中国南部に位置する江東の地は温暖なので、周瑜の屋敷は木造の開放的な造りでとても洒落てます☆
写真は自邸で書を読む周瑜に部下の呂蒙が尋ねる場面です
第3部までの話には次々と英雄が現れ、歴史を決めた大戦を描写し勢いがありましたが、第4部は苦悩にじむ内容でした。時に辛くなりましたが、とても味わい深くそれぞれの人物の思いを感じました。
赤壁大戦の大勝利の後、周瑜は劉備軍が首尾よく曹操を捕らえるか亡き者ににしたかを確かめるため魯粛を劉備軍によこします。丁度その時、華容道から戻ってきた関羽から曹操をわざと逃がしたと報告される。
魯粛の前で、孔明は強く関羽を非難し、軍法に沿って処刑すると言い立てる。それを聞いた張飛は必死で助命を嘆願する。劉備は軍法は絶対だから処刑せねばなるまいと言いながら、死ぬときは一緒という誓いを守るため自分も死ぬと剣を自分にあて、三兄弟は泣き崩れる。
関羽と張飛は多分本気だったと思いますが、劉備は本気半分芝居半分。孔明は明らかに茶番でした。魯粛はそれを知りながら了解せざるを得ない。
その報告を受けた周瑜は孔明の策略で劉備軍が曹操征伐の責任回避をしたことに腹を立てる。
周瑜の展望は孫権軍が曹操軍に対抗できる勢力をもつ事。劉備軍とくに孔明は孫権軍の勢力拡大の邪魔をする存在。
孔明は劉備に「周瑜は大局を見ない」と批判してました。両者いけ好かない存在のようです。
周瑜とも孔明とも交遊のある魯粛は言う。
「2人の賢者が生きるには狭すぎる」
魯粛は周瑜と考えが違い、君主の孫権に劉備軍とは戦わぬように進言する。
「孫家と劉家は30年は共存可能です。さもなくば曹操の天下に・・・」
魯粛は孫権軍と劉備軍と曹操軍で天下を三分して治める考えを持っている。
一方
赤壁で大敗し命からがら荊州の南郡の城にたどり着いた曹操。
泥のように眠って目が覚めると自分の側近の武将許褚が泣いていた。
「丞相、、我が3千の勇士は全滅しました。私は皆に申し訳ない。丞相に対してもです。」
曹操は許褚をつかみ言う。
「そなたは生き残った!生きるのだ!悪夢は笑い飛ばせ。3千の兵がなんだ!さらに3万やる。笑え!」
・・・違うと思いました。許褚は一人ひとりの自分の部下たちの顔を想いながら泣いていた。だけど、曹操は兵隊の一人ひとりの人間性を見ていない。一塊の材料として見ている。
もしかしたら、心温まるシーンなのかもしれませんが、私は曹操の冷酷な面を感じます。
そして
曹操は疲弊し意気消沈している兵たちに向かって今回の敗因を論じ始める。
でも、曹操らしい斬新な視点がなく普通なのでちょっと驚きました。そんな基本的な事こそが勝敗のカギを握ることなのかも・・・と思いなおし見ていたら、一人イビキをかいてしまう不届き者が現れます。
捕らえられて牢屋に入れられたその男を曹操が会いに行くと、「お待ちしていました」と拝礼する。
わざと目立つ行動をして曹操の興味を持たせたというその男は、今回の敗戦の持論を話し始める。
「赤壁の敗戦は兵士の驕りや指揮の拙さではありません。天理です。」
兵力では圧倒的に有利だった曹操軍だけど、諸侯は曹操を漢の賊とみなしている。衰えたとはいえ漢室の影響力は健在で、漢の末裔で皇叔の称号を持つ劉備に人心は味方し結束して抗戦する。だから勝てないのは天理。
さらに
「”赤壁”の後、天下の勢力は三分に。1つは丞相で中原と北方を制します。残りは孫権と劉備です。この二人は江南で覇を唱え荊州と西蜀で争います。愚見では丞相が10年で天下を統一するのは困難かと。なぜなら丞相が劉備を攻めれば孫権が加勢し、孫を攻めれば劉が援護します。」
今は富国強兵に努め、10年以降情勢が変わるのを見て遠征すれば勝利できる。戦わずして勝つこともあり得る、という。
なるほどね、魯粛が孫権にけっして劉備軍と戦わぬように言った意味がわかりました。両軍が提携していれば曹操軍は攻めることができない。でもひとたび争いはじめて両軍がダメージを受けたら曹操軍が攻める絶好の機会になる。
曹操は大局から俯瞰し時世を的確に見る事に感心し、この男は以前より出仕を命令しながらも拒否していた司馬懿仲達と見抜く。
司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)
司馬懿は自分の能力をただの役人の仕事で終わらせたくなかったために拒否していたという。でもいつの間にか曹操軍の中にいたんだね。
