ユディト熊ちゃんと一緒に、三菱一号館美術館で開催されている「オルセーのナビ派展」を鑑賞しました。
「ナビ派」のナビはヘブライ語で"預言者"の意味だそうです。新しい救世主の到来を予言した洗礼者ヨハネのように、新しい美術の到来を告げる自分たちであれとの気概を感じます。
フランスで結成された絵画集団で、これまでの目の前の事物を再現する絵画から自分の感じる色で立体感を気にせず色面のように画面を埋める。そこに見えない心の内側を画面に表し、時に神秘的な要素を持つ。
ナビ派の画家のひとりモーリス・ドニがナビ派としての絵画の見解を的確に語ってます
「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを思い起こすべきだ」
「ナビ派」という物々しい名前、そして彼らは秘密結社のように儀式を行ったそうです。でも近づきにくいかというとそうではなくて
彼らの儀式は展覧会の説明によると時に茶番だったそうで、楽しんでいたようです。
新しい表現を模索し、アールヌーボーや浮世絵など当時の流行を取り入れたその作品は思ったよりも親しみやすく心地いい。そして絵の中の人物のささやきとざわめきが聞こえるようです。中には不穏な空気をはらんだ作品もありましたが・・。
フランスのオルセー美術館は印象派の作品で有名ですが、ナビ派作品のコレクションも充実しているそうです。近年ナビ派の評価が高まっている中、オルセー美術館のナビ派コレクションで今回日本で初めてのナビ派の展覧会の開催に至ったそうです。
こちらに載せた図はパンフレットから写真を取ったものもあり、少し歪んでいるのもあります
まず彼らはゴッホと共同生活をしたりタヒチで女性像を描いたポール・ゴーガン(どちらかといえばゴーギャンという名前の方がピンときますが、この展覧会ではゴーガンと記されていました)に強い影響を受けたそうです。
ナビ派の扉を開けたのはポール・セリジェ。ゴーガンに教えを受け作品を制作します。
ポール・セリュジェ《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》1888年
秋の川辺を描いた小さな油絵作品です。風景画を描く際にゴーガンがアドバイスした言葉が記されています。
「これらの木々がどのように見えるかね?これらは黄色だね。では黄色で塗り給え。これらの影はむしろ青い。ここは純粋なウルトラマリンで塗り給え。これらの葉は赤い?ならヴァーミリオンで塗り給え。」
身近な風景を自分の感じる色で埋めていく。
この作品がナビ派の行く先を示していく記念碑的な作品となったそうです
人物の顔も服の模様も部屋の模様も草花も同じ重要さで描いていく
ボナールは「日本かぶれのナビ」と呼ばれ浮世絵からの影響を強く受けたそうです。
ピエール・ボナール《黄昏(クロッケーの試合)》1892年
落ち着いた色調で服の模様と人物と風景すべて同じ存在感で描かれています。様々な緑色の葉の中でクロッケーをする家族たちは画面を構成する色面の一つとなって女性の服のチェックの模様がアクセントになってます。その後ろでは輪になって踊る少女たち。生活と幻想が一つの画面に一緒に描かれてちょっと不思議です。
作品は親しみやすく幸福感があり「アンティミスト(親密派)」と呼ばれます。
やがて日本趣味から脱し鮮やかな色合いで家族を描いてゆく
ピエール・ボナール《猫と女性》1912年
手前のテーブルの上の食べ物がほとんど色を失ってボナール夫人とその周りが鮮やかな色合いで存在感を強めてます。白い猫はよく見ると左右の眼の色が違うオッドアイ。やはり親密なまなざしを感じる作品。
同じくアンティミストのヴュイヤールはオークル系の色合いが美しい。
最初のころはボナールもオークル系の色調だったのでお互い作品がよく似ています。
やはり家族をモデルに描いた作品を多く発表しています。
エドゥアール・ヴュイヤール《エッセル家旧蔵の昼食》1899年
真ん中に画家のお母さん、そして我が子を抱く画家の姉と夫。母親と姉は赤ん坊を見つめています。
人物と後ろの壁紙の色がオークル系なのでまるで顔が壁の模様に溶け込んで見え、テーブルクロスの色合いがアクセントとなりやはり人物も周りの物も同じ存在感で色面を構成しています。
よく見ると描かれたガラス瓶の輪郭や緑の葉に鮮やかな緑色がすっと入って落ち着いた色調の画面に美しいポイントを作ってます。
ヴュイヤールはこのまま変わらずオークル系の落ち着いた色調で描くことが多く、形を大胆に単純化した20世紀の美術の先取りしたような作品もありました
エドゥアール・ヴュイヤール《八角形の自画像》1890年頃
