食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『優勝のない大関』

2014年08月01日 12時18分50秒 | 日記

大相撲は法定上、日本の国技ではないが一般論としては国技扱いが主流だ。何処かの偉い人が『日本の国技は相撲』

と何かに書いたのが広まり、そういう解釈が定着したらしい。他の説では『日本の国技は武道』と言い切るご仁も

いる。国技ならば国民は広く親しみもっと一般化されていてもいいのだが、昨今は子供たちですら戸外で相撲をと

る姿など見かけることはない。たまにTVで子供相撲のニュースが流れるのを観ると、怪しげな『まわし』をつけ

て、足元がおぼつかない試合の様子。私たちが子供の頃は砂場で土俵の円を描いて、取っ組み合いの相撲に興じた。

夕方の大相撲の時間になるとラジオの前で成り行きをハラハラしながら聞いていたし、めんこには当時の横綱、大

関などが描かれ人気ぶりを現していた。

若貴時代をピークに大相撲は衰退の一途を辿り、その頃からモンゴル勢が力を発揮し上位陣を占め始めるのと同じ

くして、日本人の弟子入りが激減。力士の不祥事、協会の不手際が続き一時はファンからも見放されるのではない

かと心配された。幕下、幕内の番付はかつて、日本人が当たり前だったものが、今はモンゴル人が当たり前となっ

ている。横綱に至っては何年もモンゴル力士の指定席になっている。相撲協会はファン離れに何とかしようと日本

人の横綱づくりに躍起になっているが、如何せん実力次第の世界、実力がないと笛吹けど踊らずと同じ。

そのいい例が『日本人大関づくり』。大関直前に32勝だとか何とか云い、時には都合のいい理由で大関にする。

一時的には人気は回復するかもしれないが何場所も続けて結果の出ない大関では、その威厳は失墜に失墜の繰り返

しではないか。今場所はまた新しい大関が誕生した。

稀勢の里、琴奨菊ともに優勝をしないで大関になった。今度もそうだ。

地位が人を造る場合もあるが、これまでのところ結果は出ていない。素人考えながら、大関は1度でも優勝経験を

必要とすべきだと思う。大関の実力は横綱以上と言われてきたが今は全く感じられない。

大相撲が日本人だけでという思いはないが、もう少し応援のし甲斐のある力士出現を望んでいる。


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