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三国志 Three Kingdoms 第3部 赤壁大戦 33~42話

2017-02-08 00:36:46 | 三国志 Three Kingdoms

第2部の第28話での事。曹操軍第一の軍師荀彧は官途の戦いのときは進軍に参加せず、許都で曹操の息子曹丕のそばにいました。様子では曹丕の教育係を務めているようです。
曹丕は父曹操の知略に感嘆して「父は聡明ですね」というと、荀彧はきっぱりと答えます
「丞相の聡明さは、天下第一にあらず。”天下第二”です」
驚きとまどった表情の曹丕は聞きます「では天下第一は?」
荀彧は「今は空席です」と言って笑った。

才能を発揮し中国第一の勢力の頭となった曹操も、その参謀として曹操が頼りにし武将たちも一目おく荀彧も天下第一の聡明さには及ばないという。そんな未知の才を持った人の出現を荀彧は感じてたようですね。



第3部に入ります

劉備は自分達の軍の命運を託す軍師を求めて臥龍岡に向かう。最高の礼を持って迎えるため兄弟分の関羽と張飛を連れて山深く入ると、幾人もの風流人に出会った。そのたびに劉備は諸葛亮先生ですか、と尋ねたが皆諸葛亮の友人でした。
その風流人の一人で横笛を吹き、茶道具を持ちあるき気の置けない人と好きなところでお茶を飲みかわす崔洲平という人物がいいなあと印象的でした。

向かって右側にいて語ってるのが崔洲平

恋する人を探すように必死に諸葛亮という人物を探す劉備。だが居住しているはずの草庵は2度も不在でなかなか願いは叶わない。3度目の訪問でやっと帰宅していて、それも午睡をしていたのだけど、劉備なりの最大の敬意をもって起こさずじっと待っていた。
起き上がった諸葛亮孔明はごく自然に劉備の軍師に、すでに決めていたように見えました。

西暦207年。劉備と孔明の出会いを持って三国志の中盤以降の主人公はこの人へ。

諸葛亮孔明。武将や軍師の知識も詳しく、兵法や音楽以外に、天文で人の運命を察知して気象を読んで自然現象を味方に戦う。当時まだ20代と若いのに万能の人!
「将たる者、天文地理に明るく、陰陽、仙術、布陣を知らなければ凡才の極み」

関羽と張飛は一度も戦場で戦ったことのない年若い軍師に不信感を抱き、劉備がいつも孔明とともにいることに嫉妬も感じました。徐庶の時もそうだったね。関羽と張飛は戦場で戦いを学んだたたき上げの猛将でそう思うのは仕方ないのだろうな・・・と私もわかってきました。孔明は二人の怒りをうまくかわし、実際の戦いで作戦を立て成果を上げて関羽も張飛も孔明を認めました。関羽と張飛は実学の人でちゃんと結果をだせばきちんと評価する潔さがかっこいい!

教えを請う劉備に天下三分の計を説く。
最大勢力となり天子をさしはさんで諸侯に命令する曹操とは争うことはできない。
江東は孫氏3代が治めて、民は豊かで兵も勇猛。なので同盟を組むべき。
そして荊州は四方に通じ民も豊かだが治める劉表はもうすぐ命が尽きる運命。荊州をわがものにして、さらに西に勢力を伸ばして益州も治める。
周辺の民族を味方につけ、孫軍とは同盟を結んだまま曹操軍の乱れを待ち、許都を攻めて曹軍を倒す。

それこそが漢王朝の再建と平和への確実な手段。この計を語ることによって「三国志」の物語が本格的に始動したように思えました。
だけど劉備は同じ漢王朝の血筋の劉表を裏切ることはできないという。孔明は「荊州をむざむざと曹操に取られてよいのですか」と問うも劉備は頑として荊州制圧を受け入れない。

