしれませんが、少なくともきっと苦言はお客さんを思ってあえて言うのだと信じてます。
映画の中で深手を負ったチャウが店に入るとマスターが身内のように心配して駆け寄ってたのが印象深いです。「SUKIYAKI」をリクエストされるとあわてて新米バンドに演奏を指示するも曲がわからないと言うので必死にメロディを歌って曲を教える。ふと振り返るとチャウはもういませんでした。
そっと店を出る口実にリクエストしたのかもしれないけど、マスターが歌う「SUKIYAKI」で充分に思えたんだろうなあとも思いました。思い出すだけでも泣ける(/_;)

私のような者が偉そうに言ってすみません。でも、Xさんの接客はきっとマスターと共鳴されるものがあるように感じました。


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