「教科書から家族が消えてゆく...」と記しましたが、これは本当に異常自体です。平成に入ると、家族について公民教科書も、家庭科の教科書もあまり教えないようになりました。
そして、教育基本法が改正されて家族教育の重要性が改めて認識されたはずの平成23年には、学習指導要領から「家族や地域社会の機能などを扱い」という文言が消え、帝国書院と自由社と育鵬社を除き、公民教科書から家族が消滅しました。しかも、育鵬社は、家族を書いてはいるものの、数々の問題がありました。帝国書院はそういった問題は無いものの、完全な家族論を展開していませんでした(育鵬社も展開していない)。
現在の公民教科書は、令和元年版ですが、この版ではついに帝国書院からも家族が消滅しました。自由社はこれまでの分量を維持しましたが、育鵬社はさらに大幅後退しました(消滅はしていない)。
このとき、同時に、家庭科の教科書からも家族が衰退→消滅に変化する予兆のようなものが現れ始めました。
ここから分かることは、公民教科書が家族の消滅の先陣を切っているということです。このまま、公民教科書を放置し続ければ、ついに教科書から家族が完全に消滅することになります。
教科書は、これまで日本社会の未来を示してきた側面がありますから、今後、日本社会から家族が消滅するという恐ろしい事態になる可能性が高いです。
平成に入る直前あたりに家族が教科書上で弱くなると、平成初期から日本社会では家族が弱くなりました。
公民教科書上では、平成23年の時点で既に家族は消滅していますから、家庭科からも消滅すればいよいよ10年後には日本社会から家族が消滅することを覚悟しなければなりません。
平成23年のときは、東日本大震災などの影響もあり、家族の「助け合い」などの重要性の認知が進んだことから、今のところ、少々政府の方で家族が軽視されてきていることを除けば、その害悪はかなり少なくてすみました。(採択率がまあまあ高い帝国書院が家族論を展開していたことも大きいかも?)
しかし、家庭科の教科書から家族が消滅すれば、いよいよ終わりです。
導入が長くなりましたが、今回は家族の本質と家族が消えそうになっている原因について詳しく解説していきます。
家族の消滅は緊急事態ですから、読者の皆様にもぜひこの事実を拡散していただきますようお願い申し上げます。
●家族とは
家族は、男女の愛と尊敬から始まる集団の中で最も小さな共同体(きょうどうたい)であり、団らんの中で安らぎを得るなど、いこいの場としての性格を有するとともに、子を生み、愛情や道徳を教えながら育てるなど、人間形成の場としての性格を有し、ともに生活することで、信じ合い、助け合いながら家族の絆(きずな)を深め、祖父母から父母、父母から子という縦のつながりをもつ唯一の集団です。
もう少し掘り下げると、人間形成の場であるために、民法が親の養育・教育に関する義務や権利を定め、また、親には子への懲戒権が認められています。これは、子の最善を追求した結果です。家族の絆という点では、民法は、家族がともに協力し、助け合わなければならないことを定めています。
●平成23年に起きた...公民教科書の「家族」消滅事件
このような家族論が、平成23年より前の公民教科書では、少なくとも2ページ以上の分量で展開されていました。
ところが、平成23年に出された東京書籍・日本文教出版・教育出版・清水書院・帝国書院・育鵬社・自由社の全7社の公民教科書のうち、東京書籍と清水書院から家族そのものが姿を消し(社会集団の紹介の中で単語があるだけ)、教育出版からは核家族化などの家族の変化を1ページの分量で記すのみで家族論が姿を消してしまいました。
特に、この3社(東京書籍・清水書院・教育出版)からは、家族の定義自体が消え、「共同体」としないばかりか、「基礎的な社会集団」とさえせず、それどころか「最小の社会集団」「身近な社会集団」とも位置付けていません。
この3社は、家族に固有の価値を全く認めず、利益社会と共同社会を区別することもなく、完全に家族を解体しようとしているといえるでしょう。
日本文教出版についても、いこいの場や人間形成の場など家族論らしきものは一応書いているものの、数行しかなく、また、家族の定義についても「最小の社会集団」とするのみで、「基礎的な社会集団」とさえしないばかりか、親の懲戒権や養育・教育の義務権利なども出てこず、全く家族論になっていません。