天下統一が実現するのに時間がかかり自分の代ではかないそうもない事を考えると後継者には優秀な参謀が必要。そこで司馬懿に息子曹沖の教育係を命令する。曹沖はまだ10歳ながら聡明で曹操のお気に入りでいずれ後を継がせたいと思っていた。
荀彧から兵士が少ない状態の許都に西涼の馬騰と韓遂が大軍を率いて進軍してきていると知らせを受け、曹操は激しい頭痛に襲われる。現地に残す部下には理由を偽り許都に急ぎ帰る。
曹操の息子たちの中で長男曹丕(本当の長男と次男が早世しているので実質長男の立場にいる)は自分こそが曹操軍の後継者になるつもりでいた。父に従って荊州にも遠征している。
曹丕子桓(そうひしかん)
彼は部下たちまで噂するほどあからさまに有能であるとアピールしようとしていた。弟たちには迎えに行く必要はないと伝えて自分だけ正門で迎えに立つ。父を真っ先に迎え入れるのは自分でなくてはいけない。
でも、曹沖は西涼軍の刺客を見越しての父の帰還を正確に察知し、ただ一人別の門で迎え入れ曹操を喜ばせる。
曹沖倉舒(そうちゅうそうじょ)
とても利発。第1部でやはり聡明だった子供時代の孫権を思い出しました。
司馬懿はそこで曹沖と対面する。
曹丕を含めた三人の兄たちは荀彧と一緒に後からやってきて父に挨拶し、荀彧は曹丕が父の帰還を辛抱強く待ち続けたことを知らせるが、曹操は気に留めない。
向かって左から曹丕子桓、曹植子建、曹彰子文。三人は父だけでなく母も同じ兄弟だそうです。
さらに城の中で紛れ込んでいる刺客をどう扱うかと父に問われると、常識的な答えしか出ない兄たちと違って、刺客を利用する提案をする曹沖。曹操は大いに喜び兄たちに見習うようにと言う始末。曹丕の心は穏やかではない。司馬懿は曹丕の複雑な表情を見抜く。
曹丕は家来で司馬懿をよく知っている陳羣(ちんぐん)に司馬懿の素性を聞くと、名門の出身で一族みな優秀で、中でも司馬懿の才覚は孔明と周瑜に匹敵するという。それほどの人材を自分ではなく曹沖の補佐に充てている。父は本気で曹沖を跡継ぎにと考えている・・・。
当時、儒教の思想が浸透していて長男が後を継ぐものとなっていて、そうでない時は長男に難があると思われてしまうもんね。曹操は既成の価値観を気にしない人だけど、世間はそうはみない。さらに跡継ぎになりたがっていたと知られている曹丕は曹沖が嫡子となる障害とみなされ父に殺されるかもしれない。曹丕は追い詰められる。
だけど司馬懿は曹沖の賢さをあまり評価していない。「本当に聡明な者は人に悟らせない」司馬懿は何かを予感していたようです。
そして事件が起きる。
曹沖が屋敷に密かに生息していた毒鼠に咬まれ重体となる。だが、その傷を見た荀彧はそれは偽装で実はさらに猛毒な蛇に咬まれたと見抜く。誰かが部屋に毒蛇を忍ばせた。曹沖がいなくなって一番有利なのは・・・。
そのすぐあと今度は曹丕が毒鼠に咬まれ重体に。一時危篤状態となるが回復する。だが曹沖は帰らぬ人となる。
曹沖の葬儀の時、まだ回復していない曹丕もふらつきながら参列し激しく涙を流す。
では曹沖と曹丕の命を狙ったのは曹植か曹彰なのか・・・
曹操は兄たち三人に曹沖の霊前の守りを命じる。三日目の夜、やましくないものは疲れて居眠りするだろうが、やましい気持ちの者は霊前で平気でいられない。曹操は息子たちの様子をそっと偵察する。
全てを理解し、曹操は荀彧に「曹沖は毒鼠に咬まれて死亡した。我が息子たちは仲睦まじく助け合う仲だ。このことは忘れよ」と厳かに告げ寝床に入った。
その数日前、曹沖の葬式の前夜に陳羣(ちんぐん)は司馬懿に「誰が謀殺したと思うか」と問うと司馬懿は
「ご自分で首を絞めたのだ」
「沖様の聡明さは群を抜いていた。寵愛を受けたゆえに亡くなった。」
と言ってました。
そうなのか、と一度は思ったのですが、そうなのだろうか。まだ10歳で自分の才覚を用心深く隠すようなことをするだろうか。無邪気に披露してしまう年頃だと思う。そしてそれだからと言って殺されるのを本人の落ち度といってよいのだろうか。
やはり第1部で子供だった孫権も早くも才覚を見せて周りを感心させていたし、実際に父の亡骸を受け取りに単身で劉表に交渉しに行き成功している。そんな弟を兄の孫策は可愛がってたし、弟の忠告を尊重していました。
孫家が危機の時だったのでさらに絆が深くなっていたのもあると思います。
すでに曹軍は最大勢力で安定して、優秀な補佐官をあてて普通に長男が嫡子となってよかったのだが、後から違う母から生まれた年の離れた曹沖がいきなり才覚を現し注目を浴びてしまう。
