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アルチンボルド展

2017-09-25 00:27:50 | 一期一絵


9月16日に国立西洋美術館にて鑑賞しました。土曜日だったので上野は人が多く、美術館も結構鑑賞者が多かったです。小学生とその保護者をよく見かけました。いろんなもので顔を作るトリックやユーモアが家族で見て楽しめる美術鑑賞に丁度いいのでしょうね。こんな風に、子供時代から親しみやすい作品から美術に触れるのっていいなあと思いました。
入口前の広場には、自分の顔がアルチンボルド風な果物などで作られた顔になる画面が見える機械が数台設置されていて、行列ができていました。わたしもやってみたかったけれど人の多さで断念して会場内へ・・・


ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)はイタリアのミラノで生まれ育ち、ウィーンとプラハを統治するハプスブルク家の宮廷で活躍した画家です。美術史としてはルネッサンスとバロックの間にある「マニエリズム」美術に入るそうです。
アルチンボルドのインパクトのある作品は突然変異のごとくいきなり現れたわけでないそうです。

まず、アルチンボルドが生まれ育ったミラノをはじめとするロンバルディア地方は、1482年から1499年まで17年住んだレオナルド・ダ・ヴィンチの影響で多くの追随者、いわゆるレオナルデスキ、が活躍し、対象を忠実に描く絵画伝統がはぐくまれていました。アルチンボルドのお父さんはレオナルデスキの中でも実力者として名高い画家ベルナルディーノ・ルイーニと親交が深かったそうで、影響を受けたのは想像できます。


《自画像》
アルチンボルドの写実力を感じる作品。

ミラノでは、レオナルデスキの潮流のほかに、庶民的な絵柄で、人の顔を物で埋め尽くして組み合わせて描く絵の伝統があったそうです。展覧会で展示されたごく庶民的な皿には男性器を組み合わせた人(何となく女性に見える)の横顔の絵が描かれてました

更にミラノにアカデミア・デッラ・ヴァル・ディ・ブレニオと名乗る芸術集団がいて、わざとブレニオ渓谷出身の荷運び人夫の装いをしてブレニオ訛りの言葉でしゃべる洒落人の集団だったそうですが、彼らがミラノ最大の年中行事である謝肉祭のイラストを描いています。それは向き合った若い女性と中年女性の横顔の絵なのですが、頭の髪の毛部分が若い女性はニシンを集めて組み合わせて描かれて、中年女性の方は肉や肉になる動物を組み合わせて描かれてました。残念ながらそのイラストは作品ではなく写真で参考に見せていただけでしたし、ネットでも画像が見つからなかったのですが、あともう少し、顔も物を集めたらほぼアルチンボルドの描く絵のようでした。

そんな絵画環境の中、アルチンボルドの寄せ絵の構想はすでに若い頃からあったようです。

そして1562年、アルチンボルドはウィーンに行きフェルディナント1世の宮廷画家となり、後にその息子の マクシミリアン2世や孫にあたるルドルフ2世にも仕えます。
ハプスブルグ家はオーストリアとスペインに分かれてそれぞれの国を支配して、大航海時代の恩恵で世界中の珍しい動植物、さらには人間までもが宮廷に集められ、動物園や植物園、博物館のような施設ができていたそうです、。ハプスブルグ家は世界のすべてを把握し、それは世界支配の野望とつながっていたのでしょう。
想像するに、物も動物も人間さえも収集したハプスブルグ家当主にとっては、多少の奇異なものにも段々と驚かなくなっていったのではないかな。さらにより奇異な物との出会いを欲求していったように思える。
そしてその珍しい動植物を調査研究するための精細な図を作る職業が発生。イタリア、フィレンツェの図譜が特に精密で正確だったそうで、学者たちはこぞって注文し研究に役立てたそうです。


生まれ育ったミラノでの写実主義と物を集めて人物を作る遊び絵に、ハプスブルグ家の森羅万象を集め支配する野望が重なり、アルチンボルドの作品が形成されます。

ウィーンに到着して すぐに着手したのが《四季》シリーズ(1563年)その3年後に着手したのが《四大元素》シリーズ(1566年)で、この2つのシリーズは対になっている作品なのだそうです。
アルチンボルトは感じてたのだと思います、ハプスブルグ家当主の欲求を。その欲求を見事に答えたのがこの二つのシリーズ。
展覧会でも対にして組み合わせて四方に展示していました。組み合わせるとお互い向き合い、片方が女性だともう片方が男性の姿で表わされ、年齢も順繰りに年取っていきます。