保守といわれる育鵬社は、どうでしょうか。分量は2ページ以上あり、十分でしょう。しかし、家族の定義は「基礎的な社会集団」と明言せず、「社会の基礎となる単位」となんとも回りくどい表現を使っています。
2ページ以上の分量はあるはずですが、親の懲戒権や養育・教育の義務権利については全く触れていません。それどころか、家族会議のコラムを設けて、効率と公正という概念を、家族にストレートに持ち込んでいます。
家族の中でも、効率や公正をとることはあるでしょう。しかし、家族は、積極的に効率や公正をとるものではありません。
家族は共同体であり、効率や公正よりも、愛情などの情緒的な部分が重視される傾向にあるのです。別に、家族のとった手段が効率が悪くても、公正の観点から問題があっても、「幸せならOK」なのです。
普通の社会集団(利益社会)では、効率や公正が第一とされますが、共同体(家族)の中では、効率や公正は、その構成員(メンバー)が幸せになるための手段にすぎないのです。
小さな共同体ですから、それで良いのです。むしろ、無理に効率や公正の観点を持ち込もうとすると、明確な存在目的がない家族などの共同体は、崩壊する危険があります。
保守といわれる育鵬社の家族論も、実質的には日本文教出版に毛が生えた程度の家族論に、家族に固有の価値を認めず、家族を解体しようとしているとしかいえない東京書籍・清水書院・教育出版の思想を足し算したような仕上がりなのです(分量的にも、東京書籍・清水書院・日本文教出版の記述を全て合わせて1ページ、教育出版で1ページだから納得)。
残るニ社(帝国書院と自由社)はどうでしょうか。
自由社は、4ページというかなりの分量で、家族を「共同体」と明確に定義し、民法の規定などをもとに親子関係を書き、家族が祖父母から父母、父母から子へとつながる縦のつながりを持つ唯一の集団であると明言しています。
帝国書院も、自由社ほどではないにせよ、2ページという十分な分量で、家族を「最も身近で基礎的な社会集団」と定義し、本質的な家族論を展開しています。しかし、それまで触れていた親権は削除され、親子関係については書かれていません。
この2社は、保守といわれる育鵬社や論外のその他の教科書と比べてかなりまともなものです。自由社は保守を謳っていますから、ある意味当然かも知れません。
ちなみに、自由社の執筆者の一人は、自身のブログにおいて育鵬社の教科書について「保守の教科書とは到底言えない。保守の一番のメルクマールは、共同社会を維持するという点にある。しかし、育鵬社は、他の5社と同じく、共同社会解体の思想を表明した。」と指摘しています。
また、「このような背景を併せて考えれば、育鵬社よりは、帝国を評価すべきではないかとも思われてならないのである。」とまで書いています。
●平成28年の検定で変化はあったか...一部の教科書でわずかに改善されるも、相変わらず家族の定義なし・親子関係なし・縦のつながりなし
平成23年の次の教科書の検定があったのは、平成28年です。平成23年から平成28年までの間に自由社の関係者などの一部の保守の人々は熱心に家族論が消えた問題を扱っていましたが、大半の保守の人はこの問題を知らないか、知っていても無視するという態度をとりました。
それでも、教科書関係者が家族論が消えた問題を扱った効果が大きく、また、自由社のように本格的な家族論を展開した教科書は初めてだったこともあって、一部の教科書でわずかに改善されました。
改善がみられたのは、帝国書院・育鵬社・東京書籍の教科書です。
帝国書院は、平成23年に親権を削除しましたが、平成28年には「民法では家族はたがいに協力しなければならないこと、親は子どもを養ったり教育したりする権利や義務があることを定めています」として親子関係に触れるよう改善されました。
育鵬社は、平成23年のときにあった家族に効率と公正という観点をストレートに持ち込むとんでもない家族解体コラムを削除し、「社会の基礎となる単位」という回りくどい定義から一変して「最も身近な共同体」と定義しました。
しかし、保守を自称しているはずなのに、やはり親子関係については書かれていません。「共同体」としている以外に、帝国書院より保守の要素は何もありません。親子関係では、完全に帝国書院に負けています。保守(笑)です。
東京書籍は、どうでしょうか。平成23年のときは「わたしたちは、家族や学校、地域社会、職場など、いろいろな社会集団の中で生活しています。」とあるだけでした。
