食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

主治医のリクエスト

2012年01月16日 17時57分53秒 | 癌のこと

松江市は今日も雨交じりの天気、山小屋にこもりチョコチョコとHPつくりを再開。

山は薪ストーブで常夏のようだが電気がなく自家発、PCのバッテリーが下がる

とブルルルとやる。小規模の(数100W)自然エネルギー発電があればいいと思

う。

 『奥さんは?』

最初に病院行きを決心した時、妻には「癌の疑いが強く多分、間違いないと思

うから、そのつもりで、自分としても闘って勝つつもりでいるから心配しないで」と

言った。病院に付き添って行こうかと聞いたので、「自分の診断結果に間違い

ないと聞きにいくようなものだから一人で大丈夫」と断った。

何を言われても、狼狽することはないほど冷静だったから。色々な検査を経て、

結果を得てからは、主治医が病状、治療方針の説明するのだが、いつも私は

一人で行っていた。

説明の佳境に入るころ「いつもお一人ですが、奥さんは?」と尋ねられたので

「いますが、説明は私がしますから」と言うと、先生は少しイラついたような声で

「そう言う問題じゃなくて、きちんと聞いておいて貰う必要がある」と、結局は叱

られたんだ。

そう言えば、待合室で待っている人が呼ばれると2人で診察室に入るのをよ

く見る。子供なら分かるけど、大人がねーーーと冷めた目で見ていたが。

多分、他の人は心配でしょうがなく付き添いが要る、私はこれから起こることに

対して余りにも鈍感だったから付き添いは要らなかったのだ。

つまり、病状から生存率のこと、手術をすることのリスク、いずれも人の生死に

関わることだから、そうした重要なことを口伝えのように「私が説明します」なん

て軽々だったのかもしれない。が、何はどうあれ、そうした重要なことも理解し

た風で、癌と闘って勝つ心算でいるから、これはこれで有りだと思うけど。

夫婦二人して、5年生存率や日々に起こる変化にビリビリしながら治療しても

治らないのではないかと思うから・・・・・天然ボケも 万歳かな


HP作りに翻弄され・・

2012年01月15日 23時50分23秒 | 癌のこと

暫くはHP builerの呪縛から解き放たれそうにない。ちょっとしたことで、つまづ

き作るページは半端で使えそうにないものが山ほど増え溜まる一方。そうこうす

る内に突然のフリーズで作ったものが救済できなくなる。HP builderを再イン

ストールしてもダメ、裏ワザでAPPを工場出荷状態にすると直るとの情報で、

やっと再スタート。明日から、又また睨めっこ。

 

『そう言えば・・・こんな兆候が食道がんに関係する ??』 

(この記述内容は時系列でなく思いついたもの)

私にもよく分からないが、がんと診断される1年くらい前から(はっきりしない)頻

繁にゲップが出るようになり、ゲーゲーやっていた。その夏は暑く感じていたの

で、食欲もなく(それでも昼はラーメンやうどん一杯は食べられた)、おなかが

減ったから食べるというより仕方なしに食べる感じだ。

夏バテしたんだーと妻と話をしていた。また、ゲップも多いことも。

何も知識がないから『ゲップが多いと病院に行く人はいるのかな?』なんて軽口

をたたいていた。先生の見立てでは私のがんは大体5年生くらいだろうと言っ

てたから、それが悪化してしてきてゲップにつながっていたとも考えられる。

ネットの情報でチラッとゲップについて書かれていたので私の場合は因果関

係ありだった思われる。

しかし、食道がんは大きくなりつつあったのに、喉に詰まる感じがするとか違

和感などの自覚症状は微塵も感じなかった。

たかがゲップ、されどゲップ。

 

 


