おそろいの帽子をかぶってる熊のユディトと一緒に☆
良く晴れた温かい1月12日に行ってきました。1月15日までの会期ギリギリで見れてよかったです♪
ずっとクラナッハという名前で日本では通っていたのですが、正確にはクラーナハなのだそうです。そのクラーナハ作品でまず思い浮かべるのは、ほっそりして真っ裸で思わせぶりな目でこちらを見るちょっと怖い印象のヴィーナス像。それからちょっと顔が歪んで見えるマルティン・ルター像。
16世紀ドイツ絵画は中世美術の息遣いを残していて、ちょっと歪んで癖のある絵に見えてしまう。そして粘着気質的に細部を描きこんでいく、そういう癖のある絵こそがドイツルネッサンスの魅力で醍醐味。大好きです。
北方ルネッサンス、ドイツの画家ルカス・クラーナハ Lucas Cranach (父、1472-1553年)は当時の画家や音楽家と同様で一族で画家を職業としていて父親も画家だったそうです。
ドイツのクローナハで生まれ、ウィーンで画業をはじめ、1506年ザクセン選帝侯に仕えるためにヴィッテンベルクに移り、そこで翼を持った龍がルビーの指輪をくわえている家紋を与えられて、それ以後多くの作品にその家紋が商標のように記されてます。
また、最初は城の中に住んでいましたが街に居を移し工房を経営したそうです。クラーナハの仕事ぶりを評する文章が残っていて、絵を描くのが早く、絵筆をいつも持っている仕事熱心な人物だったそうです。画家としての才能と経営者としての才能を両方持っていた人物のようで、息子たちと多くの弟子を抱えて大量の注文を受け絵画を生産し、一度に多くの作品を作れる版画作品も発行し世間に流通。大量生産で一定の品質とクラーナハらしい絵の特徴を保つために、人物像のパターンを予め作っておいて、それを組み合わせたり一部をアレンジしたりしながら作品を次々と作り出していったそうです。あの似たようなヴィーナスやルクレティア像はそういう作りのようです。
頼もしく、バランス感覚の良い人物だったのでしょう、街の有力者となり市長にもなってます。
そんなできる人クラーナハ(父)はまたヨーロッパの歴史の重要な転換期に深くかかわった歴史的な証人の役割も果たすことになります。
ザクセン家はエルンスト系とアルブレヒト系と血筋が分かれるそうですが、クラーナハが仕えたのは神聖ローマ皇帝を選ぶ選挙権をもつ選帝侯の地位を持つエルンスト系。神聖ローマ皇帝は実質上ドイツ皇帝でほぼハプスブルグ家が継いでいたそうですが、ザクセン選帝侯の貢献も大きく一目置く存在だったそうです。
クラーナハが仕え始めたザクセン選帝侯フリードリヒ3世(1463年- 1525年)は賢明公と言われる人物でヴィッテンベルク大学を設立し、そこで教鞭を執っていたマルティン・ルターが1517年(ちょうど500年前!)に『95ヶ条の論題』を発表してからローマ皇帝に弾圧される中一貫して守り抜いた人で、クラーナハもルターと親しく肖像画をたくさん描き、ルターが聖書をドイツ語に翻訳した聖書のイラストも手掛け印刷したそうです。
現在教科書で見るルターの肖像画はクラーナハが描いた作品でプロテスタント運動の指標となるルターのイメージが定着しました。
賢明公が亡くなると、お子さんがいなかったのでザクセン選帝侯は弟のヨハン不変公( 1468年- 1532年)が継ぎ、不変公が亡くなるとその息子のヨハン・フリードリヒ寛大公(1503年 - 1554年)が継ぎ変わらずルターとプロテスタントを擁護したそうですが、その三代の選帝侯に50年近くにわたりクラーナハは仕えました。
寛大公が神聖ローマ皇帝カール5世に戦争に敗れ、選帝侯の権利ははく奪されもう一方のアルブレヒト系ザクセン家にわたります。そのアルブレヒト系ザクセン選帝侯に御用画家として指名され仕えたのがルカス・クラーナハ(父)の息子ルカス・クラーナハ(子)なんです。