荊州の州都である襄陽では牧である劉表の容態は悪化していた。孔明の予想通り劉表は劉備に後を継いでくれるよう頼むが劉備はやはりご子息が継いでくださいと断った。

それがむしろ劉備の天下泰平の夢を遠のけてしまってるのかもしれないのだけれど、曹操や荀彧もそれは偽善だと言ってたし私も始めはそうおもっていたけれど、乱世で裏切りも日常となってしまった時代にかたくなに義を通すのはかなり強い信念だと思いました。荒くれた武将たちを統率しいくつもの戦場で戦い生き残り、短いながらも統治した徐州や、荊州の新野では領民に慕われるので能力の高い人だと思うし、人から慕われる器を持っている。そしてその信念を通すのは自分が漢王朝の血をひく人間だという高いプライドを持っているから、だから劉という名前にこだわり続けるのだろうなと段々とわかってきました。

荊州では劉表の後妻の蔡夫人と弟で軍部を牛耳っている蔡瑁は蔡夫人が産んだ次男の劉璋に跡を継がせて荊州の要職を蔡一族で固めるため、長男の劉琦を締め出してしまう。命の危険も感じている劉琦は劉備に泣きつき、内政干渉はしたくないと拒み続けた孔明も劉備の口添えでしかたなく荊州の軍事要地である江夏の太守になって襄陽から離れることを進言。・・・これが後になって劉備軍にプラスになるので孔明は最初から劉琦に江夏に行かせるつもりだったのかな?それも恩を売る形にして



時間はさかのぼり西暦200年、曹操と袁紹が覇を競っていたころ、江東では・・・
孫軍の大将孫策はある日、狩りに出かけた先で刺客に襲われ瀕死の重傷を負ってしまう。死期を感じた孫策は弟孫権を呼び、涙する孫権に跡を継ぐように命じる。孫策には生まれたばかりの長男がいたけれどあまりにも幼すぎるといいながら。

「天下の諸侯と中原を争い勝ちを西陣に決することはお前は私には及ばない。だが才ある者を用いて江東を守ることにかけては ―  私はお前に及ばない。」
孫策は孫権が9歳の時に父孫堅の亡骸を返してもらうために一人で荊州に赴き、劉表に直接訴えた勇気と才覚を評価していた。
「お前を補佐してくれる者が二人いる。覚えておけ、内政のことは張昭に尋ねよ。外交のことは周瑜に頼むのだ。」
孫策は次に妻の大喬を呼び、跡継ぎに弟孫権を指名したと告げる
「江東の大局に立って物事を判断するのだぞ。江東はわが命なのだ。」
大喬に見守られ旅だった孫策はまだ26歳でした。

孫権仲謀。その時18歳。
武官は周瑜が事実上の大将になることを望み、文官の一部は孫策の長男こそが跡を継ぐべきと主張する者もいた。悩んだ孫権は周瑜に位を譲ろうとしたけど周瑜は即座に拒否。張昭は幼すぎる子への譲位で執権が権力を持ちすぎて国が滅んだ話を大喬に告げ、大喬は何より江東の為、孫家の中で内紛が生じないようにまだ赤ちゃんの息子を連れてひっそりと城から立ち去る