曹操は関羽の時もそうだけどあからさまなえこひいきを平気でしてしまう。関羽の時も周りの武将の心情は穏やかでなかったけれど、関羽に勝てるものはいないし仕えていた期間も短かったから事なきを得たが、より近い関係である兄弟につけられた格差が深刻な事態を起こしていった。
曹丕は自分の命の危険もかけて殺人を偽装した。
家族の内紛が知れ渡ったら曹操軍は崩壊の危機に瀕するようになるので絶対に知られてはいけない。
そして曹操も若いころ親切で善良な叔父一族を自分の都合で皆殺しにしているではないか。曹丕の行いはまさしく曹操の血筋の所業。曹操の若いころの因果が最愛の息子にふりかかってしまった。
曹沖の首を絞めたのは自分だと曹操は気づいたのかもしれない。
沈んだ表情で寝床に入る曹操は自分の運勢が頂点を過ぎたことを痛感したように見えました。
司馬懿はこの先3年誰の補佐にもつかず曹沖の霊を守る事を願い出て毎日墓前に祈りを捧げる。友人の陳羣は、三年の猶予をもらいこれから付くべき主をじっくり吟味するつもりであることを見抜く。
呉の地、江東では曹操軍との戦いの勝利で周瑜への賞賛が集まっていた。だが、周瑜は戦いを決断された主君こそが英断だったと孫権を持ち上げる。
その気遣いも孫権にとっては複雑な気持ちになってしまう。
軍の采配を周瑜に任せ柴桑にもどっていく。
孫権軍の大都督周瑜公瑾
そして周瑜の腹心の部下
呂蒙子明(りょもうしめい)
周瑜と呂蒙は深い信頼関係があるようです。
呂蒙は第3部から周瑜の部下として登場してましたが、第4部では心底周瑜を慕っているのが感じられました。
2人が並ぶと絵になり、私は周瑜&小喬以上にお似合いの二人に見えましたです。
周瑜は劉備軍が荊州の中心にある要地の南郡を狙っているという情報を得る。
劉備軍は着々と軍備を増強していた。
張飛ももろ肌脱いで兵士の鍛錬をしている。
おお、ゴリマッチョ☆というか、もはや野獣(^^;)
南郡は曹操軍の将軍曽仁と2万の兵が占拠している。劉備軍は南郡を狙っているのを匂わせて、孫権軍を慌てさせ代わりに戦わせて両軍が弱った後に漁夫の利を得ようとしていることを周瑜は察知した。そうはいくかと孫権軍から劉備軍に兵糧を提供して逆に劉備軍の戦争を促そうとした。
劉備軍の1万5千の兵では勝てないのを見越して孫権軍こそ後から漁夫の利を得ようと思ったが、劉琦(劉表の長男で江夏の太守)の5万の軍が劉備軍と合流してきたと知らせを受けて周瑜は焦る。本当に南郡を攻めてものにされると思い劉備や孔明の陣地油江口に行き、30日以内に南郡を落とすと宣言。30日いないに攻め落とさねば劉備軍に譲るとまで啖呵を切ってしまう。――これは孔明が周瑜の策を見抜いてそそのかして周瑜は乗ってしまったのです。
劉備と孔明は重い病に倒れている劉琦を周瑜をそそのかすためにわざわざ連れてきたのです。
劉琦は早く荊州を劉備に継いでもらうべきだったという。・・・第4部の展開を見た後私もそう思いました。
周瑜があんなに苦しまなくて済んだし、そもそも赤壁の戦いをしなくて済んで孫権軍に多くの犠牲を払わなくて済んだ。そして荊州の民も劉備について過酷な民族移動もしなくてすんだのかも。蔡瑁や蔡氏(蔡夫人)がいたから難しかったとは思うけど・・・。
南郡を攻めた周瑜の軍は曽仁の軍を追い詰めたが、曽仁は空城の計で城を脱出したと見せかけ油断した周瑜軍を襲い、周瑜に毒矢を放ち命中させる。
その毒は強力で周瑜は以後苦しみ続ける。
一旦退却した周瑜の軍は周瑜死亡を偽装し、油断して攻めてくる曽仁の軍を撃退する。そしてとうとう南郡の城に入ろうとすると、孔明の命令で趙雲率いる劉備軍がわずかに城に残っていた曽仁の兵を倒し、ちゃっかりと乗っ取ってしまっていた。
にんまりする趙雲
周瑜と孫軍が多大な犠牲を払って曽仁の軍と戦ったのに。
驚きと激しい怒りと共に血を吐く周瑜。
呂蒙は怒りと共にキッと城門に立つ趙雲を睨む。
さらに張飛や関羽もほかの城を奪い荊州は劉備の手に落ちる。
孔明がいなかったら劉備は仁義を重んじて乗っ取りはしなかったかもしれない。でも、孔明は周瑜に仁義はいらないと言い切る。今大切なのは劉備軍が荊州を領地にする事。こういう時孔明はとても冷静で非情でもあると思いました。そうでないと劉備軍は生き残れないのでしょうね。そして曹操軍の攻撃を避けるためにも漢王室再興の足掛かりとしても劉備軍は荊州をわがものにして地盤を固めなくてはいけない。劉備も実のところ心から欲していたことだけど”仁義”の建前上孔明と同調して言えない。そのためすべて孔明の責任にして判断を放棄してました。
