5月31日、梅雨入り前の真夏のような暑い日に見てきました
バルテュス(本名はバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001年)はポーランド貴族の出身。フランスで生まれ、イタリアやスイスにも住んでました。
写真で見るとかなり美男子、そしてしゃれた雰囲気を持っていて、まるでフランス映画の俳優のよう。
「16歳の自画像」
どこか人を惹きつける魅力を持った人なんではないか、その魅力がまた絵に反映されているのではないか。
フランスや海外はもとより、日本でもとても人気があり、たしか30年ほど前にも日本でバルテュスブームが起きて、テレビでも特集番組があったことをうっすらと覚えてます。
うまく言えないのですが、人物の表情も絵の色合いも抑制されしかも美しい、目を引く華やかさよりも密やかな喜びを絵にしたような、謎めいていて、懐かしさがあって、それでいて決して近づけない不思議な魅力を放つ作品群です。
この展覧会ではまず11歳の時に描いた連作「ミツ」から
1920年作
公園で拾ったネコのミツとともに過ごした日々を絵にしたものです。ミツとはベッドにも一緒に寝てたのに、ある朝起きたらいなくなり、探しても見つからず最後に少年は泣いてしまいます。
そんな文章のない物語絵の中からネズミを捕まえて得意げにに見せたり、絵のモデルになるエピソードの部分。
猫はとくに雄猫は家出する習性があるからね。私も経験あります。帰ってこなかった時の寂しさもすごくわかる。いつもそばにいた存在がいつの間にか行ってしまった悲しみ。
ご両親が離婚して寂しい気持ちを補ってくれた大切な存在だったのでしょう。大好きな猫との思い出を形にして残しておきたかったのだね。
そして、物語の絵を描く子供に締め付けられる程懐かしさを感じます。自分ちのことを言って申し訳ないですが、次男が幼稚園生の頃折り紙を切ってごく小さな絵本にして描いた「ひよこのぼうけん」を描いてはそこいらへんにちらばらしてたので、ひろっていまも大事にしまっております。
バルテュスは正規の美術学校にはいかず、ほぼ独学で絵を描いたそうですが、だからテクニックに走って自分の個性を埋没させずに済んだのかもしれません。もちろん、絵の技量はかなり高いです
。
絵の勉強に初期ルネッサンスの画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵を模写した作品
「十字架の称揚」1926年作
静謐で表情が抑制され、謎めいていて、古式ゆかしい絵で近寄りがたい雰囲気をもつピエロ・デッラ・フランチェスカの世界はバルテュスの世界に通じるものを感じます。
そしてその謎めいた要素が見る側の想像を膨らませ、見る人や気分によっていかようにも感じることができる余地をもつ。
「キャシーの化粧」1933年作
裸の女性はのちに結婚する恋人がモデル、椅子に座った男性はバルテュス自身。やはりバルテュス氏は自分の魅力を意識している気がする。
構図は自身の挿絵連作「嵐が丘」の1シーンから、キャシーを裸にした絵にしてスキャンダラスな要素を加えている。
「猫たちの王」1935年作
猫好きが嵩じて猫の王様を自称。大きなキジ虎の猫があたまを擦り付けて親愛のポーズをしてます。
それからバルテュスが愛情をかけて描き続けた少女たちの絵の世界
「夢見るテレーズ」1938年作
絵が売れず、貧乏時代、アパートの隣の家族も失業者。その家の娘をモデルにしてます。
スカートをはだけた姿にどきりとします。そして美しい横顔と堂々とした存在感で見る私たちを圧倒します。そばに控える猫はミルクをもらってご機嫌な様子です。まるで少女の家来に見える。
「美しい日々」1944~46年作
暖炉のそばで胸をはだけて鏡をみる少女。まっすぐにのばしたむき出しの足は美しく、無防備です。
「部屋」1947~48年作
「決して来ない時」1949年作
この2作品は少女のポーズも構成も似ている。また猫が少女の目撃者のようにさりげなく存在している。
少女のヌードは時に、真正面からも見せます。