・・・お付きのものがいなくて大丈夫かな?行き先がわからないけれど、ご実家で静かに母子で暮らしてほしいなと思いました。
そして周瑜は

武官たちを連れて孫権に忠誠を誓った。



時間を戻して西暦208年。荊州の牧劉表が亡くなり、蔡夫人と蔡瑁のもくろみ通り劉琮が後を継いだのだけど、即座に蔡瑁が曹操軍への降伏を進言する。領地が戦場で乱れなくて済むし、これまでの地位をそのまま残してくれるという好条件だという。すでに蔡瑁が勝手に交渉してたのね。これまであんなに荊州の実権を握ることに執着してたのに、勝てそうにない相手にはさっさと譲るのは蔡瑁なりの処世術なのだろうな。そしてあっさりと降伏がきまり曹操を迎え入れる。蔡瑁は曹操軍と荊州軍の水軍の大都督に任命され実質出世します。ドラマでは蔡瑁は日和見な人物として表現されているけど、戦う結果が明白なら、国を荒らさず民の命を守れるし何より自分の命も惜しいし、仕方ない気もする。でも、曹操は蔡瑁を信用してない。使い捨て人材と言い切っている。
一方劉琮に曹操は・・・強力な水軍と豊かな兵糧を持ちながらなんで立ち向かわない!と威喝する。
そして位は変わらないがこの際許都で献皇帝と暮らしなさいとさっさと追いやり軟禁状態にする。
・・・現代なら企業合併みたいなものでしょうか。手堅く経営していた企業を新進で急に大きくなった企業が吸収合併する。合併するときの条件はかなりいいはずなのでこれなら大丈夫だと思ってたのに、いざ合併した後は次々に邪魔な人は左遷しやめさせたりする・・。

曹操軍はさらに劉備軍の駐在する新野へと軍の一部を進ませ、劉備軍は孔明の策で新野の家屋に火をつけて曹操軍にダメージを与える。そして劉琦が守る江夏へと向かう。
新野の住民は火を放つ前に違う街で暮らせるように劉備軍から金銭を配られていたけど、劉備軍とともに江夏へ移るといい、劉備はそのことを了承する。孔明は軍の足手まといだから捨てておきなさいというのだけど劉備は自分を慕ってくるものと共にするという。
「国家の礎は民だ。この劉備、たとえ民と死するとも無為には生きぬ。」
それに感銘を受ける孔明。
・・・圧倒的に優勢な曹操軍を倒すために火をつけるのは仕方ない事なのでしょうけど、ちょっとばかり金銭をもらっても荒野に放り出された住民はどうやって生きればいいのか途方にくれるよね。この戦乱の時代に住める場所は限られていて、よそから入り込める余裕はないのは私でも察しが付く。盗賊もいる。劉備でさえこのまま見捨てたら民は死んでしまうと予想している。だから劉備軍とともに移住するのが一番安心できるという気持ちがよくわかる。孔明も自分の策で住処を追い出した住民に対して捨てておけなんて、確かに劉備軍は追い詰められ、孔明の言うところの大局を見たら仕方ないのかもしれないけど、酷いし冷たいと思う。だからこそ劉備の考え方に孔明は敬服したのでしょうね。これまでなかった発想だから。孔明の為にも劉備に会えてよかった。

一方占領した新野の城に火が放たれ軍が壊滅状態で本陣に戻った曹軍の武将に曹操は何人の兵士を失ったと問う。武将は「3万から5万・・」と答えると
「では5万だな」と言う曹操。兵士一人ひとりに人生はあるのに、一つの集合体としか見てない。
曹操は劉備軍が江夏に向かっていると聞いて表情を変える。そこは荊州の重要な軍事基地。兵糧基地でもある。すぐに劉備軍を追うように命令する。劉琦はとても有利な場所の太守になっていたのですね。

年寄りや女子供も一緒の大移動なので遅々と進まず長阪で曹操軍に追いつかれる、そして劉備の妻たちと生まれたばかりの長男が遅れてしまい曹操軍に巻き込まれてしまう。
それを知って曹操軍の中に入っていったのが趙雲!まず甘夫人を保護し他の武将に頼み、さらに後方で行方不明になっている糜夫人と劉備の子阿斗を探しに馬を駆ける。
その様子を見た糜芳は趙雲が曹操軍に下ったと報告し、張飛は怒って「奴の本性が出た」と罵る。
劉備は糜芳と張飛にしかりとばす「不可能(ブカナン=ありえない)!」
ええ私も二人の頬っぺたを思いっきりぶん殴りたくなりましたよ(怒)。張飛もだけど糜芳も自分の妹を助けに趙雲はむかってるというのに。私の腕がひりひりするだけであまり痛がらないだろうけど(汗)
曹操軍が殺戮する集落の中で足を怪我してまともに歩けない糜夫人と赤ちゃんを見つけた趙雲は一人周りの曹操軍と戦い守る。多勢に囲まれ槍で刺されながらも二人を守って戦い抜き、その様子を見た糜夫人は、自分がいては趙雲の負担が大きく、このままでは趙雲も阿斗も助からないと思い、