フォービズムを先取りしたといわれる作品。点描の入った背景が単純化した自画像とは逆に複雑な奥行きのある色面を作ってます。
他にもヴュィヤールの美しい作品が何点も鑑賞できました。大好きな画家ですがなかなか作品を直接鑑賞する機会がなかったので嬉しかったです♪。
もう一人大好きな画家がモーリス・ドニ。
「美しきイコンのナビ」と言われた彼は敬虔なクリスチャンでたくさんの宗教画を描いてます。
さらに大変な愛妻家で子だくさんの父親です。
プライベートでスケッチするように描いた子供たちや妻マルトさんの肖像を、2011年に「モーリス・ドニ いのちの輝き、子どものいる風景」展で損保ジャパン日本興亜美術館にて鑑賞したことがありますが、愛情に満ちて感動的でした。
モーリス・ドニ《ミューズたち》1893年 油彩
9人の美しいミューズはもちろん奥様のマルトさんです。ご夫婦とも丸顔で似てるんです。
ドニの作品に出てくる女性は大概マルトで、彼女はまさしく画家に霊感を与えるミューズです。
画面中央奥に、10人目の謎の女性が後ろ姿で描かれています。それがこの作品に奥行きを作り味わい深さを増しています。
ドニはよく影を緑色で塗ることが多く、この作品も影を緑で塗ってます
モーリス・ドニ《窓辺の母子像》1899年
マルトと赤ちゃんの姿を親密なまなざしで描いてます。窓の構図といい聖母子像を意識しているように思えます。何気ない母子のひと時を素早くスケッチした作品。この愛しい様子を残してゆきたいという思いを感じます。
初期のころのオークル系の色調から明るい柔らかいドニらしい色調になっていきます
仕事では宗教画を多く描いてますが、神話を題材とした作品も多く描かれているそうです。
その中で色が美しくロマンチックな絵が印象的だった「プシュケの物語」から
モーリス・ドニ《プシュケの誘拐(第2ヴァージョン)》1909年
キューピッドが恋したプシュケを誘拐し空高く飛翔している。プシュケもそのことを受け入れ抱擁しあってます。
神々しくもあり、恋する少年神と少女の大胆さと純情さが感じられるチャーミングな作品
そのほかに、この人もナビ派だったのかと驚いた作品
アリスティード・マイヨール《女性の横顔》1896年頃
彫刻で有名なマイヨールは若い頃は画家で、視覚に障害ができてから彫刻家へと転向したそうです。
帽子には飾りがあるけど、服はいたってシンプル。それで細身の体と美しい横顔のラインが浮き上がって見えます。点描画法と言っていいのかな?シンプルな画面構成だけど細かな筆のタッチと微妙な色使いが美しい。内省的な雰囲気は彫刻と通じているようにかんじます。
そして不穏な雰囲気の絵画といえばこの人の作品。またこの作品とお会いしました
フェリックス・ヴァロットン《ボール》1899年
3年前にやはり三菱1号館美術館で開催された「ヴァロットン展」で、テレビなどでこの作品の不穏さや不安感をしきりに解説されていて、反発してもっと他に解釈はできないのかと鑑賞したら・・・やはり不安感を抱いてしまった作品。
ちょっとくやしくて3年前の「ヴァロットン展」のレポートにこの作品を載せなかったのです。もう白旗です。
この作品は怖い
女の子は 家から持ってきた茶色いボールを追っかけて保護者から目の届くギリギリまで走ってきて、そこで自分のボールより魅力的な鮮やかな赤いボールを見つけて、保護者の遠くに行ってはダメよという言いつけを忘れて駆け寄っていこうとしてしまう。
その赤いボールはやはり意図的に置かれているのでしょうね・・・そのあとのドラマを想像すると怖くなります
ヴァロットンは一人だけスイス人なので「外国人のナビ」と言われたそうですが、画風もほかのひとと違う。肖像画などはきっちり写実的に描きむしろ古典的。そして世の中を辛辣に見つめた作品を残してます。
それから「彫刻家のナビ」と呼ばれた人の作品
ジョルジュ・ラコンブ《イシス》1895年
迫力のある木彫レリーフ。イシスの髪は樹木となり赤いお乳は大地に花を咲かせてます。
他にも木彫レリーフ作品がありました。綺麗さや親密さよりも原始的なたくましさを感じます。
そしてアールヌーボーの影響も感じます。同時代に起きた美術運動なのでお互いに影響しあい混ざりあっている要素もあるようです。
ポール・ランソン《水浴》1906年頃
ランソンのアトリエはナビ派のメンバーに「神殿」と呼ばれ、儀式も行ったそうです。南国っぽい草木、曲線で装飾的に描いた水面、裸でポーズする裸婦。楽しんで描いている。
全体的にはナビ派は作品から発する心地よさを求めていった絵画のように感じられました。
他にも日本美術から影響を受けた屏風作品や、掛け軸のように縦長の作品がありました。
色合いも美しく、リラックスして楽しんで鑑賞しました♪
5月21日まで開催されます