以下シリーズを対にして並べて載せます。

 
左:《四大元素》「大気」やんちゃな十代の青年
右:《四季》「春」年若い十代の女性。いろんな花が組み合わされて美しくかわいらしい作品。

 
左:《四季》「夏」妙齢の女性・・・襟の部分に”Giuseppe Arcimboldo”と藁で編みこんだように名前が書かれてます
右:《四大元素》「火」勇ましい男性・・・胸に「金羊毛騎士団」を表す勲章を付けてます。血気盛んで勇猛な青年を燃え盛る火になぞらえていて、青年時代の理想像を描いている

 
左:《四大元素》「大地」中年女性・・・ライオンの毛皮はヘラクレスを表してます。そしてここにも羊の毛皮。
右:《四季》「秋」中年男性・・・年齢的にも熟成され実のなる時期を表しているのでしょう。体はワインの樽でできてます


 
左:《四季》「冬」老年男性・・・冬はすべての始まりを表すそうです。葉の落ちた枝木の冠をかぶった男の人の胸には新鮮なレモンが成っているように見えますが、よく見ると、木の枝にレモンが成った枝を引っ掛けているようです。身に着けている茣蓙には背中に「M」の字を思わせる模様があり、この絵は「マクシミリアン2世」を表しているそうです。
右:《四大元素》「水」老年女性・・・魚がいっぱい描かれてますが、よく見ると、亀やカエルやアシカなども書かれてます。身に着けているアクセサリーは真珠というのが個人的にツボでした。これも水に関係する宝石ですもんね。

ハプスブルグ家のコレクションを緻密にデッサンし、それを組み合わせて作られたこの作品群は、ハプスブルグ家の豊かさ、世界征服を讃えた意味を持ち、マクシミリアン2世はおおいに喜び、類似作品を作らせ、贈り物にもしたそうです。

更にハプスブルグ家の祝祭イベントのプロデュースも担当。こちらは奇をてらうより伝統にもとづいたデザインをして、ハプスブルグ家の権勢を誇る内容にしたそうです。
男性も女性も素敵な意匠や仮想のデザインが描かれてましたが、個人的に気に入ったのは

《コック》
これ、「不思議の国のアリス」か「美女と野獣」の映画に出てきそう

皇帝の聞こえめでたいアルチンボルドは、また宮廷につかえる人を皮肉たっぷりな寄せ絵にして表現して、それがまた宮廷の人たちを面白がらせたそうです。


《司書》
この人物は、内容より量で沢山の研究本を発行したそうです


《法律家》1566年
宮廷で財政を担当した人がモデルだそうですが、口うるさそうで細かそうな性格がよく出ています。遠目で見るとご本人によく似ていたそうで、宮廷で評判になったそうです。が、まじめに仕事しているから口うるさくなるのに、こんな絵で皮肉られるのは、なんだかねえ。ちょっと気の毒な気になります。

アルチンボルドは惜しまれながら自らの希望で宮廷画家をやめてミラノに戻ります。

《紙の自画像(紙の男)》1587年
眉間に自分の年齢が何気なく記されてます。
・・・思うんですが、宮廷の人にはあんな辛辣な絵を描いたのに、自画像は素敵な人物に描いてませんか(^^;)

ミラノではウィーンの名声がなかなか通じなかったそうですが、やはり寄せ絵を描いてました。


《庭師/野菜》1590年頃
見たところ、野菜がお皿に盛られている絵ですが、逆さにすると・・・

なるほど

でも野菜の一つ一つはとても写実的に描かれています。それがミラノで果物などの静物を写真で写したようにリアルに描く絵画へと発展したそうです。

そして写実的な静物画で実力を発揮し、ヨーロッパ絵画に革新を与えることになったカラバッジョの絵画がミラノで現れるのだそうです。


おお、レオナルドからアルチンボルド、そしてカラバッジョへと美術は繋がれて行ったのですね。アルチンボルドの作品は絵画伝統の中で、なくてはならない時代を築いたということがわかりました。

最期に晩年の作品を

《四季》1590年頃
冬の老木の周りに春の華、夏の茂み、秋の実りが描かれている。
寄せ絵に対して、ミラノでの評価はいまいちだったそうですが、そのセンスはなかなか人がまねできる物ではないし、他の画家がまねた作品はアルチンボルドほど生き生きとはしてませんでした。この絵画に誇りと自信を持っていたのだと思いました。頭には木の枝が冠のようになってます。彼は寄せ絵の王者だと自認している。

アルチンボルドの作品、特に《四季》や《四大元素》は今は世界に散逸し、わざわざ日本の展覧会のために集まってくれてシリーズで一気に鑑賞できたのだと思うと、とても感動しました。
見ごたえのある展覧会でした。


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