井戸に身を投げる。
周りにいた曹操兵を倒した後、急いで井戸に駆け付けるがもう反応はない。
赤ちゃんのおクルミのそばに転がっていた赤い靴が悲しい





趙雲は井戸に拝礼し、遺体を暴かれないように石垣を井戸に倒してふさぎ、赤い靴を懐に入れ、赤ちゃんを布でくるみ抱きかかえて馬に乗る。

前方に見えるのは曹操軍の壁、

後方からは追手が

恐ろしい数の兵隊そして矢が趙雲を襲い、阿斗を守り抜きながら戦うさまはこれまで見た三国志のドラマの中で一番凄まじく恐ろしかったです。

何度も刺され。苦悶の表情を見せながらも気力を振り絞る。馬の脚を取られ馬とともに前のめりに倒れこみ転げながらも赤ちゃんをかばう趙雲。でもここで死ぬわけには行かない、槍でさらに刺され兜が脱げ髪を振り乱す。兵士たちが一斉に槍で趙雲を上へ飛び上がらせ、

落下するのを槍で突き刺そうとする。
その時倒されて気絶していた趙雲の白馬が意識を取り戻し

兵士たちの中に突っ込み落下した趙雲を背にのせます。

そして曹操軍を突破して劉備軍のしんがりを守る張飛のもとに駆け込む。

橋の前で待ち構えてた張飛は趙雲の死闘を目にし、趙雲を讃えあとは任せろと言う。
やっとのことで劉備の元に参じた趙雲は糜夫人を救えなかったことを詫び、そしてずっと守り通した劉備の子阿斗を差し出そうとするが、激しい戦いで赤ん坊は意識を失ってしまっていて

心配そうに見入る趙雲。

やがて意識を取り戻すのを見て

笑みがこぼれる。

そして改めて劉備に阿斗ちゃんを捧げる

ポイッ!
周りの人「うおお!」
何てことするんだ!趙雲がせっかく死に物狂いで助け出したのに。

阿斗ちゃんはしっかり者の孫乾くんが抱いてます。劉備はこの子のせいで大切な武将を失うところだったなんて言ってるけど、とんでもない!格好つけた事を言ってる場合じゃないでしょ。きっとこのせいで阿斗ちゃんは、阿斗ちゃんは・・・(涙)

一方曹操軍と向き合う張飛は叫び声を轟かせて、曹操軍の兵士が血を吹いて落馬して絶命(ええ!)。そして劉備軍をカモフラージュして曹操をだまして追うのを止めさせます。孔明も張飛の知略をほめますが、戻るときに橋を壊したと得意げに言うと孔明にそれでは曹操にすぐばれると怒られてしまいます。
この戦いこそが長坂坡の戦い。
戦争としては曹操軍の圧勝なのだそうです。
逃げる劉備軍は誰も自分達のことでいっぱいになっているなか、趙雲だけが夫人や阿斗を思って助けに行き、敵に囲まれながらも必死で赤ん坊を守って無事救ってあげた。その優しさが胸に迫って目頭が熱くなります。

劉備軍は逃げて長江にまで行き、これ以上進めなくなり観念した時、劉埼の率いる江夏の水軍が助けに来て無事逃げ延びます。
劉備を慕ってついてきた住民たちはどうなったのだろうね。船に住民は乗れたのだろうか。いや乗り切れないよ。ドラマではその事は説明されてないけれど・・・・

荊州を征服した曹操は次に江東へと照準をあわせる。荊州の軍も含むと100万の兵、
孔明は孫権軍と劉備軍の連合軍を作る構想を持つ。連合軍で戦えば、曹操軍が負けたら荊州をわがものにできて、孫権軍が負けたら江東を奪えばいい。
劉表への弔問で孫権の則近の魯粛が江夏に出向き劉備、孔明、劉琦と会う。三人は初め魯粛に警戒していたが、率直な話をする人柄に打ち解ける。