歴史の渦のど真ん中にいる画家一族
その渦に巻き込まれることなく、プロテスタントからもカトリックからも注文を受け肖像画家として歴史的な人物の肖像を描きとどめ、宗教画家として、他方官能的な女性ヌードや男を誘惑する魔性の女を描く画家としても活躍し、市長にもなって市政を収め、名声を極め、息子も画家として活躍した凄い一族。ただし、作品には出来にばらつきがありました。どこまでクラーナハが手を入れたかにかかるのでしょうね。。
「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」1515年 コーブルグ城美術コレクション
会場に入って最初に目に入るのがこの肖像画です。目の力が強く、意思の強さを感じる口元、そして堂々とした風格。クラーナハの才能を見出し、ルターの主張の正当性を確信し、またこの人物を介してルターとクラーナハは生涯の友人となった。キリスト教史の変転期に事態を俯瞰して冷静に判断したこの人物は16世紀ドイツの重要人物で賢明公と呼ばれるにふさわしい。
賢明公はカール5世を神聖ローマ皇帝に推挙した人物でもあり貢献者でもあったため、ルターを守る事ができたようです。
「コーブルグ城の前で馬に乗るザクセン王子」1506年 銅板画 国立西洋美術館
フリードリヒ賢明公の甥で後にヨハン・フリードリヒ寛大公となる人物はクラーナハが仕え始めたころは幼少で、この絵も3歳くらいです。
小さい馬に乗り手を挙げている姿はプリンスの気品もあり、そしてとてもかわいらしく描かれてます。
木の枝にはザクセン家の紋章がぶら下がってるように描かれて、このころはまだ龍の紋章を授かる前なので右下にLCとイニシャルを記してます。
ヨハン・フリードリヒ寛大公は成長につれクラーナハにより絵に記されています。展覧会にも成長して夫婦一対になってる小型の肖像画があったのでぜひ載せたいと画像を探しましたが見つからず、やっと小さくぼやけて写ってるこちらの画像を見つけました。
「ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ寛大公」と「ジビュレ・フォン・クレーフェ」1532年 ケムニッツ美術コレクション
寛大公は1532年に選帝侯を継いだそうだから、就任したばかりの姿かな。小馬に乗っていた可愛いプリンスは体格が良くなってる。落ち着いた風情だけどまだお顔に若さを感じます。寛大公は29歳、奥様のジビュレ・フォン・クレーフェは20歳くらいです。
当時プロテスタントを擁護する同盟軍の中心人物だった寛大公、1547年に教皇軍の急襲に遭い壊滅し負傷して捕虜となったそうです。一方ヴィッテンベルグも教皇軍に包囲されたなかジビュレ・フォン・クレーフェは防戦を指揮し街を守ったそうです。だけど、寛大公は妻と子供たちとヴィッテンベルグの人々をこれ以上戦争に巻き込ませないため降伏し選帝侯の地位をはく奪され領地を縮小することに同意したそうです。なんだかこの選帝侯一族っていいね、クラーナハが50年近く仕えたのがわかる気がします。
その奥様のジビュレ・フォン・クレーフェ。お嫁に来たのは14歳ですが、その花嫁の姿もクラーナハは絵にとどめています。その絵のジビュレがとても魅力的なんです。可愛い少女ながら意志の強いしっかりした人柄が感じ取れます。
今回は展示されてませんが、とても素敵な肖像画なので参考にWikipediaにリンクします→☆
捕虜となった寛大公にクラーナハは会いにゆき、そして引き渡され一緒にヴィッテンべルグに帰ったそうです。クラーナハは市長にもなったし街の有力者だもんね。それ以上に、偉大な伯父も父も亡き後小さいころから親しんだクラーナハは寛大公にとっても信頼のおける存在だったのだろうな。当時のクラーナハは75歳。捕虜となった寛大公に会いに行った地でベネティアルネッサンスの画家ティチアーノに会ったそうです。これもまた歴史的な出会い。