術後のトイレ事情

2012年01月14日 21時22分00秒 | 癌のこと

今日も1日、HPのことで右往左往しながらやっと最終形が固まった。内容は、

許容容量20MBとの相談になるので、まだまだ終わりが見えていない。暫くは、

PCと睨めっこ。幸いにも天気は悪くて外仕事ができないのでHPを頑張ろう。 

『術後のトイレ事情』

術前、術後の説明でもトイレについてはなかったと思う。また、ネットでみても

明確にな情報は殆どなかった(私がさがせなかったのかも・・・)、事がことだけ

に余り大っぴらにされないのかも。

元々、トイレは朝形で毎日1回、快便の方で便秘はなしだった。術後は以前

のように定期的ではなくなり2~3日に1回、軟便、時には水便のようになる。

こうしたことが1年近く続いた。

胃の一部を摘出しているので消化能力は残されていないので、消化を助け

るためにと胃薬を飲んでみたが変化はなかった。そういう状態でも体調に狂

いがあった訳ではないが、困ったことは遠くに出かける時は、前もってトイレ

コントロールをしておかないと、急にもよおすことがある。そうしたことに段々

と慣れるもので、1年半ほど後にはタイに旅行に行っても大丈夫なほどにな

った。ただ、今でも注意をするようにしている。

私だけかと思っていたら、同じ食道がんで手術した人と話したら、私の症状

と同じようなことが起こっており胃薬を飲んでいるとのことだった。こうした手

術をすると当たり前のように起こることなのかもしれないが、先生に聞いてい

ないので本当のことは分からない。

近所の大腸がんで手術した人の話では、日常的に下痢状態でトイレは薬

でコントロールしており、ゴルフに出かけるような時は、薬で調整しないと突

然に下痢が襲ってくることになるとか。

腸を20センチくらい摘出しただけなのにと思うが大きな影響があることに改

めて驚かされた。

腸を切って腸とつなぐのだから、一寸だけの不便しかないと思うのだけど。


腫瘍マーカーについて

2012年01月13日 18時28分35秒 | 癌のこと

『腫瘍マーカー』

退院後1年間は毎月、血液採取で各種検査が行われていた。1年後から3か

月に1回の頻度になった。この中では当然のことながら、癌の転移、再発の兆

候がないかを診る腫瘍マーカー試験なるものがある。癌の種類によってマーカ

ーの種類も異なる。

私の場合は3種類のマーカーが調べられ、食道の対象はSCCというもので

1.5ng以下が基準になっている。術後1年と2か月目の検査の時、1.7という微妙

な数値になり、以後1.7-->1.6-->1.3--->1.3と変化していった。最初の上昇時

『これから段々と上がるようなことがあれば、何か手を考えましょう。誤差の範

だと思う。』との説明を受けた。

このテストは癌細胞が生成する特殊な物質の量を調べるものだが、通常生活

中で数値を変化させる要因もあり、一喜一憂するものではないらしい。

かと言って癌で最も怖いのは再発だ。再発すると、手術以外の治療方法しかな

い。気にしないように心掛け、自分にはNK細胞がついていると言い聞かせ、不

安を払しょくするようにした。幸いにも、徐々に下がり続け基準値以下に戻っ

た。先生の言では『何もしていないのに下がったので癌以外の要因で変動した

の』とのこと。今回、このようになったが今後も同様のことがあるかもしれない。

分自身の心の対処法を持ち合わせてはいないが、やはりNK細胞の活性化

図られるようクヨクヨしないで生きる楽しみを持ち続けることかな。

 


またまた、雪まじりの曇天

2012年01月11日 22時56分13秒 | 日記

外での仕事はできないので、ストーブで部屋を暖めながら山小屋で過ごした。

先日から悪戦苦闘していたHPのuploadが解決し、本格的にHPニューアルを

する気になった。以前は、スイスイとFTPできていたのに、久しぶりに思い出し

ながらやったら、uploadは正常終了するのにあのhttp404 HPが見つからない

になる。プロバイダーで調べてもらったら、なんてことない。

public htmlと入力間違いで、public_htmlのアンダーバーをスペースにしてい

たからだった。プロバイダーには低姿勢で依頼してたから、よかった、よかっ

た。ということで、HPつくりを、これまた思い出しながら、マニュアルを見ながら

・・・急ぐこともないのけど、それなりに頑張ろう。

 