魯粛子敬。相手を試したり牽制することなく真摯に向き合い話をする好人物。周瑜や孔明ほどの策は弄しないけど、率直な言葉の中には本質を突く鋭さがありました
そして魯粛も孫劉連合軍で曹操軍を迎え撃つべきと考えていた。

連合軍を作るのを孫権に同意してもらうべく孔明は魯粛の案内で江東に向かうと、江東はすでに曹操軍が竹筒に入れて長江に大量に流した降伏をうながす檄文で騒然としていた。
文官は民や土地が荒らされないよう(曹操への降伏とは言わず)朝廷への帰順を勧め、武将は抗戦して江東を守り抜くことを強く主張。
それに対し、孔明は張昭以下文官と降伏か抗戦か舌戦をし、孫権に曹操軍は100万といえども長い遠征と南国の気象に会わず兵は疲弊し、そのほかは負けた軍の敗残兵の寄せ集めなので孫劉軍に十分勝機があると説得。
だけど孫権が決意したのはその前の晩だったように見えました。
孫権の居城まで押しかけて降伏を激しく主張する文官たちの意見をそばで黙って聞いていた魯粛に、孫権が「なぜ反論せん?」と声を荒げたのに対し魯粛は答えます
「ご主君、張昭たちの言い分はもっともです。その立場から見れば当然です。投降した後も、今のまま政務を執り農作物を管理し、朝廷の命に従えばいいのです。
私とて、投降してもよいのです。私の場合は官職を辞し、自宅で詩文を作り弟子を取ろうかと。何の不満もありません。
しかし・・・江東の文官武将が皆 投降したとしても、ご主君だけは降ってはなりません。
 先ごろ、曹操は許都で金の鳥かごを編みました。眩いものです。鳥かごは朝廷です。中には1羽の鳥が・・・その鳥の名は天子です。ほどなく曹操はまた1羽を入れました。その鳥の名は劉琮。
もしご主君が降れば、この鳥かごに閉じ込められます。ご主君お考え下さい、3羽も入れられたら――息もできませぬぞ」

武を誇る孫家の者が戦わず降伏して、軟禁される屈辱を受け入れるわけにはいかない
でも意見が二つに分かれたまま戦争に突入してはならない

急ぎ江東の州都柴桑に戻った周瑜も曹操軍への対応を多分決めていたと思います。が、挨拶に来た孔明と魯粛には「帰順を考えてる」とわざと言うのに対し、孔明は曹操は好色で江東の美女姉妹の大喬と小喬を曹操に渡せば満足して撤退すると言って周瑜を激高させ一気に抗戦を唱え、翌日孫権に進言。
「これこそ天の声」といった孫権は宝刀を鞘から取り出し

そして

文机を斬る。

「今日から我が江東の何人でも、曹操に降るといえばこうなるぞ」
孫権は高らかに抗戦を宣言、周瑜を大都督に任命。そして・・・戦争反対派の張昭に孫家3代にわたるこれまでの功績を深く感謝して、そして誰よりも江東の民の暮らしや作物を思ってるからこその愁いを理解し、さらに後方支援の責任者を頭を下げお願いする。張昭は涙ながらに承知する。

周瑜は「美周郎」ともいわれ美男子で有名で音楽の素養もあり、奥様の小喬と仲睦まじく楽器を演奏する姿は幸せそうでとても絵になりました。

周瑜公瑾と小喬
そのうえ優れた将軍で武将から尊敬され水軍を縦横に指揮し、策士。
圧倒的多数の軍勢を持つ曹操は安心してたのか、まんまと周瑜の策に引っかかります。あんなに鋭く抜け目ない人なのに。まるで官途の戦いで70万の兵を持ち慢心していた袁紹のよう。
曹操の部下で周瑜の古い友人蒋幹に、蔡瑁は周瑜と内通していると思わせて曹操に報告させ、曹操の水軍を指揮できる蔡瑁(!)と張允を即座に断首させてしまいます。
この周瑜の策に協力したのが妻の・・・





