桜も満開になった3月31日に華やかな絵のポスターに誘われて森アーツギャラリーで開催されているこの展覧会に行きました。
ロセッティの描く濃密な女性美と真紅がよくあっている。
エレベーターで52階まで一気に上がって、少し並んで入りました。春休みでもあり、鑑賞に来た人が多かったです。
美しい真紅の入口から入り、あいさつ文を一通り読んで最初に出会ったのはこの絵でした
「四月の恋」アーサー・ヒューズ 1855~56年
美しいブルーを着た少女。その初々しい佇まいとときめきのどきどきした感覚がこちらにも伝わってきました。これからやってくる4月へのお誘いをしてくれてるようにも思いました。(最初ドレスがすみれ色の図版を載せましたが、こちらの色の方が会場で見た色の印象が近いので改めて探して図版をとりかえました)
そしてラファエル前派の絵の世界が展開されました。絵の中のモデルは自分の奥さんだったり、友人の奥さんだったり、自分の愛人だったり・・・。
画家はいずれも裕福な家庭の人で、絵の中の世界も華麗です。キリスト教の伝記場面の絵はさすがに人物の服も調度品も質素ですが、優雅な雰囲気をまとってます。
そして彼らの恋愛はスキャンダラス。慣習にしばられない恋愛こそが芸術家の恋愛という気持ちがあったのでしょうか。特定の女性をミューズにあがめるのも自分の美意識を最大限に引き出す手段にも思えます。
ミューズになる女性の多くは教育もままならなかった美しい女性で、画家が見出し、教育をして自分の理想の女性へと仕立てようと試みます。まるで「マイ フェア レディ」の世界。実際19世紀の裕福な男性は女性を自分の意のままに育てる願望があったのかも。たしかノーベル賞の基金をつくったノーベル氏も美しく貧しい女性を教育して育てたそうです。
見出された女性は人生の可能性をつかんだのは確かで、美しく開花した女性は結果的には男性の意のままにはならなかったそうです。
ジョン・エヴァレット・ミレイはこの2作品にとても心惹かれました。
「マリアナ」1850~51年
女性が着ているビロード地のドレスは本当はもっと鮮やかな紺なのに、写真ではそれが黒っぽくなってるのが残念です。
女性のベルトの細工、机の上、ステンドグラス、外の景色がいずれも驚くほど細密で美しい。メランコリックな表情がいかにもラファエル前派の女性です。
そして、見るのを楽しみにしていたこの作品
「オフィーリア」1851~52年
のちにロセッティの妻となり、自らも画家となったエリザベス・シダルがモデルを務める。リアルに水につかる表現を描くためにバスタブに水を張ったなかに長時間つかりっぱなしでいたそうです。
青い水の色とうっそうとした草木が緻密に描かれ、薄幸そうなオフィーリアことシダルの白い顔が浮かび上がります。彼女も見いだされた女性です。そしてそのはかなげな風情がなんとなくこの人の人生そのものに見えてしまうのは、のちの運命を知っているせいかもしれません。美しく、わずかに残酷さを感じる絵です。
そのエリザベス・シダルが描いた水彩画も展示されてました
「サー・パトリックスペンス」より淑女たちの哀歌1856年
ミレイやロセッティの影響を感じる絵です。繊細で詩的。帰らぬ想い人を待ち続ける悲しみが漂ってます。
オフィーリアの絵のそばにウィリアム・モリスの作品がありました。
「麗しのイズー」1856~58年
イズーはアーサー王伝説に出てくる「トリスタンとイゾルテ」の悲恋物語のヒロイン、イゾルテのことです。ジェイン・バーデンをモデルにしてます。この絵のあと、二人は結婚してます。
ジェインは黒髪の美しい背の高いほっそりとした女性で、やはり見出された女性。瞬く間に教養と気品を身に着け、上流階級のなかにいても遜色のない女性になったそうで、「マイ フェア レディ」のもととなった戯曲「ピグマリオン」のモデルとなったそうです。モリスとロセッティの二人の男性に愛され崇拝されました。
この作品を追加します
「チャタートン」ヘンリー・ウォリス 1855~56年
わずか17歳で亡くなった詩人のトマス・チャタートンの死の様子を描いてます。貧窮のためヒ素を飲んで自殺したそうです。きめ細かな肌はすっかり血の気が失せています。燃えるような赤毛が直前までの命のきらめきを物語り、死に顔はほんのり微笑んでます。たぶん、才がありながらも生きながらえれなかった少年の姿を描くことで社会を警告したのだと思います。痛ましさと甘びな陶酔がないまぜになった不思議な感覚。そして「オフィーリア」の世界と通じるものを感じます。残酷で儚く美しい。そういえばエリザベス・シダルの髪の色も赤毛に近い。
そしてバーン・ジョーンズのこの絵が不気味でした
「クラーク・ゾーンダース」1861年
何が不気味かというと、人物の首から上が首から下と比べて異様に大きいのです。写真が小さくてわかりづらいですが。そのアンバランスさと右の女性の不自然によじった胴体も首とつながってなく見えて不自然です。絵を見ると左側の男性が迫ってきているのに、女性は身をよじらせて嫌がっているようです。
あとでこの絵のモデルがウィリアム・モリスとジェイン夫婦と知り、びっくり!
