KONASUKEの部屋

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生物のこと、笠間のこと、時々政治

休みの日にはビデオチェック②

2013年06月06日 | 歴史

(写真と記事は関係ありません)

BSプレミアムの
「英雄たちの選択『徳川家康 関ヶ原へのジレンマ』」
を観た。

一般的に、私たちが家康に対して持っているイメージは、江戸時代に作られた「神君家康公」としてのもの。
天下分け目の関ヶ原の戦いも、全て家康が仕組んだものであるかのごとき表現が横行していて、
わざと上杉征伐に行って、上方を空白にし、石田三成の挙兵を誘っただとか、
野戦を得意とする家康が、石田方を関ヶ原に誘い出しだとか、
話が出来すぎていて、無理があるよね。
実際はもっと人間臭かったらしい。

番組では、いつ豊臣恩顧の大名たちが寝返るか、不安を抱えていた様子を、黒田長政への書状に見たり、
石田方が秀頼を戦場に担ぎあげてくる恐怖におびえつつ、
秀忠率いる攻撃中心の部隊の遅延に悩まされる姿が描かれた。
関ヶ原を決戦の地と考えたのは石田方であり、軍事施設を整備していたことも描かれた。

最も意外だったのは、どう戦うか、三つの選択肢の中で、最後まで迷っていたという話。

選択肢その壱 野戦による即時決戦  寝返りは防げるが、主力部隊を欠く。最も大胆な策。
選択肢その弐 このまま清州城に滞陣 寝返りの可能性大。主力部隊を加え万全の態勢。慎重策。
選択肢その参 大垣城水責め     石田方を水責めに、寝返りを抑えつつ主力部隊を待つ。理想策。
何と家康は、参の策を実行に移しつつあったらしい。
しかし、突然の家康参陣に驚いた石田方は、急きょ関ヶ原に移動を開始。
家康は水責め策を捨て、野戦による即時決戦を決意したという。

番組とは関係ないが・・・
江戸時代に家康が持ち上げられた一方で、石田三成はおとしめられた。
戦下手な上に、味方の裏切りも疑わない愚直な人物に。
でも実際には、
戦下手の主な根拠となっている忍城水責めの失敗は、秀吉の作戦ミスで、三成は反対していたこと、
関ヶ原の戦いでは、ある程度の裏切りは予想していたことが、書状から明らかになっている。

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