(@_@;)・・・アスリート小喬
長安の都でたおやかな踊りをした貂蝉を思い出しました。気候風土による気質の違いなんでしょうね。
周瑜も涼し気な顔で「江東の女は剣舞のたしなみを持つ、ご主君の妹君はもっと凄い」と言ってました。

そんな全てに能力の高い周瑜はプライドも高く、孔明には用心して牽制しようとするも、孔明はむしろ周瑜をうまく自分の思惑通りにそそのかしていく。
自分の上をいく策士としての孔明に恐れと憎しみを抱いていく。
「孔明の鋭い見識はやがて江東の災いとなる。」
その周瑜の懸念は外れてないと思いました。孔明は江夏で劉備に「連合軍で戦えば、曹操軍が負けたら荊州をわがものにできて、孫権軍が負けたら江東を奪えばいい。」と言ってましたもんね。
周瑜は孔明に殺意を抱いてゆく。

一方孔明は江東で周瑜の思惑を察しながらもあてがわれた倉庫のような殺風景な住居に机を置き、悠然と座る。決して弱みを見せない。
その二人の間を取り持ったのが魯粛。孔明も魯粛の率直さや誠実さに救われてました。

周瑜が孔明に降った短期間で十万本の矢を調達するという難題も、気象に詳しい孔明は濃霧の日にわら船で曹操軍の矢を打たせてせしめるという形で見事答える。

おりしも戦いの目前に周瑜は喀血して倒れる。医者も原因がわからずどんどん弱っていき、周りの人、とりわけ小喬が心配していたのが、孔明が病気の原因をズバリと的中させる。作戦遂行には決定的な欠陥に苦しんでいた。それは自軍に不利な西北の季節風で火攻めをしても自軍の方が焼けてしまう。孔明は私が東南の風を起こしましょうと言い一気に周瑜を元気にさせる。同時に周瑜は改めて孔明に底知れぬ恐ろしさを感じる。




曹操軍の元には孫権軍の老武将黄蓋からの信書が来る、
周瑜と対立してひどい目にあった武将の黄蓋が周瑜の傲慢さに嫌気がさした武将と共に曹操軍に下る申し出があり、曹操は受け入れる。
前の晩、曹操は勝利を確信し、宴を開き詩を謳う。54歳の曹操。

「短歌行」

「酒に対えば当に歌うべし 人生幾ばくぞ 
 例えば朝露の如し 去りゆきし日ははなはだ多し
 歎きてはまさに以ていたむべし 憂思忘れ難し
 何を以てか憂いを解かん ただ杜康あるのみ
 青々たる子(きみ)が衿 悠々たる我が心
 ただ君が為のゆえに 沈吟して今に至る 
 ようようとして鹿は鳴き 野のよもぎを食らう
 我に嘉賓有らば 瑟(しつ)を鼓し笙を吹かん
 明明たること月のごときも いずれの時にかひろうべき
 憂いは中より来り 断絶すべからず
 陌(はく)を越え阡(せん)を度(わた)り まげて用て相存せよ
 契闊(けいかつ)して談讌(だんえん)し 心に旧恩を念(おも)わん
 月明らかにして星稀に 烏鵲(うじゃく)南に飛ぶ
 樹を繞ること三めぐり いずれの枝にか依るべき
 山は高きを厭わず 海は深きを厭わず
 周公哺(ほ)を吐きて 天下心を帰せり」(ドラマの字幕を写しました)
 
その詩を謳う曹操の太い声が響きます。その詩をこのドラマの曹操の声で全文聞けたのは耳福でした。

 