孔明や司馬懿や魯粛は「天下三分」を予測しているし、劉備軍は荊州を陣地にする運命だったのでしょう。
とうとう荊州の州都襄陽の城にはいり、主の座に座る劉備。
孫権は怒りながらも、今劉備軍と戦うのは曹操軍にとって好都合になるので劉備の荊州横取りを許すしかない。
それでも荊州と孔明への仕返しに執着する周瑜は劉備軍との戦いのための援軍を求めた。
周瑜の荊州への執着に手を焼く孫権、そして魯粛。
孫権は周瑜を「確かに不遜で独断的なところがある。だが忠勇であり才がある」といい孫権の母の呉国太は「周瑜は有能ですが気位が高すぎます」と同調。
でもここまで孫権軍を支え発展させた功労を感謝してもいる。複雑な思いがあるようです。
孫権と魯粛は周瑜を荊州から離すことを計って孫権自らが合肥で曹操軍と戦い周瑜に合肥での戦いを合流するように要請。
その代り魯粛が劉備軍に出向き、重病の劉琦が亡くなったら変換すると約束して帰ってくる。
孔明は周瑜に対してはプライドをくすぐってそそのかす事が出来るけど魯粛は引っかからない。鉄壁の理屈を持って攻める孔明に魯粛が動揺せずしぶとく応戦していたのには感心しました。
でも周瑜はこれが劉備軍というより孔明の言い逃れであると怒る。再びの孫権から援軍の要請をうけ、部下に合肥戦の配置を命令して、自分は合肥に行かず療養すると言い柴桑の自宅へ帰ってしまう。
孫権は周瑜の気性も理解し、魯粛の労をねぎらうと、魯粛は孫権の人間的な器の大きさを称えいずれ皇帝の地位へと言及。
すると、孫権は
「よくも不遜な事を、これでも漢の臣下か」と怒る。孫家は漢室に代々忠誠をたてている一族。だからこそ、曹操の支配下に収まることを拒否して戦った。
魯粛はひざまずき熱く訴える。
「いずれ曹操は皇帝を名乗ります。劉備も正統を唱えれど狙いは帝位。ご主君に天下の志がなくば覇を争えませぬ。まして我が江東をどうして守れましょう。」
孫権は心動かされつつも時期早尚といい、二度とこの話をしないように命じる。
劉備軍は荊州の賢士を登用。中でも有名なのが
馬良季常(ばりょうきじょう)
「馬氏の五常、白眉最も良し」と馬氏5人兄弟で最も優秀と言われた馬良は「白眉」の語源となった人。
わかりづらいけど右眉にちょっと長い白髪がまじっているようです。
馬良の意見を聞いて劉備軍は荊州でまだ支配してない3郡の城を攻略します。
零陵では太守の劉度の息子劉賢を生け捕りにして降伏させる。そして部下になった劉度にこれまで通り太守を任命していく。
桂陽は趙雲が指揮官となり武将の陳応と一騎打ちをする。両者激しく戦い陳応が落馬するととどめを刺さず「好漢は殺さない」と言って見逃す。武将はみな趙雲の強さと零陵での劉度の厚遇も聞いて降伏を促す。太守の趙範は策士と計り今は未亡人となった兄嫁を趙雲に娶らせ籠絡させて曹操軍に入れさせようとしたが、趙雲は同じ趙家の未亡人を娶るのを拒否。陳応も味方になって劉備軍が勝利する。
長沙では老武将ながら万夫不当の雄と称えられる黄忠と関羽が激しく一騎打ちし、落馬した黄忠を関羽もとどめを刺さず去っていく。
黄忠漢升
次の戦いでは黄忠が恩義を感じて関羽に矢を当てなかったので太守韓玄は激怒して黄忠の処刑を命じ、黄忠の部下魏延が反発し韓玄を倒し投降する。黄忠は人柄が優れ人望の篤い人物で、元の主君韓玄が暗愚だとしても敵の軍に入ることに抵抗を感じていたが、葬儀を丁重に行い自分も出席するという劉備の人柄に感銘を受けて劉備軍に入る。
そして劉琦が亡くなってしまう。
魯粛は約束通り荊州返還を求めに荊州に向かう。周瑜も軍隊を荊州の間際に向かわせて臨戦態勢にする。孫権は周瑜が独断で戦を仕掛けると危惧したけど、戦争を仕掛けるのではなくて魯粛の交渉を有利にするよう協力している。
周瑜は平静にしても血を吐き少しずつ体調が悪化してきているようです。
予想通り、劉備と孔明は荊州返還を渋り、孔明は理詰めで言いくるめようとするが魯粛の話に筋が通っていることを劉備は認める。劉備と孔明は荊州は孫権軍から借りている土地と認め、これから西蜀を攻めて劉備軍の陣地になったのち変換すると言い、誓約書を書いて魯粛に渡す。