「神聖ローマ皇帝カール5世」1533年 ティッセン・ボルネミッサ美術館、マドリード
スペイン国王カルロス1世であり、そのあと神聖ローマ皇帝にも就任したそうです。
クラーナハの肖像画は真に迫った作品もあれば特徴を誇張した似顔絵的な作品もありますが、この作品は後者のように思えます。ハプスブルグ家特有の受け口で前にせり出した顎の特徴をよくとらえてますが、最初に載せた賢明公の風格のある肖像画に及ばない。
「聖クリストフォロス」1509年頃 アムステルダム国立美術館
版画作品も多く手掛け、多色刷りも開発したそうです。白地の紙に茶と黒の印刷を重ねているキアロスクーロ作品
「聖カタリナの殉教」1508/09年 ラーダイ改革派教会、ブダペスト
クラーナハの描く聖母子像はとてもやわらかくて優しい雰囲気なのですが、画像が見つかりませんでした。この作品に描かれている聖カタリナの優しいお顔がそれを想像できるかな。でも場面は神の軌跡を起こす一瞬をドラマチックに表してます。隕石が落ちて歯車が大破する様が荒い筆致で動きを感じるように描いています。そして人物のポーズや表情も激しい。が、服の模様は緻密に描いて止まって見えます。そこが不思議でアンバランスな魅力を感じます。足元の草花も細かく描いていて、聖カタリナがひざまずくスカートの白い裾の前部分にはスミレがくっきりと描かれてます。
「ヴィーナス」1532年 シュテーデル美術館、フランクフルト
プロテスタントは偶像崇拝をよしとしないので宗教画の注文が減っていく中、開発した分野がヌードの女性だそうです。しかもヴィーナスは異教で北方ヨーロッパで異教の女性のヌードを描いた最初の画家となったそうです。ヴィーナスは多くの作品ではキューピッドを伴って描かれているのですが、この作品には描かれてません。
髪の毛をきれいにセットし豪華なアクセサリーを付けてるのに真っ裸。それがなんだか余計に煽情的。わずかにビニールのように透明な布を前でひらひらさせている。その姿は成熟する手前の少女のような体で思わせぶりな含み笑顔を見せてこちらを誘うように見つめる。壁の説明に書かれてましたが薄い布で隠すようにしているのが、むしろその向こうの体に視線を誘う効果をもっている。
この上ないエロティカです。プロテスタントの街でこの作品が量産されたのが面白いなと思います。プライベートな部屋で鑑賞するために小ぶりな作品が多いのでしょうね。
画面向かって右下に見ずらいけど翼竜のマークが記されてます。
「ルクレティア」1532年 ウィーン造形芸術アカデミー
ルクレティアの絵はドレスを着て胸をはだけて剣を突き付けている半身像も展示されてました。その中の1点は背景に男性の象徴を思わせる奇岩を描いていてかなりあからさまでした。ここにはやはり全身ヌードの作品を載せます。ヴィーナスと同じで髪を美しくセットしてるのに真裸。訴えるような表情のお顔は少女のような風情。貞淑な妻が強姦されそれを夫とその父に訴えて自害する一瞬を表してます。
ただ単純に煽情的なヌードを描いただけではいけないので、教訓を絵の中に意味づけしているそうです。ルクレティアは貞淑な妻の象徴なんですが、やはり表現はエロティック。
画面向かって左下にマークが描かれてます。
「正義の寓意(ユスティア)」1537年 個人蔵
顔の輪郭や髪型、そして上半身は上に載せたルクレティアとそっくりです。クラーナハがいくつかのパターンのひな型を作って工房がそれに倣って量産したのがよくわかります。
ユスティアは一応薄衣をまとっているようだけどスケスケです。重要なアイテムの剣や天秤が途切れているのがこの時代の絵画としてはありえない気がしますが、ちゃんとマークがついているからこれで完成なのかな。
こちらを見ているようで、心ここにあらずな雰囲気。誰も見てない。