一方孫権軍の陣地では

南屏山に七星檀を作り、祈りを上げる孔明。

西北に吹く風向きが、やがて東南へと変わってゆく。
祈りがすんだら自分は孫軍には用なしである、命が危ない。すぐに祭壇を降りて逃げようとする孔明に一台の輿馬車が待っていた。
小喬が中にいて追手から孔明の命を助け、事前に気づいていた趙雲が待つ船着き場へと送ってあげた。
孔明が「なぜお助けに」と聞くと。小喬は答えます
「夫を助けて頂きました。」その言葉に夫への深い愛情を感じました。
馬車を降りた孔明は去っていく輿馬車に拝礼する。そして無事劉備軍に戻ります。

小喬は、孔明の殺意でいきり立つ周瑜に、夫の驕りを指摘したことがあります。当然周瑜は大変怒りました。
だから小喬も大変な勇気が必要だったと思います。今回はさらに周瑜の怒りは激しくなり、妻小喬に剣を突き付けます。小喬は震えながらも「諸葛亮はあなたの命の恩人なのですよ。」と答えるのが精いっぱい。
周瑜は孔明を殺せるせっかくのチャンスを逃したのが本当に許せなくて小喬の目の前で剣を振りかざして、小喬を追い出します。
周瑜、それはDVですよ、というのは現代の発想ですね。でも、現代でも、よくわからなくて判断もできず強く言う人に従ってしまったり、嫌われたくなくていけないとわかっていても言うことをきいたりするのは自分を省みてもたくさんあるじゃないですか。
だから夫を愛しながらも、自分で物事を判断して、正しいと思う行動をする小喬の勇気は素晴らしいし、素敵な女性だなと思いました。ここで孔明が殺されたら、劉備軍は孫権軍に刃を向けていき、お互い深いダメージを負い、曹操軍に対抗する力を失っていた。

孫家の紛争を避けるために息子を連れてきっぱりと去る大喬といい小喬といい、芯が強くて潔い。

 

いよいよ赤壁の戦いが始まる


当日、黄蓋たちの帰順船団が曹操軍に向かい、曹操はいよいよこの戦いに勝ち天下統一を達成すると満足した。
が、黄蓋の船団は船に火をつけ曹操軍の船に突っ込んでくる。

周瑜と黄蓋の苦肉の策と孔明の東南の風の相乗効果


沢山の兵士が火にまみれ海に落ち、壮絶な戦いでした。

地上に上がった曹操軍を魯粛が率いる軍が攻め、さらに少数になった曹操軍を劉備軍の張飛や趙雲が襲います。逃げ惑う曹操軍。どんどん兵が減っていく。
そのうちに曹操は孫権軍と劉備軍・・・というより周瑜と孔明の思惑に気づきます。どちらも曹操を殺す事を押し付けあっている。曹操の亡き後弔い合戦など面倒な戦いから避けて高みの見物ができるように。
でも、華容道まで逃げ延びたとき、最後に関羽が現れ征伐するという。
すっかり疲労し、兵も少数になった曹操は以前の恩を忘れたかと関羽に訴えるが、恩はすでに返していると答えられ、曹操は、ならばこの剣で我を仕留めろと剣を差し出す。
他ならぬこの男なら殺されてもよいだろうという決意がありました。



その姿の曹操はいつもより小さく見えました。いつもは並みいる武将たちに囲まれて一段高いところに立っていたけど。

関羽は見逃します。それが重大な軍令違反であり、関羽の命にかかわるのを察する曹操は去るのを戸惑うのだけど、関羽は無理やり行かせます。

曹操は陳宮に続き関羽にも命を救ってもらったことになる。

第3部は何より長坂坡の戦いでの趙雲の活躍が好きです。
そして孫軍では周瑜と孔明の中を取り持つ魯粛の人間的な魅力、小喬の芯の強さもいいなと思いました。
曹操の弱った姿も印象に残りました。
そして
赤壁の戦いの時、孔明は戦場から離れた屋敷の中にいました。孔明は天文を見て曹操はこの戦では死なないと予見していて、そしてわざと関羽に曹操軍へとどめを刺すように命令したのです。
そして弟子の馬謖に今後の孫軍との領土獲得の懸念を話す。
孔明と周瑜はあい入れず、この先不穏な予感。

