世は消費時代に突入して故障しても高価な一部の物しか修理に出すなどという事はない。昔は月給が少なかったか
ら持ち物も比例していた。高価なものは今で言うローンなんて洒落たものではなく月賦という現金分割払いで1万
円のものでも10ヵ月に分割、月1,000円を店に支払いに行ったものだ。
そういう時代だから買った物が故障したりすると出来る限り自分で修理しようと努力した。私はコンピュータのハ
ードの仕事だから弱電関係のことは得意とまでいかなくても、大抵のことは何とかしようと向かうことは出来た。
故障個所を探し出せたら部品を探し出し交換する。当時は下手の人でも半田付けが出来れば交換することはできた。
今は部品は小型化し半導体が使われているから熱、静電気、半田こての漏電等々の問題があり、素人が簡単に交換
することは出来なくなってきた。
そんな複雑な部品でなくても例えばイヤフォンのピンジャックの付け根の処はよく判断線して音楽を聴くのに不都
合を生じる。買ってそんなに使っていないのに、と愚痴を言いたくなることもある。こうしたものでも1,000円く
らいはする。昔なら当然の事、自分で簡単に修理することができた。しかし、現代は消費時代だからか、人間が不
器用になったのか、そういう知識がないのか理由は別として、修理という概念はなく新しいものの購入となる。
今、この近辺で電子部品を買う店が残っているのか知らないが、私はネットで購入する。部品単価より送料が高い
なんて事にならないよう、日ごろから必要なものをまとめておいて注文する。
イヤフォンの場合、ピンジャックは100円以下で買うことが出来る。線は右左用の細い線が2本、其々の線は中で
+極と-極があり、其々は細いガラス繊維のようなもので保護されているから、それをライターで焼いて綺麗にして
から半田付けをする。少しばかり面倒ではあるが難しい事ではない。
これはほんの一例だが、物事の本質を知らないで使う事ばかりに気を取られがちの時代、創造力低下につながりや
がては物作り日本の土台を揺るがすことになりはしないかと爺は憂いている。