この作品が展示されている部屋の横には、レイラ・パズーキという21世紀の芸術家が中国で複製画の制作を生業としている村の住民95人に6時間の時間制限で複製を描いてもらい壁一面に並べて展示してました。小学生の作品もあり複製画職人の作品もあり、それぞれに味わいがありました。旨い人の作品はかなりいいものになってます。そんな風にクラーナハの工房もひな型をもとに弟子が複製してアレンジして量産したのでしょうね。
それから女性の色香で男性が堕ちていく主題の作品が多かったです。人気がある主題だったのでしょうね。
「サムソンとデリラ」1528/30年頃 メトロポリタン美術館、ニューヨーク
サムソンの弱点を知るためにデリラは泥酔させて、生まれた時から切ってない髪の毛が力の元と知り、酔っぱらって寝てしまったサムソンの髪の毛を切り取ってしまう。絵でもハサミで髪の毛を切ってます。後ろにはサムソンを捕まえるため兵隊が潜んでます。女の人はキリスト教的に厄介な存在なのだろうか?
ともあれ、デリラの着るドレスの赤いビロードの表現が見事です。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」1525/30年頃 ウィーン美術史美術館
ユディトは信仰心熱い未亡人で敵将ホロフェルネスを誘惑し泥酔させたところで首を斬り殺害し街を救った女性。切り取った首を持って堂々とした表情です。ユディトは当時の豪華なファッションを身に着けてやはり赤いビロードの表現が美しいです。お顔も美しく多少紅潮させて血の気の失せたホロフェルネスと対称をなしてます。残酷だけどこれもキリスト教の作品。ホロフェルネスの口もとに翼竜のマークがため息のように記されてます。クラーナハはカトリックの王侯貴族からも注文を受けていたそうです。
痛んでいたこの作品を数年かけて修復したそうで修復している様子が展覧会会場前で上映していた映像で見せていました。
この展覧会を代表する作品。
それでこのユディトの帽子をかぶったシュタイフ社のぬいぐるみとキーリングがショップで売られてました。
私はキーリングを購入しました。赤いビロードを着ている。頭のてっぺんに鍵をつなげる金具がついているので帽子が頭の真横についています。
足の裏と手のひらは別のボアを当てていて洋服にはチャックがついて脱ぎ着できてさりげなく凝っています。手触りがやわらかいです♪
そうそうサロメの作品も展示されてました。サロメが持ってるお盆に載せた生首のヨハネが、このユディトのホロフェルネスと同じ顔同じ向きでした。これも工房による量産制作がよくわかりましたが、聖人とホロフェルネスを同じお顔にしてもよいのだろうか・・・
こちらは美女に囲まれてデヘヘになっている様にならないヘラクレスの絵の看板とキーリング熊のユディトちゃん。
最後のコーナーにルター像とドイツ語訳聖書に描かれた聖書のイラストも展示されてました。
「アウグスティヌス会修道士としてのマルティン・ルター」1520年 アムステルダム国立美術館
修道士の頃は頬がこけて厳粛な宗教生活を過ごしていたことを想像できます。頬骨が張り、眼光鋭く、主張の強い人物像。この修道僧の髪型はどういう意味があるだろう??フランシスコ・ザビエルもこの髪型でしたね。
やがてプロテスタント運動の中心人物となったルターはこれまで司祭が結婚しないのに異議を唱え結婚します。
その夫婦像をクラーナハは何度も描いたそうです。
「マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ」1529年 ウフィツィ美術館、フィレンツェ
ルターがこれまでの慣習を破り結婚したという話は日本での親鸞上人を思い起こします。親鸞上人も法然上人とともに仏教の宗教改革をした人ですよね