『本当の被曝許容値は?』

福島の原発事故から急に、何msvだのμSVだと聞きなれない単位が踊ってい

る。事故は昨年3月だった。私の手術は2年ちょっと前、術後から1年間は3か

月に1回のペースでCT検査を受けて、2年目からは6か月に一度になった。

原発事故まではCTを受けると被曝量がどれくらいなどと聞くことも、知ろうとし

たこともなかったがマスコミが騒ぐおかげで6~7mSVくらいということを知った。

年間の合計は24mSVから27mSVになる。大体、どれくらい被曝したらどうい

うことになりそう、すらも本当のところは誰にもわかっていない。それをまことし

やかに、変な数値を分かったような風に発表するな。がん患者が予防のため

と言え、国の基準(朝礼暮改の立派なもの)を越える被曝をしていいのだろう

か、健常者よりも注意が必要では? こんな風に思うのが普通だろう。

よく分からないことで右往左往するのは嫌だから、気にしないようしている。

 


木こりの一日

2012年01月10日 22時53分35秒 | 日記

本日は晴天、てなことで先日、倒した楢の木を1m長に裁断し、シイタケ栽培

の原木作り。我が家の山ではないが、日当たりの関係で山をきれいにさせて

貰っている。地主さんへは、原木を戻してあげ、枝などはストーブの薪にした

り、炭焼きの薪にしたりするので捨てるところはない。今の時期は葉がないの

で始末が楽だ。

元々、こんなことには全く縁がなかったのに、人は変わるもんですなー。

 

『がん治療の費用は?』

色々なHPや記事を読んでも案外、治療費のことは書かれていないので、私

もどうなるのか見当もつかなかった。何も隠すことではないのに何故か、そう

した情報には巡り会えなかった。

私の場合、概算で抗がん剤治療が約20万円、手術治療が30万円、抗がん

剤治療は2回受けているので、合計で70万円の自己負担だった。

私の感覚では、もっと負担が多いのではないかと思っていた。手術治療は

入院費・個室料金(4500円/日)を含んでいるし。治療前の検査は、胃カメ

ラ、CT検査、エコー、呼吸器系、咽喉検査、心臓カテーテル、大腸腸検

査などなど隅々まであったが、全部合わせても10万円以下だった。

病気が病気だけにお金の心配より、治癒させることしか頭になかったが、こ

うして冷静に向き合ってみると、皆保険というのは有難いものだと思う。

多くの人はがん保険や医療保険などに加入しているだろうから、保険の効

かない特殊な治療でなければ、その給付金で十分賄えるはずだ。

がん保険については別途記載。


海外の友人

2012年01月09日 22時02分48秒 | 癌のこと

八雲町で3年に1回、開催される八雲国際演劇祭は海外から参加する劇団員

や役員はホームステーする。旧市内へも何人かは泊まられるが、大半は町内

だ。私の家も今までに2回、引き受けシンガポール、スロバキアの人たちを大よ

そ1週間、面倒をみた。基本的には劇場と家の間の送迎だけでいいことにな

っているが、都合のつく人は色々と趣向を凝らしてもてなす。

言葉は簡単な英語で充分、政治討論をする訳ではないから困ることはない。

そうしたことで、友人ができる。今はメールなる便利なものがあり、リアルタイム

にやり取りでき本当に重宝する。正月には年賀状ならぬ、年賀メールがくるし、

何かいいことがあれば連絡してくれる。そうした縁でシンガポールに行った時

は歓待され、友人も手伝ってくれ色々な所を案内してくれたり、日本に来た時

は時間を作り家に泊まってくれたりと、いい付き合いができる。

いずれ、スロバキアにも行ってみたいが、ツアーとしてはポピュラーではなく、

二の足を踏んでいる。今年は3月にトルコへの旅行を計画しているので、まだ

まだ行けそうにない。トルコとスロバキアは目と鼻の先・・・この旅行のことは知

らせていないが、分かったら何故スロバキアに来ないと叱られるだろうなー。

 

