『かつて畑は嫌いだった』
今借りている畑は、3軒共同で20年以上前に借り始めた。借り始めた当時か
ら畑に誘われると、行くのが嫌だからできる限り、理由をつけてはサボってい
た。だから畑なんか借りなければ・・・と悔いたことも。
50歳退職と共に大変身をとげ、それは熱心に丹念に畑仕事に精を出した。
土が固く耕してもすぐに固くなる、つまり粒子の間に空気が入り込めないか
ら、固まると粒子がしっかり組み合い堅くなるのだ。
粒子間に有機物が入り込むことで土を柔らかくすることができる。いいこと
は何でもやった。落葉樹や藁を堆肥に入れるといいので、落葉を軽トラッ
クに何杯も拾ってきた。藁は当時は貴重品で手に入り難かったので、古畳
を貰っては分解して中の藁を使った。畳には大量の藁が圧縮されており、
これは有効だった。しかし、今風のスタイロ畳は軽量になっているが、中に
は発泡スチロールが代用されており藁は殆どない。
牛糞もトラック1台単位で購入し、土づくりの結果、今ではミミズも生息する
柔らかい土になり、草取りも簡単にできるようになった。何でもそうだろうが、
好きこそ物の上手なれか・・・・
今日もいい天気の下で畑仕事を楽しんできた。
『シンガポールママの旅立ち』
Eさんたちがシンガポールに帰国する前日、私たちは家に戻った。翌日、
彼女たちが帰国し自宅に帰ったら、直ぐに様子を知らせて欲しいとのメー
ルを送っておいた。3/29のこと。
帰国し暫く経っても返事が来ないから、疲れや病状から入院されたのに
違いないと、また暫く返事を待つことにした。
そして、電話でもかけて聞いてみるかと電話をかけかけたが、躊躇、また
かけようを繰り返した。
一昨日、再度メールを送ってみた。これがダメなら今度こそ電話で確認
してみようと思っていた。
本当は、電話で悪い知らせを聞くのが怖かったことも、電話を躊躇させた。
こんなに日が経っても音沙汰なしということは、最悪のケースも考えなけれ
ばならないか・・・・・・そんなことが頭をよぎった。そして、4/15の夜に悲し
い知らせが入っていた。無事に帰国し、そのまま疲労回復・治療の継続
のため再入院。私たちが会った時も食は柔らかいものをほんの少しだけ
しか食べられなかったから、体力は下がる一方、癌は進行の度合が進む。
巡礼を終えるまでは何があっても倒れることはできないと気力だけで保た
れていた体力は、終えたという達成感、満足感はその気力を失わせても
不思議ではない。
4/9 朝に富士宮でお世話になった僧正Nさんの読経に見送られて、
安らかに旅立たれたそうだ。その後の詳しくは分からないが、4/14に葬
儀を終えたこと、富士宮で母のために祈ってくれたことの感謝を綴った
メールが届いた。 多分、彼女も私たち同様に最悪のシナリオは予測し
ていたはずだが、いくら心構えがあろうと、いざ現実となれば割り切った
ように動けるものではない。彼女が一人ぼっちで寂しがる、辛い日々が
暫くは続くだろう。だれもが、避けては通れ ない道の一つだ。シンガポ
ールママの新しい名前 満願院開桜維妙信女 のご冥福をお祈りします。
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