会場には若いカップルも何組か見かけましたが、そのうちの何組かは、彼氏が彼女を後ろから抱きしめるかのように手を回し寄り添って一緒に作品を見てました。
時にほかの展覧会でも見かけますが、今回はやはり少女のヌードの絵のエロティシズムに少し感応したのかしらと思いました。
バルテュスは確信的に見る私たちにエロスを感じさせようとしている。だから若いカップルの反応は正解だなと思いました。
「窓、クール・ド・ロアン」1951年作
この作品にはいつもなら窓辺に少女が描かれているのでしょう。まるで残像のように少女の影を感じました。窓辺の机の上にある静物の絵は同時代の静物画家モランディの絵と似てる。
それ以上に心をとらえたのは、この絵について書かれた解説です。
「クール・ド・ロアンの3階にあるアトリエの窓からの眺めとその内部が描かれている。ここには少女も猫も他の人物も描かれておらず、がらんとした室内のみである。ルネッサンスの人文主義者アルベルティ以来、絵画は世界に開かれた「窓」にたとえられてきた。開かれた窓のモティーフは、19世紀のロマン主義者や20世紀の画家マティスによって取り上げられる。バルテュスの《窓》は簡素な表現のなかで、厳格な造形や微細な光の表現を追求している」
まるでこのブログのタイトルを思い起こす文章に感じたのです。私も、ブログに名前を付けるとき狭い世界にいつも生活してともすれば視野まで狭くしてしまう自分の心の窓を開けたかったのです。
自己満足なのもわかっているし、またあとから妙に前向きに気取ったタイトルと思われているのじゃないかと思い改名しようかと悩んでいたこともあったけど、画家が絵を発表するのと同じことなのだからこのタイトルでもいいんだと思えたのです。
バルテュス氏は結婚、離婚、年の離れた少女との恋愛のあと、20歳の日本女性と運命的に出会い恋をし結婚されます。
節子夫人の写真をみると聡明な日本美人という雰囲気で20歳にしては大人っぽい感じがしますが、バルテュスが描いた節子さんの絵は少女のような雰囲気がありました。
「日本の少女の肖像」1963年作
そして少女を描いたように愛する妻も描く
「朱色の机と日本の女」1967~68年作
着物がはだけて紐だけが体についた姿がエロティック。物語がありますね。
風景画も趣があって素敵でした。
「樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)」1960年作
農家と景色の素朴な様子と堅牢な描き方がとてもあっている。
初期ルネッサンスの絵から影響を受けた画家は、今年初めに見たシャバンヌもそうでした。きっとヨーロッパ絵画の原点のような懐かしさを感じるのだと思いました。
そういう絵が実はとてもしゃれて見える。芸術家の家庭に生まれ、著名な芸術家との交流も多かった彼の美術に対する感覚は鋭く人もうならせる。バルテュスにほれ込んだデビッド・ボウイが彼の肖像画を描いたと説明に書いてました。
彼の絵のファンでいること自体がお洒落で粋なことになっていたのでは。
日本とも交流が深く、里見浩太朗や勝新太郎との交流もあったそうです。服装にもセンスのあるバルテュスは日本の着物も粋に着こなしている写真も展示されてました。
彼は独特の魅力を持った人なのではないか、もちろん裸の少女をモデルにしたり10代の義理の姪と恋愛したりと、物議をかもしたりもしたけど。その物議がまた魅力を放つ要素にもなっていたのではと思いました。
最後に楽しい絵だなと思った作品
「地中海の猫」1949年
レストランの壁に飾るために注文されて描いた絵だそうです。虹が魚になってお皿に着地してナイフとフォークを持った猫(バルテュスの化身)がにっこりしてます。そばにはこれまたおいしそうな伊勢海老。色合いがきれい♪
にっこり笑った猫はますむらひろし氏のアタゴオルシリーズを思い出しました。
昔買った画集を持っていたのでパンフレットは買わなかったけど、「窓、クール・ド・ロアン」の絵葉書を買いました。
画家のアトリエも再現されていて見ごたえのある展覧会でした。