『2度目の化学治療』

食道がん、胃がんともにリンパ節、他臓器への転移は認められないと説明を

けていた。先生から『念には念を入れて、万が一取り切れていない癌細胞、

確認されない小さい癌細胞に対する抗癌治療を受けませんか?』と打診を受

けた。普通はこれらによる副作用がひどく、余計に病気が悪化しそうな気分

になるから敬遠される。多少でも副作用があれば誰でも受けたくはない。

私は非常にラッキーなことに、副作用は全くない。食事も通常通りに食べ、

行動も通常時と何ら変わりない。以前に書いたが、離尿剤による頻尿だけが

敵。都合、2週間の治療で髪の毛が多少抜けたくらい(見た目にはわからな

いほど)。

これが、放射線治療だったら、こんな簡単なことでは済まなかったと思う。

 

 


久々の晴れ

2012年01月08日 22時18分16秒 | 癌のこと

朝から晴天に恵まれたが、夜露の影響で山仕事は午後からにして、近くを散

歩してみたが、未だ季節の変わり目になりそうなものも見当たらなかった。しか

し、山の中に行けば、もう猪が地下で成長しかけている筍を食べている頃だ。

土の中にある筍がよく見つけられるものだと、いつも感心させられる。色も未だ

白っぽく、軟らかそうで本当に美味しそう(猪の食べ残しを見た。とほほほ・・)。

午後から、昨日、倒木した楢の枝打ちをし、シイタケの原木つくりに精を出した。

 

 

『後遺症のこと』

声のかすれ

退院してから、段々と声がかすれるようになっていった。最初は多少のことと

気にしていなかったがその内、話すのもおっくうになっていった。手術で声帯

周辺の神経を触れたりするので、この症状は最もポピュラーなものらしい。1か

月くらい経ったある日、突然に回復、本当にびっくりした。良くなることだから、

こんなビックリは嬉しいかぎりだ。

両肩が上がらない

入院する前から肩が凝るようなことは全くなかったのに、両肩とも痛くて上がら

ないし、懸垂のようにぶら下がることもできない。

大分、我慢したが一向に治らないので整形外科で診てもらったが、これといっ

た異常が見つからず、先生の説明も歯切れが悪い。『どうも、骨と骨の間の緩

衝部分が多少、少ないよう・・』湿布を貰って張ったりしてたら、徐々によくなり、

いつの間にか治っていた。あれだけ、痛かったのに不思議。そして今も全く痛

くない。

乳が痛い

退院半年くらいしてから、両方の乳にしこりができ、摘まむと痛い。成長期にホ

ルモンの関係でそうなったものだが、まさか、また青春では・・・・

先生に相談したら『最近、男性の乳がんもありますから』と、マンモグラフィーの

検査を勧められ、女性の聖域にお邪魔する。流石に待合室では恥ずかしかっ

た。60半ばの爺さんがマンモ検査なんて・・・

乳なんかないのに、あの板で挟もうとする。元々、痛いから来ているのに、医者

は必死で挟もうとする、挟んだら動くなという、こっちとらは痛くて痛くて・・・

このバトルは思い返せば思い返すほど、馬鹿みたいだ。結果は、白。何かホル

モンバランスが崩れたのでは。

これも、段々と痛みがとれ、しこりもなくなっていった。

薬指が腫れる

第二関節付近が腫れて、曲りが悪くなった。整形外科で診てもらうが原因不

明。MRIで腫瘍などがないかも検査したが原因は不明のまま。

暫くしたら痛みもなくり腫れもひいてきたが、寒くなったら曲りが悪くなり、特に朝

起きた直後が一番悪い。風呂に入ったりすると曲りもよくなる。当分、こんなお

き合いが必要かも。

逆流

食道摘出のモデル症状。色々な形で紹介されている。

私の場合、横向きでも枕を高くすれば症状はでないが、間違って頭が低くなった

りすると胃液が喉に張り付く感じになり、ヒリヒリする。味は苦い。

ウガイをしても、水を飲んでもヒリヒリは治らず20分もすれば回復する。

 