帰路の途中その誓約書を周瑜に見せに行くが、周瑜は誓約書を信じない。が、荊州が孫権軍の土地と認める文書を手にしたのは進展なのは認めた。
その夜、周瑜と魯粛は同じ寝床で酒を酌み交わし若いころの話をする。
周瑜が若いころ敗走して弱り魯粛に援助を頼むと気前よく倉を開けて援助した。魯粛は周瑜を一目見て大業をなす人物とわかったからだという。2人は深い友情で結ばれているのが感じられました。
劉備軍では長坂坡の戦いで趙雲が助けた甘夫人が亡くなり劉備がひとり身となる。それを知った呉から使者が遣わされて妹の孫小妹との縁談を申し込んでくる。孫劉同盟の為と孔明も縁談に賛成したら、孫権から母の呉国太が娘をもうしばらくそばにいさせたがるので劉備の方から江東に婚儀に出向くようにと要請。
実は周瑜が孫権に提案した策で、孫小妹と結婚させるつもりはなく、劉備側が一度承諾したのに断ればそれを理由に戦争を仕掛けられる。
劉備は戦争を避けるため江東の地に出向くことを決心。関羽と張飛は劉備の留守中に孔明が劉備軍を乗っ取ってしまうのではないかと疑うが劉備はそんな二人を叱責、孔明に留守中の全権を委ねる。
孔明も一度単独で江東に向かったことがあるけど、軍の大将である劉備が行くのは劉備軍の危機でもあり、更に命の危険も還れない可能性も高い。劉備は孔明の弾く琴の音に涙する。
劉備はお供に趙雲と孫乾を連れて、孫権や家族が住む南徐に早船で向かう。いつの間にか江東の州都は柴桑から南徐に代わったようです。
孔明は劉備の護衛をする趙雲に3つの巾着を渡し、袋を開ける時期を指示する。
船で河を渡り始めると趙雲は早速一つ目の袋を開け、荊州の河辺の街盧江鎮(ろこうちん)にいったん降りて劉備と孫小妹の結婚を町中に触れ回る。たちまち江東の民に知られて、知らなかった呉国太は勝手に縁談をすすめた孫権に激怒する。
まだ18歳の愛娘に30歳も年上の男と結婚させるなんて・・・。
周瑜は劉備が縁談を承諾したので、戦争を仕掛けることができなかったが、今度は到着したばかりの劉備に攻撃しようと兵を潜ませるが、魯粛がいち早く出迎えて実行できない。
ならば劉備がいなくなった荊州は攻撃のチャンス。諸葛亮が州の境界の城に軍隊を配備したので、6万もの大軍を荊州に出陣させてからそのことを孫権に報告すると、孫劉同盟を維持したい孫権は独断で兵を動かした周瑜に怒りを爆発させる
「呉公は私だ、そなたに開戦権はない。江東の主はそなたか?それとも私か?」
周瑜は静かに泣きながら少し笑い兵符(軍隊の統率権を表す虎の形の置物)を返還。大都督を罷免される。
それもすべて孔明の策略のせいだと思いますます孔明への憎しみを募らせる。
周瑜から兵権を取り上げたものの撤退命令に従わない軍にいら立つ孫権。呉国太は周瑜は兵士から信頼され、ここまで呉の国が発展した功績を考えて周瑜に兵符を再び渡すことを諭す。そして呉の平和のため娘の結婚を決意する。
孫権は謝罪と共に周瑜に兵符を渡し、周瑜は早速劉備を捕らえ荊州への攻撃を始めようとすると魯粛が止める。
孫権は今度は魯粛に怒る(何故かちらちら周瑜の顔色を伺いながら)。
「そなたの口車のせいで荊州を失った。諸葛亮との親交ゆえか」
今度は魯粛が罷免される。
周瑜は心配して魯粛の屋敷を訪問する。
その家は高官の家にしてはとても質素であった。周瑜の訪問を喜んだ魯粛は酒と肴を召使に買わせようとしても赤壁の戦いで孤児になった子供への援助に使い果たしてお金がない。魯粛は自分の上着を脱いで質に入れさせ酒と肴を買いにゆかせる。
政治の意見が違っていても江東の地を思うのは同じという魯粛の暖かいもてなしに、周瑜は心を割って話す。
「実は私も劉備との連携も考えた。あと20年あればそなたの計略でもいい。しかし・・・私には時間がない。十数年の間方々に転戦してひたすら戦った。私の体は満身創痍。南郡の戦いでは曽仁の毒矢も受けた。この体は――落ちていく流星のようだ。いつ燃え尽きるか・・・最良の道は選べぬのだ」
劉備を捕らえ、関羽と張飛を従えて曹操を撃って呉の天下統一を計るというけど、それはありえないですよね。
自分を「落ちていく流星」と例える周瑜が切ない。自分の命が長くないのを感じている。曽仁の毒矢が運命を狂わせてしまった。
周瑜は呉国太に甘露寺で劉備を招待しそっと孫小妹に見せて気に入ったら婚儀を勧め、気に入らなかったら結婚を取りやめる事を提案し了承される。呉国太も参加し孫権や張昭など呉の中心人物と共に劉備を甘露寺に招待し食事をともにする。呉国太は孫小妹に父孫堅の形見の笛を持たせ、気に入ったら吹いて知らせるようにと言う。
