今日のテーマは「本当の自分を生かす方法」
普段、いろんなところでいろんな人を見ていると
自分の脳みそが考え付いた小さな拘りのために、
気をもんだり、腐ったり、弱気になったり、怒ったり、
そんな人たちがたくさんいる。
話を聞いていると、それはそれは小さな拘りが原因であったり、
自分の保身から出る問題であったり、
自分の思うままにならないことが原因であったりするのだが、
当の本人たちにとっては、解決しがたい問題であるかのように
深刻な表情をしていたりする。
そんな人たちも、たぶん他人が同じような悩みを抱えていたら、
「アホらし」と思うんじゃないかな。
でも、自分のことになると右往左往してしまう。
そんな小さな問題に、
振り回されないで生活できるようになる方法がある。
うまくいかないときもあるが、私が心がけていることなので書いてみる。
普段から、ちょっとでも「よくない考え」が頭に浮かんだら、
その都度消して、プラスの言葉に置き換える。
これを気がつくたびに繰り返す。
これは癖だから、癖を直すのだと思うことにしている。
そのうちに悪い考え方を余りしなくなる。
まず、
「マイナス思考からは何も生み出されることはない」
このことを、早く自覚する必要がある。
マイナス思考の元になる、「迷い」や「妬み」や「苦しみ」、「怒り」は、
自分の「欲」(もっとほしいと欲張る気持ち)に大本の原因がある。
それがために他者と比較してしまい、
自分を責めたり、他人をうらやんだりする。
そんなことをしても何の解決ももたらさない。
人はそれぞれの特性を持つ。
「個々の特性」は比較の対象にはならないし、無理に比較しても意味はない。
プラス思考に他者は関係ない。
自分の「欲」に取り付かれることがないよう、
ひたすら自分を自分の「欲」から解放する努力を積み重ねることに尽きる。
「人は何をするために生きるのか」
「人が生きる中で何を大事にするべきか」
一瞬でも「できない」とか「嫌い」とか「自分はだめなやつだ」とかいう考えが浮かんだときは、
すぐに消す。邪魔だから。
「いや、やればできるさ」、
「まあ、あいつにもいいところがある。そこは評価しよう」、
「自分にしかできないことがあるはずだ」
というように「思考」を置き換える。
人は本来は何も感情を生み出さない。
近年AI(人工知能)の研究が進んでわかってきたことだ。
「あいつ気にくわねえ」とか「何であんなものの言い方をするのだろう」とか
自分の脳で言葉にするから「腹が立つ」のだ。
その思考(言語にする作業)の癖が、
人の感情を作り、性格を作り、最後には人生を決めてしまう
また、この感情がいったん湧くと、これに連鎖反応して次々と悪態を吐き始める。
そして、勝手に怒りだす。
この感情は、周囲のものたちにも影響を与え、悪い感情を伝播させてしまう。
挙句、険悪な人間関係を作り出す。
結局、その人間関係は自分が作り出したことだ。
誰のせいでもない。
これをやめよう。
他人を変えるわけじゃないんだから、できるはずだ。
悪い言葉を吐けば、その「言葉の波動」は当分そこにとどまるという。
「言霊」ともいう。
めったに悪い言葉は口にしないのがよい。
自分や周囲に不愉快な思いをさせるだけだ。
「そんなことは言われなくてもわかってる」
と、今、思わなかった?
でも普段、自分や他人を批判する「思考癖」を消すようにしておかないと、
当然のこととして、何かの拍子に口から滑り出ることになる。
その度に、周囲との距離感は広がっていく。
やめるんだ、そんな保身的な考え方。
何一ついいことがない。
そこから抜け出さないと、せっかくの短い人生が無駄になってしまう。
一生を、鬱々、クヨクヨ、めそめそ、人の顔色を伺うような生き方で終わってしまう。
俺はいやだね。そんな一生。
いずれ、ぱったり死ぬんだ。それまでしか生きられない。
こればっかりは、生きとし生けるものすべてに例外はない。
ならば、十分に充実した一生を送りたい。
そのためには、ちっちゃな「自分」に振り回されて生きるのはご免だ。
実際、
「自分」への拘りを無くすことができれば、どれほど自由に生きれるか。
どれほど人生の楽しさを感じることができるか、わかったもんじゃない。
そして、今まで見えてなかった、自分以外のいろんなものが、たくさん見えてくるようになる。
全部、「自分」という意識が邪魔をしている。
大事に懐に抱えて暮らしている人が多いようだが、
そんなものは捨てちまえ。
毒でしかない。
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