我が家のとんどさん

2012年01月07日 20時02分12秒 | 日記

今日は、しめ縄を下して『とんどさん』 以前は団地内で行事として行っていた

が、参加する人が減り、2年前からなくなった。しめ縄は神聖なものなのに、今

ではそういう観念はなくなり、平気でゴミとして捨てられている。今日も雨降りだ

ったので我が家のとんどさんは、山のストーブで焼き灰を囲炉裏に使うことに

した。

 

『後遺症その1. 右の肋骨が痛い』

10月末、退院してから右の肋骨付近がズキズキするようになり、その付近をよ

ーく見てみると、何と何と、薄っすらと大きな傷跡があるではないか。そこでやっ

と、開胸手術云々の意味が分かる。あれだけ夫婦二人で説明を受けた筈なの

に、頓珍漢のお二人さん。

開胸手術は肋骨の間に車のジャッキのような機械を入れて開くことにより、食道

周辺のスペースを確保して行うものだ。肺が呼吸すると膨らんだりし邪魔になる

ので、右肺も止めるそうだ。

肋骨は折れてもそのままにするので、今回の手術でひびが入ったとしても、こ

といった治療はされなかっただろう。医者に聞いてみると、兎に角、時間が

経つのを待つしかないとのこと。傷口は大きく15センチくらはある。

傷口がきれいでしかも細いのでよく見ないと分からなかっのだ。

寒くなるに従って痛みが増すようになり、近くの温泉に朝から出かけるようにな

た。まるで小原庄助さん。でも、これは外科的な痛みで日にち薬の類だから

できないことはない。これを皮切りに

  ・声がかすれて出にくくなる

  ・乳が腫れて触ると痛い

  ・両肩が上がらなくなる

  ・指の関節が腫れる などの症状が表れた。術前にはこれっぽっちの兆候

すらなかったから、きっと後遺症または、後遺症もどきではないかと思う。


野兎、テンの散歩

2012年01月06日 22時56分05秒 | 癌のこと

      

野兎の足跡       テンの足跡(イタチのようだが金色できれいな肉食系)

昨晩は何が良かったのか分からないが、草食系と肉食系が゛鉢合わせしたよ

うだ。

 

今日は、久しぶりの晴天だったが午前中は、木々から滴がポタポタと落ちて

いたので、ホームページつくりに専念していた。前回updateしてから相当時間

がたっているので、操作になれないこと、素材探しに難航していることで四苦八

苦、イライラ・・・・・

何とか形は作ってみたものの、今一の出来にため息交じりで 『まぁ、いいか』と

手を打ち、帰宅してから、FTP転送。ここから再び、くらーい道に突入する。サ

バーは更新されているのに、アクセスすると更新前のHPが出てくる、ならば

と削除後にup。今度はあの悲しいHTTP 404未検出が出てきて、色々と手を尽

くしたが・・・・・今日は諦め・・・・・・

 