周瑜は孫小妹が親ほどの年の劉備を好きになることはないと予想し、独断で厳重に兵を潜ませて捕らえる手配をする。それを知った魯粛は密かに劉備に会いに行き、逃げる手引きをするが劉備は断り甘露寺に向かう。
こういう時劉備は肝がすわって動じない。呉国太に向かい孫権や重臣、そして周瑜配下で劉備の命を狙う呂蒙達兵士の前で堂々と話す。
大変な犠牲を払った孫権軍から荊州を奪ったことの心苦しさを持っているがそれも漢王室再興のためであることを延べ、漢王室が再興した暁には鎧を脱ぎ隠遁することを宣言。嘘だと思われるなら斬ってください、この身を持って江東の民にお詫びしましょう、と剣を差し出す。呂蒙がまさに剣を振りかざそうとしたとき笛の音がする。孫小妹は結婚を承諾した。
劉備は妻はいたとはいえドラマではこれまでは男に囲まれた場面ばかりだったけど、以後孫小妹と娘を想う呉国太は劉備の味方になります。女性からも好かれる人のようです。
呉国太と孫小妹
周瑜は予想に反して劉備と孫小妹が結婚してしまったので、今度は呉国太が寂しがらないようにという名目で劉備を江東に引き留めさせる。
孫小妹は周瑜の策略だと眉をひそめて劉備に言う・・・劉備の妻になったとはいえ、周瑜の事を良くは言わないのですねえ・・・。
そして周瑜は劉備を骨抜きにしようとし、劉備を豪華な邸宅に住まわせ贅沢三昧の生活をさせる。劉備はまるで竜宮城の浦島太郎のように享楽的な毎日を送り数か月が過ぎ、鍛錬も鈍るようになる。みかねた趙雲が注意すると激怒し荊州に追い返してしまう。
荊州に戻った趙雲から劉備の自堕落な様子を聞き、張飛と関羽は劉備奪還の出陣を孔明に要請したが、江東の兵力の大きさと曹操軍が北にいるので戦争を起こしてはいけないと却下され孔明への不信感を募らせる。
更に周瑜は荊州に孔明は孫軍と内通しているという噂を流す。
趙雲は主君の警護を怠った罪で孔明に罰せられ、思いなおし江東の劉備の元に戻る。・・・実はこれは孔明が趙雲に渡した二つ目の巾着に入っていた紙に書かれた作戦。趙雲は劉備に荊州の軍備増強を報告し江東脱出の作戦を話し合う。
ただ気がかりなのは妻の孫小妹。劉備は周瑜が自分の命を狙って進めた縁談だったことを打ち明け、荊州に戻らなくてはならないことを言うと、彼女は劉備について行く決心をする。
一方孔明の作戦を知らされてない関羽と張飛は孔明が江東にいる兄と内通しているという噂を信じて孔明への怒りを抑えきれなくなり、張飛は酒に酔って内政の仕事をしている孔明に毎日怒鳴り込み書類をのせた机をひっくり返す
古代版星一徹!
実は関羽と張飛の気持ちもわかる気がしました。いつも理攻めで相手を言いくるめたり言い負かしていると、言われてもすぐに言葉が巧みに出ない人は不満がたまってしまうもんね。
追い詰められる孔明は弟子の馬謖に当たる
いつも余裕の表情を見せている人なのでこの姿は意外でした。
孔明が劉備といる以外はいつもそばにいて、孔明が他の人には見せない本心を打ち明ける弟子
馬謖幼常(ばしょくようじょう)
馬良の弟。孔明のかわりに荊州を回り武者を集め兵に起用し貢献。孔明を慰めてました。
何となくフレディ・マーキュリーに似てる
劉備一行は脱出を決行。呉国太も協力し孫権や家臣たちを宴に呼び時間を稼ぐ。それでも追っ手に追いつかれると、孫小妹が「孫家にはむかう気か」と一喝。それこそが孔明が趙雲に渡した3つ目の巾着に入った紙に書かれた作戦。
河辺につき迎えの船を待つと劉備の動きを察した周瑜の軍隊が待ち構え劉備を捕まえようとする。そこへ孔明が手配した黄忠と魏延の軍が奇襲。
あと一歩で劉備をつかまえられない無念で周瑜はまた血を吐く。
劉備たちは無事船に乗り込み、さらに兵士たちは孔明の入れ知恵で周瑜軍に向け一斉に声を出す。
「周郎の妙計 天下を安んず。夫人を失い また兵をくじく」
まるで孔明の高笑いが聞こえそうな文句(^^;)怒りのあまり周瑜は失神する
荊州では不満を爆発した関羽と張飛が1万の兵を引いて劉備奪還をするために出陣しようとしていた。呉と戦争をしてしまったら取り返しのつかないことになると止める孔明。だが関羽と張飛は孔明への不信感で聞く耳を持たない。
そこへ劉備の帰還の知らせが届き、一転関羽と張飛は大喜びで迎えに行く。馬謖と2人だけになった孔明は安堵で涙する。