「子供たちを祝福するキリスト」1540年頃 奇美美術館、台湾
プロテスタントは聖家族などキリスト以外聖人は信仰しないなか、子供たちを祝福するキリストの作品はとても歓迎されたそうです。
同時代に影響を与え合った画家の作品やクラーナハの作品に影響を受けた20世紀や21世紀の作品も展示されてました。それも見ごたえありました。息子のルカス・クラーナハ(子)が新しい選帝侯に仕えて描いた堂々とした夫婦の肖像画もありました。
そして、歴史の証人としての作品やエロティカや女性の誘惑を警告する作品以外に肖像画でとしても美しい作品がありましたので最後に載せたいと思います。
「女性の肖像」1525/30年頃 ウフィツィ美術館、フィレンツェ
小さな写真しか見つからなかったのが残念でしたが、優雅で優しい表情の美しい女性が魅力的でした。ヴィーナスやユディトみたいに目尻のつりあがった女性ばかりを描いたわけではなかったようです。頭の飾りの羽の柔らかそうな表現が見事でした。
「夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)」1526年 ヴァイマール古典期財団
服装もいいし、宝石を身に着けているのである程度地位のあるご夫婦だったと説明が書かれてました。
旦那さんの堅実そうな顔、奥さんのしっかりした表情が堅実な筆致で描かれてます。
やはり作品の世界に浸るのは楽しいです。
東京での会期は終了しましたが、今度は2017年1月28日(土)~ 4月16日(日)に大阪の国立国際美術館にて開催されるそうです。
「クラーナハ展」、himariさんの記事楽しみにしていました。
そうそう、私も今までずっとクラナッハと呼んでましたが、この展覧会を機にクラナッハと呼んだ方が良いのかな。
毎回の事ながらとても詳細な記事で、展覧会の足を運んだ時を思い出しながら楽しく読ませていただきました。
やっぱり女性の裸体像が圧倒的に魅力に溢れてますよね。このエロチシズムはただ事ではない!って感じで。
それと記事にも書かれてますが、絵だけじゃなくて、商才や政治力も大いにあったっていうのも凄いですよね。
ユディト熊ちゃん可愛いです!私はクラーナハラベルの貴腐ワインを買おうかどうか迷ったのですが、ハーフで4000円越してたのであきらめました。(笑)
でも、カタログは買えば良かったな~っとちょっと後悔しています。
素晴らしい記事、有難うございました。
私自身備忘録のつもりで書いていますが、読んでいただいて展覧会の様子を思い出していただけて光栄です☆
クラーナハのエロティカは闇のような暗い背景の中、化粧やアクセサリーや髪を整えているのに無防備な姿でそれもはだしで立っているのを見ると、まるで服を今脱いだようにみえます。が、その姿は堂々として、誘惑するような眼を持ちその姿態が少女のように幼いという、罪深さと転落されてしまう甘い誘惑を感じて官能を増しています。クラーナハはそれを狙ってるように思えます。
プロテスタント運動に協力する一方、魅惑的なヌード作品も量産して、社会運動と現実の商売のバランス感覚の長けた人だったのでしょうね。そしてきっと人当たりが良くて信頼される人だったのでしょう。ザクセン家に終生仕えていたのも人柄を感じます。
ユディト熊ちゃんをほめてくださりありがとうございます♪貴腐ワインはきっとビロードのような赤い色で深みと官能性を感じる味わいだったのかも。ごみつさんがワインをなみなみと注いだワイングラスを持つ姿はかっこいい
そしてカタログはほしいのに、買うと置く場所がないのが悩みで私も見送りました。うーん悩ましい・・・
だけど何より、この展覧会が始まった頃は行くのは無理だなとあきらめていたのが、少し回復して見に行けたのが嬉しいです!意外にもサイクリング運動が効果がありました。これからもぼちぼちと鑑賞に行ってレポしたいと思います(^_^)v