さすがにひどすぎたので、平成28年では「少子高齢化――変わる人口構成と家族」という単元で家族の変化を記すとともに(家族論になっていないが)、「社会集団の中で生きる私たち」という単元で「家族は、私たちが最初に出会う最も身近な社会集団です。私たちは家族の中で安らぎを得、支え合い、成長し、社会生活の基本的なルールを身につけます。」と記述しました。
一応、家族を「最も身近な社会集団」と定義「は」しました。しかし、やはり共同体どころか、「基礎的な社会集団」とさえしません。
東京書籍の教科書では、家族論は「全くない」から「ないに等しい」に変化しました。
このままの流れで令和元年には家族が戻ってくると良いですね(フラグ)。
●令和元年の検定でどうなったか...帝国書院から家族が消える、ほかは相変わらず家族の定義なし・親子関係なし・縦のつながりなし
はい、タイトルにある通り、なんと、令和元年の検定では、家族が消える流れの中、2回も耐えて保守(笑)の育鵬社よりも優れた家族論を展開していた帝国書院の教科書から家族論が消えました。
ただ、それでも他社よりは(家族が消える流れと)戦う姿勢を見せたようで「私たちにとって家族とは、最も基礎的な社会集団です。」と家族を定義しています。
他社が民法の規定に全く触れずに「日本国憲法は家族の原則として個人の尊厳を定めています」と書くという謎なことをしているのに対し、帝国書院は、こういったことには分量を割かず、適切な流れだけは維持しました。
ただ、そのせいで、変なところで切れてしまっていますが。
育鵬社は、どうでしょうか。保守(笑)から保守になれたでしょうか。やっぱり、ダメだったようで、むしろせっかく「最も身近な共同体」としていたものを「基礎的な社会集団」に劣化させました。
結局、現在もまともな家族論を展開しているのは自由社だけです。いやー本当に笑えない状況です。自由社の採択率は、教科書の中でぶっちぎりで低く、実質的には公民教科書に家族は存在しないと言っても過言ではありません。
家族の復活のために、読者の皆様の力を結集させることが必要です。
ぜひとも、この記事の拡散及び↓に貼ってあるリンクなどから教科書への抗議にご協力していただきますようよろしくお願い申し上げます。
【東京書籍】 お問い合わせ 内容についてのご質問・ご意見箱:個人情報の取扱いについて
※家族論を全く展開せず、家族を定義せず、「基礎的な社会集団」とさえ位置付けない出版社たち。当然、親子関係や縦のつながりなんてある訳無い。なお、東京書籍と教育出版へのお問い合わせには、利用規約などへの同意が必要です。
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※平成23年と平成28年では、他社とは一線を画し、家族論を1単元2ページでしっかり紹介する素晴らしい出版社でした。縦のつながりこそないものの、親子関係については簡単に親の養育・教育の義務や権利に触れており、育鵬社よりも優れた家族論を展開していました。当然、家族を「基礎的な社会集団」と定義していました。しかし、令和元年では、この素晴らしい家族論が亡き者にされました。それでも、家族を「最も基礎的な社会集団」と定義しています。内容解説資料では家族の役割を重視する文言が見られるので、多分一番抗議の効果がある出版社だと思われます。
※平成23年では、家族に効率と公正の観点をストレートに持ち込んだ挙げ句、「社会の基礎となる単位」という回りくどい定義、平成28年で効率と公正の観点は削除され、「最も身近な共同体」と定義されたものの、当時の帝国書院未満の保守(笑)でした。しかし、令和元年になると、帝国書院の素晴らしい家族論が亡き者にされ、育鵬社も、平成28年でせっかく「最も身近な共同体」としたものを「基礎的な社会集団」に劣化させるなど、笑えない状況となりました。
※自由社の教科書の執筆者が運営する団体ですが、営利団体ではありません。自由社は、個人的には正直言うことはありませんが、強いて言うなら、2単元4ページを4単元8ページぐらいにして、家族の起源から解説してほしいですね。家族の消滅に警鐘を鳴らしたところでもあるので、家族論の復活に向けた運動をもっと強化したほしいとかが良いかも。
なお、清水書院は令和元年に中学校の教科書事業から撤退。