『術後の説明』 

食道と胃の入口部分は一緒に摘出されており、説明はその写真を見ながら

受けた。最初の計画では、大腸の一部を食道の代用に使い、胃がん部分を

摘出した箇所とつなぐものだった。

しかし、大腸の血流が余りよくないということで大腸の流用は諦め、残存の食

道と胃を直接つなぐ方法に変更された。胃がんで胃も1/3くらい摘出するので、

食道につなぐのが難しいことから考えられたことだったが、結果的には上手く

いった。

今までの検査ではリンパ節への転移はなく、しかも化学治療をしているが、念

には念をいれて32個のリンパ節を除去、胃の摘出による合併症回避で胆の

うも摘出された。

人間の身体には要らないもの盲腸と親不知くらいしかない、それ以外は何であ

っても無くすと個人差はあれど不都合なことが生じるようだ。リンパ節の廓清(か

くせい、除去)はリンパ浮腫という症状を引き起こすらしいし、胆のうを取ると油

濃いものが苦手になるとか、食道や胃を取ってしまったら、どうなるの?

胃や食道を摘出した人へは、今後の食生活の仕方なるレクチャーが一時間く

らいあり、妻と二人で受け質問にも答えて貰った。食後、直ぐに横になると食べ

たものが逆流するので当分は起きた姿勢でいること、正常な胃の入口は細く

なっており、食べ物が逆流しないようなっているが胃を除去したため、その制

御ができないからだとか。

油濃いもの、刺激の強いものは避けるなどの一般的なことも・・・・

水の解禁から、一日毎にお粥の硬さが増し直ぐに七分がゆ、軟食となり、早く

一口でもいいから好物の『塩干しするめ』が食べたかった。

 


BeatlesとBlue Hearts

2012年01月05日 19時17分59秒 | 日記

今日も悪天候で、ストーブの番つきのため特筆すべきことはなし。昨日の戯言

のついでに・・

 

私の年代は、青春時代にBeatlesと出会っている。私もたがわず、Beatlesに魅

せられた一人で、当時のドーナツ盤も最近のリマスターも持っているから、今だ

熱冷めやらず。

Beatlesの日本公演の際は横浜に居た。入場券は往復はがきで申し込み、抽

選で購入するのだが、その倍率の高さは諦めと等しいくらいだっが、ラッキーな

ことに10枚出したものの内1枚が当たり、武道館の公演に行くことができた。

実際は、周囲の女の子がギャーギャー叫び、声はよく聞こえなかったし楽しむ

というより、期待外れだった。

Beatlesは今も変わらず聞き続けている。

J-POPなるものは余り縁がないのに、何故かBlue HeartsのCDが1枚、

Stick outがあり、時々、聞いていた。昨年の夏ごろ、何気なくレンタルショップ

で手にしたのがBlue Hearts。いいじゃない、いいじゃない。

置いてある全てのBlue Heartsを借り、MP3にダビングし畑仕事や山仕事をし

ながら聞いている。これでは飽き足らず、www.explorer.crav-ing.comを使用し

youtubeのBlueHeartsのライブ、曲などを取り込み、それをMP3に移し持って

いる。Too much pain、あの娘にタッチ、ナビゲータなどなど・・・気に入ってい

る。両方のグループにサウンド的な共通性があるのか、どうか分からないが音

楽は年代を超えて語ることができるからいい。彼らが解散せず、今でもライブ

をやっていたら、老体にムチ打って間違いなく行っているだろう。例え場違い

のように見えても。

 

『手術の傷口は痛くない』

ICUから一般病棟に戻るとき、体重測定があり計量すると数値は僅か38Kgと

史上最低値を示していた。もともと,痩せていて47Kgしかなかったのが、激や

せで本当に骨と皮だけになってしまった。それでも足元はしっかりしていて、

ふらつくようなことはなかった。

手術で摘出した患部の食道と胃の一部は合わせても数十gだろうに・・・・・

一晩目はナースステーションの隣で過ごし、翌日からは術前にいた個室に舞

い戻り、やっと術後の回復治療の段階になり、喜ばしい限りだが、点滴や身体

のあちこちの管などで暫くは不自由は避けられそうにない。

幸いに傷口は痛くないので、動きたくてウズウズしていた。自分でも何となく回

復しているのではないかと感じられ、管が取られる度、室外散歩に近づくのが

嬉しかった。

尿管が取れてからも当時、流行していた新型インフルエンザの感染予防もあ

り、室外での散歩は、中々、許可がおりなかった。

 

