食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、台北市内観光』

2014年03月11日 17時06分03秒 | 旅行

 故宮博物館に展示されている美術品、古文書などは日本軍が中国侵略の際、日本軍から守るために一時疎開させ

たものを、戦後に国共内戦が勃発した際、蒋介石が厳選した所蔵品を台湾に運んだ。その結果、元からの所蔵品は

北京と台北の博物館で展示されることになった。有名なものとして天然の翡翠に彫刻を加えた翠玉白菜、肉形石を

目玉のように紹介されるが、私には特に印象深いものとは思わなかった。もし、これが有名なものだと説明を受けてい

なかったら素通りしたかもしれない否、間違いなくそうだったろう。

 それよりも糸のような何層にもなった象牙細工や拡大鏡で見なければ作品を確認できないなど、職人の手による芸術

作品には唸らされた。

 私たちのようなツアー客に与えられた鑑賞時間は2時間ほど、主だった作品をつまみ食いのように鑑賞するのだか

ら、博物館の展示を楽しみにしていた人には物足りないものだったに違いない。大半のツアーに共通していると思うが

時間の制約があるから、こうした場所での滞在は少なく、じっくり鑑賞したければ自由行動のとれるツアーに参加して、

自分でゆっくりと鑑賞するしかない。

 私たちのような興味の薄い人間でも博物館のお土産を物色する間もなく、集合時間になってしまった。

 私たちは滞在中、行こうと思えば幾らでも行く時間はあったが、改めて鑑賞する気持ちはなかったし、地下鉄士林駅

からタクシー又はバスに乗って移動とあり、何となく後押しさせなかった。士林は夜市が有名で私たちも地下鉄で出か

けた場所だから、様子は分かっていた。

もう一つの定番は蒋介石記念館、現地の人たちは尊敬のする師でもあり父でもある蒋介石を偲ぶ場所になっている。

私のような年代の人は名前はもとより台湾の歴史の中でどのような役割を果たした人かよく知っているから、記念館を

訪れる意義を感じるが、若い人たちにはただの歴史館のようなものに映るに違いない。

綺麗に整備された敷地内でゆっくりと散策しながら時を過ごすもよし、記念館の中にある売店で土産を調達するもよし。


『3回目の3.11』

2014年03月11日 17時03分59秒 | 日記

同じ国の中で暮らしているのに私たちのように震災前と余り変わらない生活をしている者、3.11で人的な被害を受

けた人、物理的な被害を受けた人の中には原発事故で地震・津波以上に大きな被害に遭われた人が共に3回目の忌

まわしい日を迎えた。震災当初は被害のなかった人も誰もが被災地に思いを寄せ、心を一つにして正にオール・ジ

ャパンだった。被災地は時が経っても忘れ去ることはおろか、遅々として進まない復興に苛立ち住み慣れた地を離

れる人が増えている。どんな苦難、困難でも目的や、ある程度の将来像なりが見えれば、我慢・辛抱・努力を繰り

返していく力や意欲を失うことはない。

しかし東北で受けた被害は阪神大震災が点ならば面の被害を受け、しかも復興計画には土地改良や未曾有の防波堤

構想など、とてつもないものも組み入れられているから、規模の困難さに加え利害関係が織り交ざり、復興という

ゴールを更に遠くにしている。

こうした大規模の防災施設を含む復興後に避難していた人たちが戻ってくるか、という問題も深刻だ。年配の人に

は生まれ育った土地だから一刻も早く戻りたいとするが、若い人たちからみてその場所に将来性が見えず避難先に

定住してしまったら、復興にどんな意味があるのか。

かと言って、どうする、こうすると小田原評定ばかりだと、遅れ気味の復興を更に遅くしてしまう。今は確たる方

向を決める胸突き八丁の時期ではなかろうか。一方、放射線で汚染された地域の今後の動向が気がかりだ。政府や

原子力規制委員会などの説明は全く信用できないものばかり、と私は思っている。

除染土壌の保管にしても大熊町などには『最終処分場にはしない』と出来もしない条件を提示し、言いくるめよう

としている。そんなに自信があるなら、大熊町より先に問題になっている六ヶ所村施設で処理されたものの最終処

理場所を決めるべきだ。それが出来ないのに大熊町ではできると言うのか。

信頼のない説明で将来像を描かれても何かあったら『想定外』という印籠を出されてチャンチャンの映像が浮かぶ

から希望が見えないのだ。

除染なんて住居周辺だけですぐ傍にある山林、森林は対象外だから汚染エリアの方が広く、見かけだけのもの。私

も双葉町の入口まで行って見てきた。行き先が決まっていない除染物質は黒い袋に詰めて自分の敷地近くに野ざら

しにしてあるだけだ。

3.11の残した爪痕は今も大きく残り、未だ解決しそうにもない。被害のなかった人は『あの時、被災地に向けた心』

を忘れてはならない。東京オリンピックで世界から来る人を『おもてなし』する前に、被災された方々が元の生活

を取り戻す、これが日本の最優先課題だと思う。


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