主のいない劉備軍を守るのは大変なストレスをともなっていたようです。孔明も苦しい気持ちと不安を内面に抱えていた。実はあまりに超人的に見えたのでちょっとホッとしました。
そしてひっそり荊州から去ろうとする。劉備に怒られた関羽と張飛はあわてて孔明を引き留めるが孔明は許さない。部屋にこもってしまった孔明に劉備が尋ね、二人とも反省してるので許してやってほしいと頼むと、孔明は
「あれしきの事、別に何とも」と答える←泣いてたじゃない(^^;)
それよりも関羽と張飛が感情で軍を動かすことを危惧している。それで反省を促している。下の者に厳しく上の者にへつらうわかりやすい張飛よりも気位が高く劉備以外の者を見下して見る関羽の方が心配だという。
「周瑜の才は私に劣らぬのに何で何度も私に負けるのか。性格のせいです。もっと謙虚さと忍耐強さが必要です。」
新たな気持ちで兵士の鍛錬に励む張飛
長坂坡の戦いの時、曹操軍を張飛が大声だけで退散させた事を自慢げに言って兵隊に声で倒す訓練をします
「シャ(殺)ー、シャー、シャー!」
ジャイアン軍団か(^^;)。荊州兵は鎧兜が籐の籠のような作りで、ローカル感があります
江東では周瑜は体調をさらに悪化させていた。だけど孫権や魯粛の前では見せないで今後の対策を話し合う。
今度は孫権と劉備の友好の印として許都の天子に劉備を荊州の牧に任命するように上奏。無事受理されたが、曹操の入れ知恵で荊州の中心地の二郡を孫権軍の領地に命令する。
魯粛は再び呉の使者となり荊州に出向き、二郡を明け渡すよう要請。劉備側が拒否すると西蜀を領地にして返還することを要請。同じ劉姓同志で難色を示す劉備に呉の軍が代わりに戦い。西蜀を征服したら荊州と交換することを提案する。
周瑜は西蜀を攻めるために荊州を通ることを文書にて要請。劉備は呉が本気で西蜀を取るつもりで、そうなれば挟まれてしまう荊州の劉備軍は危機に陥ると危惧する。が、承諾の文書を返す。
いよいよ江東の軍が出陣するとき、大都督の周瑜はふらついてうまく歩けず呂蒙が支えていた。
兵士が輿車を用意したが周瑜は馬に乗るという。自力では乗れない周瑜に呂蒙は自ら足台となって他の将兵も支えてやっと馬に乗る。
そして荊州の州都襄陽の城に向かい開門したら一転して劉備軍を攻撃する作戦を実行しようとする。
武将たちがすでに孫権に荊州攻めを嘆願、孫権も承諾している。
が、周瑜の作戦を「道を借りて鯱を討つの計」と見抜いた孔明は城壁に軍隊を配備。外部にも兵を潜ませて挟み撃ちにして、孫権軍は逆に攻撃を受けて敗走。
余力を失った周瑜に孔明から孫権軍の裏切り行為を責め、道を一筋開けるので速やかに撤退すれば追わないと書かれた信書が届き屈辱を感じながら撤退。途中周瑜は輿車から出て自分が生きているうちに取り返せなかった荊州の城を眺め涙する。
彼は孔明に敗北したことを認めた。
周瑜邸に孫権が尋ねる
寝台に横たわって苦し気な周瑜は孫権の怒りに触れる行為を何度もしたことを謝る。
孫権が「そんなことはない、そなたは呉の柱だ」と言うと
「あれは――やむを得なかったのです。江東の老将たちは先のご主君に従っていました。伯符将軍が逝くとき、夫人と幼弟を残しました。もし江東に権威がなくなってしまえば――必ずや乱れます。
私は江東を安定させるために横暴に振舞うしかなかった。老将たちを抑えるためにも。そのために――ご主君の尊厳を冒しました。しかし――やってはならぬことでした。しかしやるしかなかった。なぜならわかっていたからです。ご主君は寛大な方であると。」
そして江東の地は安定していても曹操と劉備は梟雄なので一瞬たりとも気を緩めないようにと言う。
孫権は肝に銘じたと答える。
孫権は涙ながらに口ごもっていると周瑜は言うように促した。
「もしそなたに何かあれば次は誰が大都督を任せれば?」
「一人います。私より道理を知り徳の高い男。江東の柱になりえます。」と言って魯粛を指名する。
そして
「惜しい、残念です。」という。孫権が尋ねると
「天は周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮も生んだのか」
そういって絶命する。ほろりと転がり落ちていく木簡。最期まで孔明の書簡を握りしめていた。
傍にいて看病していた呂蒙は涙し、邸宅の入口で並ぶ将軍たちは拝礼した。
西暦210年、享年36歳でした。
この4部では妻の小喬は最後まで現れませんでした。周瑜は小喬が孔明を助けたことが本当に許せなくて離縁してしまったのか・・・。