 

水の解禁

ペットボトル入りのお茶をおそる・おそる一口、苦いやら、えぐいやら、むせ返り

吐き出してしまう。緑茶だったからと番茶を買ってきてもらったが、これも同じ

で、結局うすめてやっと喉を通った。

水は無味乾燥だからか、むせ返ることはなかった。

 

 


外は冬に逆戻り

2012年01月04日 22時33分48秒 | 日記

朝から小雪混じりで時折、薄晴れもあったが午後には本格的な冬に逆戻り。

薪ストーブにあたりながら、今日もホームページ作りの復習。今も一応、公開

ているHPは更新なしの化石になりかかっているので、それをリニューアルしよ

うと頑張りかけている。

Back up Fileはもうないし、新たに作り替えないと更新すらできないが、HP 

builderの操作も怪しい。そうしたことは、そっちに置いたままにしてblog

を始めてしまい・・・・・・老体にムチを打ちながら頑張れ !

     

 囲炉裏に火をいれる   外はあっという間に冬

 

『手術を受ける患者は何も知らない』

患者は、麻酔をかけられてしまうので何が起こったのか、何があったのか聞か

れても何も知っちゃいないのだ。術後はICUで暫く過ごす。

『貴方の場合は、喫煙期間が長いから、肺の回復に問題があるかもしれない、

痰が切れないなど。だからICUでの治療は長くなるかもしれない』と言われてい

た。私の心配は酒も結構、飲んでいたから麻酔が効くのだろうかとの素人考え。

実際、脊椎への注射、麻酔をかけましたと聞いたのに、意識はもうろうとする兆

候はなく、しっかりとしているではないか。

これでは・・・・ひょっとして・・・・・麻酔が効かないままメスを入れることになるの

ではと、心配する。そんな馬鹿なことがあるはずはない。暫くするとモニターの

パルス波がピッ、ピッ、ピッ、ピーーーーと動作終了を示すように、以後のこと

は何も覚えていない。夢も見ていなかった。

何か声をかけられうつら・うつらの返事をしたのは、3日後のことだった。看護

師さんが何か音楽を聞く?と聞いたら『Beatles』と答えたそうだが、本人は余り

覚えていない。意識が割と戻った時の開口一番は『手術は終わった?』、様子

が分からないし痛みがある訳ではないから。

少し経てば、口やら身体が管だらけになっていることに気づき、手術が終わっ

たことを知る。手術は成功したらしいが、摘出されたがんは妻と娘が説明を受

けているので、これも患者は知らない。患者は、ただ、ただ術後の治癒に専念

するのみ。

傷口は痛むこともなく、ただ口に刺さっている呼吸器が喉に触れて違和感があ

る程度で、その他の管も苦痛ではなかった。生まれて初めての手術だったが、

何もわからない、知らないのが幸いした。結局、ICUには4日間お世話になり

一般病棟に移った。

開胸,開腹手術で云々と書面と共に説明を受けていたが、全て上の空で後に

なってから大きな手術だったのだと知る。


山小屋で初仕事

2012年01月03日 19時11分57秒 | 日記

今日も曇り時々雨とぐずついた一日だった。

箱根駅伝を途中まで観て、初仕事のため山小屋に出かけた。ストーブを焚き

部屋を暖めながら、初仕事は恒例のカンナとノミの刃研ぎ。木工細工を冬の

趣味としているので、年頭行事としての刃研ぎが定着している。

午後からはHome Page Builderの技解説書をウツラ・ウツラしながら・・・・・

てなことで、本日はグウタラな一日でした。

 