第4部に続く

第1部 群雄割拠

第2部 中原遂鹿

第4部 荊州争奪

つわものどもと夢の中

第5部 英雄帰天(前半)

第5部 英雄帰天(後半その1)

第5部 英雄帰天(後半その2)

第6部 三国鼎立(前半)

第6部 三国鼎立(後半)

第7部 危急存亡(前半)

第7部 危急存亡(後半


2 コメント

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孔明先生登場! (ごみつ)
2017-02-10 22:16:39
こんばんは!

赤壁パート、終わられたんですね!
いつも通り、とっても丁寧な記事なので、楽しく読ませていただきました。

himariさんがピックアップして写真とともに語ってらっしゃるところは、全部、私のお気に入りのシーンでもあります!

「三顧の礼」は、スリキンの中でももっとも繰り返し見てる回で、おそらく10回は見てます。(笑)
趙運の阿斗救出シーンも凄いですよね。劉備が阿斗を放り投げるシーンでは、毎回ついつい爆笑してしまいます。(笑)

小喬の剣舞のシーンも大好き。
あと、華容道で関羽が曹操を見逃すシーンも毎回泣いちゃう。

曹操の短歌行のシーンはyoutubeで何度も見てます!「レッドクリフ」でのチャン・フォンイーの短歌行のシーンも好きだな。

と、まあ「三国志」の見どころパートの多さは凄いものがありますよね。

ただこのスリキン、himariさんもご指摘の通り、関羽と張飛の描き方がちょっと・・なところがあるんですよね。
続く荊州も楽しんで下さいね!
返信する
短歌行! (himari)
2017-02-12 02:08:56
ごみつさん
はい☆無事第3部を見終わりました(^^)/
第3部は「レッドクリフ」ともほぼ重なり、映画を思い出しながら見てました。
長坂坡の戦いはどちらもかっこいいです。
そして短歌行。動画を早速見てみました。
「レッドクリフ」曹操の端正な吟じ方。「Three Kingdoms・・・略してスリキン」曹操の野太い声の歌い方どちらもいい味わいで何度も再生して聞いてみました♪
教えてくださりありがとうございます!
せっかくだからこの記事のスリキン曹操の動画を貼り付けます。
https://www.youtube.com/watch?v=yk3z38GeRk4

三顧の礼は庵の周りの景色も美しく、幻想的でしたね。交流する風流人もどこか現実離れして、乱世で戦争が続いているとは思えない別の世界に入った趣が良かったです。
劉備と山を下りたのが現世へと下ってきた仙人のようだなと思いました。
そんな孔明が劉備軍を生き残らせるために必死で助言したのでしょうけど劉備から民のためという信念を貫こうとするのを見て、孔明がハッとするシーンも印象的でした。森羅万象を修めた彼が劉備から何のために戦うかを改めて学ぶ。めったに人に感服しない孔明が心から感服した劉備の大きさが感じられ、そして若い孔明の成長の軌跡を感じました。
関羽と張飛は確かにぐっと人間的ですね。私も華容道の関羽と曹操のシーンにジンとします。あの自信満々な曹操があんなに弱弱しい姿になるなんて。そんな弱った曹操を、自分を一生懸命喜ばそうと赤兎馬までくれた曹操を、関羽はやはり打ち取れないですよね。以前曹操は関羽はどうせ去るのならせめて義理をうっておくと言ってましたが、それが見事効果が発揮された。と同時にこの見逃しで関羽が感じてた義理も解消させようと孔明は考えたのでしょうね。
あと張飛が「ぼえ~!」と叫ぶと曹操軍の兵士が血を吐いて落馬して絶命するシーンを見て「張飛はジャイアンのご先祖様か」と一人でひっそりと突っ込んでました
第4部これからみます
返信する

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