孔明も魯粛も周瑜は大局を見てないと批判していたけど、孫家からは煙たがられていたけど、
周瑜は赤壁の戦いで江東の危機を救った名将であり、孫家への忠誠心と親友孫策への友情の気持ちには一点の曇りもなく澄んだ青空のように純粋で清涼だった。
この4部では周瑜が孔明への恨みと荊州奪還の執念に縛り付けられ、気持ちを切り替えて別の視点を持つ事ができなくなり、少しずつ追い込まれ破滅していく様子がじっくり描写され、時に見ていて辛かったですが、その不器用ともいえる生きざまに共感しました。
多大な労力や犠牲を払った事を苦労もしてない者に横取りされたら、簡単に諦められないです。そしてさらに追い込まれることは私達にもあります。周瑜の行動を批判できないと思いました。
そしてそんな理不尽な目に遭ってしまったとき、同じ生き方をしてしまいがちな私たちに周瑜は身をもって問題を投げかけてくれているように感じました。
あの美周郎と言われた周瑜が華やかさや格好よさも剥ぎ取られて最期をとげた姿に凄みを感じました
それで、今回の感想は周瑜の事を細かく書きました。自分なりに周瑜の生きざまを記してみたかったのです。
孫権軍は周瑜と言い呂蒙と言い颯爽としていて、兜につけた白い飾りと白いマントが洒落ていてとても素敵でした。
孫権は魯粛の自宅に出向き周瑜の死を知らせる。
魯粛は驚きがっくりと膝をつき、志半ばで逝った友の無念を思い涙する。
それに対して孫権は周瑜の事を
「自分で死に追いやったのだ」という。突き放した言い方に驚きました。
そして
次の大都督に魯粛が推薦されたことを告げる
劉備軍と孫権軍の行方、そして曹操軍の抜け目ない司馬懿の動向も気になります
第5部に続く
第1部 群雄割拠
第2部 中原遂鹿
第3部 赤壁大戦
つわものどもと夢の中
第5部 英雄帰天(前半)
第5部 英雄帰天(後半その1)
第5部 英雄帰天(後半その2)
2部、まとめての記事、大変だった事と思います。
毎回ですが、本当に丁寧な記事で夢中で読んでしまいました。
赤壁と荊州は、孔明と周瑜の確執が描かれていきますが、恐らく史実ではあんな事なかったと思うので、このパート、周瑜が気の毒なんですよね。(^_^;)
孔明は人気がありすぎてものすごく脚色されてしまっているので、逆に曹操陣営の物語になるとグっと歴史劇っぽくなってこっちも面白いですよね。いよいよすーまーいーの登場で、ますます面白くなっていきますよ!
呉は魯粛がとても良い味わいを出すので、とにかく三国ともに目が離せませんよね。
第5部はいよいよ世代交代のパートに入ります。近々に送りますので、ちょっと待ってて下さいね~。
お楽しみに!
私、もともと物語に入り込む性格ですが、スリキンはさらにのめり込んで浸ってます。
ここ数年こんなことなかったので、スリキンは出会いだと思いました。なかなか自分からは長いドラマを見ようとはしなくて、ごみつさんに「よろしかったらお貸ししますよ」と言ってくださらなかったら出会わなかったです。
本当にごみつさんに感謝です!!
このドラマの凄いところは一方的な視点ではなくいろんな人物からの視点で歴史を見ている・・・もとにしたのが正史ではなく演義なのでドラマチックに脚色されていますが、どの軍にも事情があるのがわかり、敵味方という目で見ることがない。あからさまな残酷シーンがないのもよいです。
それに登場人物が魅力的ですね。曹操も、そして新しく現れたスーマーイーも♪いきなり老けていますが、この人は若いイメージがないのかな?確かに老獪という言葉が似あいそうです。
周瑜は本当に泣けました(:_;)
魯粛も、柔らかい物腰ながら、芯は剛の者で人間的魅力があふれてますね。
今、気持ちはちょっと孫呉寄りで柴桑に住んでいます。
これからの孔明の采配も楽しみ。
第4部の余韻にいまだ浸って楽しみつつ第5部も楽しみにしてます。
竪穴式住居???
な~んちゃって♪芝居ですよ芝居
言葉のあやで思いっきりタメ口をききましてどうかお許しください
竪穴式住居のすーまーいー・・・うはは(≧▽≦)似合いそう
バサバサの髪を伸ばしっぱなしですからね。すーまーいーがぶつぶつ言いながら竪穴の住まいの中で器用に土器を作ってそうです♪
チャンフェイにいたってはほら穴生活も全く違和感なし!
あのゴリマッチョ姿で潜んでたら100%本物の〇〇ラと間違われそう♪
愛を感じる突っ込み歓迎歓迎です