『手術前日の処置』

先生から、胃カメラを使用して摘出する食道・胃にマーキングをすると説明が

あり、緊張しながら内視鏡検査室に向かう。まな板の鯉はすっかり観念し、カ

メラを呑みかけたら『がんに接触し出血しそう』と主治医に連絡。『手術前の出

血は嫌だから、鼻からのカメラでやろう』ということで、径の小さい鼻カメラの採

用となった。

鼻カメラは患者の負担は小さいものの、普通のものと比較すると視野が狭い、

鮮明さに劣るらしい。カメラで覗いた結果、抗癌治療(化学治療)の効果があり、

食道がんは大きくなっているが硬化し弱体化が顕著、胃がんは2/3くらいに縮

小していた。抗癌治療で効果があったといっても、これで治癒する状態ではな

かった。同じ日に、2本の胃カメラを呑んだ結果、鼻からのカメラは楽勝で、こ

れなら毎日検査されても苦痛とは無縁。

いよいよ明日が手術なのに全くの平常心、何か特別な予定があるような感じは

しなかった。

 

 


雨とみぞれの一日

2012年01月02日 13時40分55秒 | 癌のこと

昨日と一転して今日は穏やかで、大学駅伝を観ながら静かな時を過ごしてい

る。孫たち総勢11人がワイワイと騒ぎながら、正月料理をつつき、大人たちは

美酒に酔いしれる、何ということもないかもしれないが、本当はこれが一番幸せ

なことなんだろう。

私は、町にある炭焼きグループ『桑炭会』に参加させて貰っているので、日々

の暮らしの中に木炭を取り入れている。BBQ・焼肉は勿論のこと、時には魚を

焼く時にも使う。炭火は火力が強いので、焼肉は余分な脂分が落ちるのと、外

はこんがり中はジューシーと、美味しく焼ける。昨日、上等なフィレ肉があった

ので御節のサイドメニューとして、それを焼いて添えた。元旦早々に角型七輪

の出動で焼き加減は最高だった。

『飲酒について』

手術をしてから最低でも一年くらいは、アルコールを口にしてはいけないだろ

うと、勝手に決めていたから、寄り合いなどで酒席があってもそれを守った。

一年半くらいして、ほんの一口くらい、つまり乾杯の一杯くらいは自分で許した

が、晩酌は習慣が途切れてしまったようで、さほど執着心がなかった。その頃、

韓国に旅行した際、マッコリやビールを少々飲んだのが、久々のことだった。

直ぐに酔いが回り、直ぐに酔いが醒めたことを覚えている。

以後も、晩酌はないが会合後の酒席があれば参加、月に1~2回くらいのペ

ース。先生に聞いて絶対駄目とは言われないだろうが、聞くほどのこともなか

ろうと聞きもしなかった。

年末の定期検診で『酒は飲んでますか』と問われ『晩酌はしてないし、殆ど飲

まない』と答えたら思わぬ先生のお言葉『少しくらいならいいですよ』にビックリ

術前は缶ビール1本、焼酎のお湯割りを4~5杯を夕方から寝るまで、チビリ・

チビリ,グビリ・グビリ、その間に煙草をプカプカ、その量は最低2箱/日のチ

ェイン・スモーカーだったから、それらを断つことは大変な変身だ。

若い時は酒を飲むと赤くなり、直ぐに酔い頭が痛くなった。40歳前くらいまで

は酒席は苦手で接待などする立場になると、それが苦痛で苦痛で、席を外し

顔を洗って頑張ったものだ。酒を飲み顔が赤くなる人は食道がんになり易い

・・ビンゴかも

今はアルコールが少しでも多めになると、頭が痛くなり眠たくなってくる。つま

り、昔の姿に戻ってしまったようだが、以前はしょっちゅうあった二日酔いはし

なくなった。術後のアルコールは絶対に駄目との記事や、少量は百薬の長と

か様々あるが、これも個人差が大きいのだと思う。

私のアルコール指数γgtp=18で全く問題なし。 


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