普通、夫婦をモデルにこんな絵は描かないと思うのですが・・・。
バーン・ジョーンズの絵はほかにも展示されてましたが、見るたびにおもうのですが、大概画面すれすれに頭を描くので人物が低い天井に押し込められているような窮屈な印象を受けます。・・というより額と頭頂部が狭いせいかな。
それからまるで物語の一場面のような絵のウィリアム・ホルマン・ハント作品
「良心の目覚め」1853~54年
モデルの女性アニー・ミラーも見いだされた女性。ハントは妻に迎えるべく、読み書きから教育をしたそうです(全く学校に行けなかったそうなので本当に読み書きができなかったそうです。昔のイギリスの貧しい暮らしは想像以上のようです)。のちにアニーはハントを振り貴族の男性と結婚します。
男性の囲いの身の上の女性が宗教心に目覚め、このままではいけないと気づく瞬間を描いてます。ハントは熱心なクリスチャンだったそうです。ほかにも宗教的な題材を描き、エルサレムまで足を運んでます。部屋に描かれたいろいろな小物はそれぞれに意味を成しているそうです。それは15~17世紀の絵画の中の小物にいろいろな寓意を込めているのと同じ。
男性の表情は映画でもないテレビでもない演劇の舞台にいるようにわかりやすい。少し饒舌すぎる気もします。
そしてラファエル前派を代表する存在のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの絵
「ベアタ・ベアトリクス」1864~70年
ダンテの詩文「新生」に登場するベアトリーチェの死の直前の様子。妻のエリザベス・シダルの死を悼んで8年がかりで描きました。
エリザベス・シダルは自分を見出し極貧から救ってくれた夫のロゼッティがモリスの妻であるジェインと恋愛関係になった事に悩み苦しみ抜きます。ジェインもまたロゼッティに見いだされた女性です。ロセッティが全てであったシダルにとっては自分の存在を否定されたような気持ちになり、耐え難いものだったのだろうね。そして彼に捨てられたあと、再びあの貧しさの中に苦しむ恐怖もあったのかもしれない。はっきり言ってロゼッティがきちんと後の生活を保障してくれるような誠実な男性には思えないですから。
女児を死産したエリザベスは阿片チンキの中毒になり、ほとんど自殺のように若くして亡くなりました。その妻への悲しみと罪悪感の中で描かれた作品です。
自分の名前にも入っているダンテを崇拝していたロセッティはダンテの永遠の女性にエリザベスの姿で描くことによって贖罪にしたのでしょうか。
妻の死への罪悪感とジェインへの思いは一生続きます。だけど、エリザベスに捧げ、棺桶に一緒に入れた詩文を数年後掘り返して取り戻すこともしてます。さらにその詩文を出版し公表したのです。ちょっと信じられない。その罪悪感がまた重くのしかかったそうですが。
ロセッティの若い自画像を見るとロマンチックな美青年です。たしかにハンサムだったと思うけどたぶん意識して自分を演出して描いたのではないかな(つまり実物以上にハンサムに描いてるに違いない)。なんとなく自分のロマンチシズムの世界におぼれてしまっている人に感じます。中年以降の彼は不摂生な生活がたたりハンサムではなくなったけど、写真で見るとなお目は魅力をたたえています。
「プロセルピナ」1874年
ロセッティの運命の女性「ファムファタール」であり「スターナー」と呼ばれたジェインを描いた作品。ジェインは確かに魅力的な女性だったのでしょう。そして儚げな風情のエリザベス・シダルと違い憂いの表情を見せながらも強い生命力を感じる。唇がエリザベスは薄いのですが、ジェインはぽってりしてる。女中奉公が決まってた彼女を見出したロセッティはすでにエリザベスと婚約していて、弟分のモリスに譲る。でもお互いに強く惹かれあっていたそうです。ジェインにはきっと上流階級にいる女性にはない魅力もそなえていたのだろうなあ。
二人の恋愛にモリスはある程度寛容に接したけど、それでも耐えきれなくて夫婦は破綻します。
そんないろいろなことを感じさせる絵の女性はジェインでもあり、ロセッティの自画像にも見えました。彼の若いころの自画像に似てるのです。
ほかの女性もモデルにして描いてますが、やはりロセッティの自画像に似てます。彼女たちを愛したようで、実は自分を何より愛したのではないかな。
風景画も魅力的でした
「ペグウェル・ベイ、ケント州ー1858年10月5日の思い出」ウィリアム・ダイス1858~60年
家族で海辺に遊びに行った様子。画面上の中央をよくみると薄いけどその日見えたドナーティ彗星が描かれてます。その数日後に地球に最接近したそうです。
ラファエル前派の作品は緻密で鮮やかな色合いと物語の一場面のような絵が印象的でした。その濃密さにちょっと酔っぱらったのもたしかで、もう少しほっとする絵を見たいなとも思いました。でもまた見たくなる。やっぱりエヴァレット・ミレイのオフィーリアやロセッティの描くエリザベスとジェインは魅力を放ち、今回実作を鑑賞できたのはとても嬉しかったです。
追記
「四月の恋」のすみれ色の少女にちなんで
我が家の今日のスミレさんです☆